カテゴリ:池田大作先生( 10 )

池田大作名誉会長の死去と創価学会の未来


☆永遠不滅の池田大作会長.

池田先生は、88歳にして今もお元気であられる。
先生にはいつまでも健康長寿であっていただきたい。
願わくば100歳のご長寿をお迎えいただきたい。されど、いつか、先生も亡くなられる日が来る。そのとき、創価学会はどうなるのだろうか。
聖教新聞(3月18日名字の言)ではソクラテスとプラントについて述べられていた。師も偉いが弟子も偉い。そのことが端的明瞭に書かれていた。
以下に、その内容を抜粋し、所感を述べる。



「ギリシャの哲人ソクラテスは、自らの思想を書き物に残さなかった。
彼の思想を著作に残したのは、プラトンをはじめとする弟子たちである。
プラトンは、「今も、この先も自身の作はない」と記した。
あるのは「若く美しくなったソクラテス」であると。
「若く美しくなったソクラテス」(田畑書店/著者:林竹二)には、“ソクラテスの思想が、プラトンという魂に種を蒔き、実を生じさせた”と書かれている。
師の分身として立ったプラトンは、ソクラテスに代わって語った。彼の創設した学園アカメデアは、900年以上に渡って人材を輩出した。
池田SGI会長は、戸田城聖第二代会長が逝いたとき、自身を「先生の残せる、分身の生命」と規定した。その厳粛なる後継の儀式から58年。
SGI会長は、恩師の構想の全てを実現した。道は開かれた。
あとはそれを固め、広げゆく覚悟と実践が問われる」
(一部文章の表現を改変しています)



プラトンの「今も、この先も自身の作はない」という言葉は素晴らしい。
その師弟の共戦は、900年も続いたというのだから驚きだ。
すなわち「我はソクラテスなり!」と言っているのだ。
すなわち「師弟不二」と言っているのだ。
そうだ、この心意気だ。池田先生が亡くなられても、幾百万の池田大作が陸続と続く。広宣流布は千年も、それ以上も続く。
創価は牧口会長、戸田会長、そして池田名誉会長の三代で築かれた。
池田先生亡きあとも、創価学会は三代会長を永遠の師匠とする。
無数に生まれ変わりながら、先生の弟子として私たちは生き続ける。
そうして創価は、広宣流布を続けるだろう。
創価学会の新会則は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2016-04-06 06:29 | 池田大作先生 | Comments(11)

池田先生とお会いしました!


☆36年ぶりに師匠と再会!^^

2016年1月22日、私は池田先生とお会いしました。
「えっ!どこで、どうして!」と思われることでしょう。
場所は伊豆の海岸近くのペンションのような建物。
窓から暖かな光が差し込んでいる夕方のリビングでお会いしました。
でも、現実の話ではありません。リアルな夢を見たのです。(^^)
本日は、その夢の内容を以下にお話します。



池田先生 と1人の付き人、そして私の3人がリビングにいました。
リビングには木製のテーブルがあって、そのテーブルを囲んで私と池田先生が立っていました。先生は御年40代後半か50代前半で、まだお若かった。
私は20代か30代前半のようでした。
そして、美しい慈悲の瞳で私を激励してくださったのです。
まるで私が家族の一員のような、親近感を感じました。
先生は「それでは出発しましょう!」というように建物の玄関から外に出られました。私も後ろから続きました。
外の庭に黒塗りの高級車が停まっていました。
先生も私もクルマに乗るのですが、私はリビングのテーブルに携帯電話とメモ帳を忘れていることに気づきました。
私は急いで戻ってテーブルの上のものを掴むと、すぐに庭に出ました。
すると先生はすでに乗車されていて、クルマの後部座席のドアが開いていました。前方の座席に運転手と付き人、後部座席右に池田先生がいらっしゃいました。
クルマの後部座席左に私は座るようでした。
私は開いているドアに向かって歩きました・・



意識が高揚 しました。と、そのとき、私は目を覚ましたのです。
私は目覚めた瞬間から「あゝ、なんて素晴らしい夢だろう!」と、嬉しくて、嬉しくて、飛び跳ねたいぐらいでした。私は、しばらく歓喜に浸りました。(^^)
読者の中には「何だ、夢か」と思われるかも知れません。
けれど、本当にお会いしたのと同じぐらい嬉しかった。リアルな夢でしたから。
夢の中の先生のお顔やお姿は鮮明でしたし、夢の中の風景や携帯電話とメモ帳も、今、私が所有する本物の所有物でした。
私の携帯電話は、→ここをクリック!
私のメモ帳は、→ここをクリック!
唯一、付き人と運転手の顔ははっきりとしません。

一部始終
 の風景が、今もまぶたに焼き付いています。
私は夢の意味を考えました。「クルマはどこに行こうとしたのだろう」と。
それは「広宣流布の旅」なのだと思うのです。
先生と一緒に、永遠の広宣流布の旅に出発するのです。^^
19歳のときお会いして以来ですから、36年ぶり。
私、夢を見るなんて、ほとんどない人なんです。それが、こんな素敵な夢を見た。
師匠が本当に身近に感じられ、本当にルンルンです。
さあ、2016年、世界広布新時代拡大の年、心新たにスタートするぞ!
心新たに等身大の広宣流布、ガンバルぞ!
このように歓喜しているところです。^^

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by sokanomori3 | 2016-01-24 07:02 | 池田大作先生 | Comments(13)

私の幸せ


☆世界一の師匠と生きる幸せ.^^

線香「紫紅梅」(しこうばい)5箱の写真を添付します

b0312424_17173490.jpg先日、正月の帰郷に際し、本部に出向いてお土産を購入した。
母のリクエストは線香5箱。(^^:
毎年、300万遍を唱える母は線香の量も半端ない!
線香は金剛堂で購入した。日頃は遠慮して飲まないコーヒーを飲み、お客様として堂々と放映されているビデオを見た。
池田先生が指導されていた。


「どうすれば、歓喜のお題目があげられますか?」
欧州の女性の質問に、先生は答えた。
「生活のため、幸福のため、人生を最大に生きるため・・
御本尊は、自分という胸中の御本尊を開くためにあります。
自分自身が、南無妙法蓮華経です。
勇気が出ます。自由自在になります。
全部、乗り切っていける。仏だもの。
それが大聖人の仏法です」

その他、数々の人たちが質問し、先生が力強く指導された
「仏法対話はどうするといいですか?」
「自信満々に話すことです。相手が聞いていようが、聞いていまいが、自分の確信と体験を話すことです。かならず、相手の心に残ります。
その種は、いつか根を張り、花を咲かせます」

「善と悪の判断はどうすればいいですか?」
「非常に難しいことです。国際問題、個人、家庭・・夫婦喧嘩をしている。
どちらが正義か、どちらが悪か。判断は難しい。
何百、何千と判断基準はあるでしょう。ただ、南無妙法蓮華経は善の中の善です。法則です。1mという単位は法則だから誰も変えられない。
人を殺すことは悪です。絶対にあってはならない。
平和にする、人々を幸福にする。それは善だ。
その他のことは、小さなことです」

「感謝の表現を教えてください」
「一番大切なことは“誠実”です。誠実にかなうものはない。
ウソがないこと、策略がないこと、陰謀がないこと。
立派な人は、皆、誠実です。人間の人格です。
その人に勝てる人はいません」

池田先生は、創価高校の男子生徒に指導された

「負ける男はね、惨めです。
人生は全部、戦いです。負けたら馬鹿にされる。
何でもいい。1つ1つを勝つことです。
カネを儲けた。それは勝ったとは言えない。
儲けて悪くなる人が沢山います。
自分の心に勝つこと。自分はやった、自分らしい人生を勝ち取った。
世間とか、人気とか、まぼろしです。
男は断じて勝て!」



線香を買いに入った店で、コーヒー飲んでいたら・・
全部、全部、その通り!その通り!何という素晴らしい師匠でしょう!
涙、涙で、ハンカチが濡れてしました!^^

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by sokanomori3 | 2015-12-30 17:51 | 池田大作先生 | Comments(7)

核兵器・絶対悪との闘い


☆終戦70年に見た創価のチカラ.

潮9月号に「戦後70年」と書かれた表紙写真を添付します。
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写真解説.「表紙左隅に潮(うしお)と大きなオレンジ色の字で、冊子の名前が書かれ、その右に特別企画・戦後70年、平和の指針と記されています。冊子の下半分には洋風の建物が描かれています」

太平洋戦争敗戦から70年。今年は大きな節目の年となりました。
月刊 潮(うしお)に「民衆こそ王者・池田大作とその時代」という長期連載記事があります。今回は「核兵器、絶対悪との闘い」というテーマで広島での被爆者の壮絶な体験が記されていました。

原爆 の悲惨な話は各種メディアでよく目にします。
創価の森ブログでも幾度も取り上げました。
本来、原爆、あるいは戦争に関する話には「希望」「感動」がありません。
戦争・紛争の記事は、→ここをクリック!
しかし、ここに登場する3人のご婦人の話(その他数多くの被爆者の体験が書かれています)には「輝かしい希望と感動」がありました。
譬えるなら、地獄の中にすら植物は育ち花を咲かせるというような希望です。
それらの花が、地獄を仏国土に変えるという感動です。
その強さ、その凄さ、その美しさを潮9月号で目の当たりにしました。
私はみたび読み返し、みたび涙を流しました。
その被爆者の体験は、→ここをクリック!
それは悲しみの涙ではありません。偉大なる創価学会、偉大なる池田先生とその弟子たちを誇りに思い、無性に嬉しくてならなかったのです。
そもそも、反戦平和はどうすれば作ることができるのでしょうか。
ただ「戦争反対!9条堅持!」だけ叫んでいればいいのでしょうか。デモをして、拳を空に突き上げるパフォーマンスだけで平和は維持されるのでしょうか。
私は、当ブログでご紹介した4人の人たち、すなわち、智佐子、リョウ、マサノの3人のご婦人、そして池田先生の「生き方」こそ、その答えだと思うのです。

被爆者 の声と行動は比類なきチカラがありました。
見る者、聞く者を圧倒し、納得させるのです。
原子爆弾に右目を奪われたリョウ、子供を原爆症で失った智佐子、9年間病床で苦悶したマサノ‥地獄の中で創価学会員は蘇生します。
その学会には池田青年室長(当時)がいました。
池田先生は、戦争で長兄を失い、動乱の時代を生きられ、戦後70年を今日まで歩まれた。そして先生は、被爆体験者をアメリカに送り、国連本部で「核兵器・現代世界の脅威展」を開催されました。
被爆者は「どこの国の人たちにも、あんな思いをさせたくない!」との決意で核の脅威を訴えました。
その訴えは、国連軍縮特別総会、また、原爆を開発した科学者らにもおよび、無数の人々の意識を転換させたのです。

池田大作
 名誉会長は、被爆した広島、長崎の学会員とともに歩みました。
1981年6月、被爆者をニューヨークの国連本部に送り、絶対悪の核兵器廃絶を訴えました。1987年にはモスクワで「核の脅威展」を開催しました。
その開幕式で池田名誉会長は「日本人として、平和主義者として、仏法者として、一生涯、全世界を駆け巡って反核を訴えていく」と述べられました。
また、1998年8月9日の聖教新聞に次のように記されました。

「一言も抗議できず、核の雲に焼かれて死んだ幾十万人の人々。
今、私たちは生きている。この生きている私たちが何かをせずして、どうして無念のうちに亡くなった方々を弔え(とむらえ)ようか。
その方々の分まで生き抜いて、その方々の分まで幸福な国にして、もう二度と、世界が悪魔の業火に焼かれる悲劇がないように戦う以外に、日本人としての生き方はないはずである」
.


私は地獄から立ち上がった学会員の体験に身を震わしました。
そして、池田名誉会長の偉大さに、今さらですが驚かされました。
絶対悪の地獄の中から蘇生した人々のこと、そしてその人たち自らが最高善の闘いが行われたこと‥その闘いを動かしたのは池田名誉会長であったこと。
池田先生は、ありとあらゆる分野で戦いを起こされました。
千年分のお仕事をされたのだと思います。
今、学会員であることが私の誇りであり幸せです。
池田先生と、また偉大な創価の同志の方々と共に生きられること。
そのことに深く御礼を申し上げたいと思います。

追伸:池田名誉会長の平和運動に関する記事を以下に示します。
(アンダーラインをクリックするとジャンプします)
◆地球を30周した池田先生
 ◆中国初訪問40周年 ◆日中国交正常化提言
◆周恩来夫人と池田先生の友情 ◆尖閣問題への池田先生の提言

戸田城聖先生の原水爆禁止宣言の記事を以下に示す。
原水爆禁止宣言は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2015-08-31 20:52 | 池田大作先生 | Comments(2)

潮・核兵器、絶対悪との闘い(参考資料)


☆潮9月号・特集「戦後70年」より.


b0312424_8221275.jpg<写真解説>
潮2015年9月号の記事の表題の写真です。
被爆者の体験発表を聞かれた池田先生が被爆者に語られた「あなたは貴重な体験をなされた」とのお言葉が表題になっています。



潮(うしお)今月号「民衆こそ王者・核兵器、絶対悪との闘い」の中の広島被爆者の体験手記の一部を抜粋する。登場人物は多数いるが、智佐子(本人)、リョウ(智佐子の母)、マサノ(同地区の婦人部)の3名のみをご紹介する。(以下、智佐子・マサノの手記より)

閃光 が走ったことは覚えている。
爆風に吹き飛ばされ意識を失った。人類史上初めての核攻撃である。智佐子の家は爆心地から3kmだった。
気づくと、家から30メートルも離れた畑の中だった。
「足が立たないのです。手を当てました。するとズルーッと血が流れている。ああ、頭をやられたんだと思って、ふっと空を見上げました。
そこには、見たことがない、真っ黒いような濃い灰色のようなものが、もの凄い渦を巻いて、どんどん広がっていきます。気持ちの悪い、恐ろしい空でした」
四つん這いになって地面を這い、やっとの思いで家の中に戻った。
「何がどこにあるのか分からなくなって‥どこにも、なんの音もしません」
智佐子は、ふらふらと坂道に出て、海の方角を見た。
何か黒い塊(かたまり)が、そろそろ、そろそろと上ってくる。
「あの塊はなんだろう?」
それは人間の集団だった。
「皮膚がズルズルに焼け爛れています。海からワカメを引き上げたような形です。焼け爛れた皮膚が、肩から腕を伝わって指の先から垂れ下がっているのです」
路上に倒れた人々を手当てしていると、空が暗くなり、墨汁をぶちまけたような色の豪雨に打たれた。
智佐子は喉が焼かれて声の出ない人に、名前だけでも書いてもらおうと鉛筆を握らせようと思ったが、5本の指の骨が溶けてするずるになって、鉛筆も持つことができない状態であった。
いったい何が起きたのか。智佐子は裏山に登った。
見慣れた町が丸ごと消えていた。
「何万人も人が生活していた広島市に一軒も残っていないのです」
母のリョウは、広島第一陸軍病院の看護婦長(当時)だった。智佐子は陸軍病院のあった場所へ目をこらしたが、影も形も無くなっていた。母を捜して歩いた。

橋の上 から川を見下ろすと川面が見えない。
「見渡す限り、上流から下流まで、びっしりと死体が並んで、材木や筏(いかだ)のようになって浮かんでいたのです」
やがて智佐子の体に異変が起こった。頭を押さえると手のひら一杯に髪の毛が抜けた。体に紫の斑点が浮き出た。
4日後、ついにリョウを見つけた。リョウの体は包帯で覆われていた。右半身を焼かれ、200のガラス片が刺さっていた。
智佐子は、母の全身に湧いたうじ虫を取り除いた。
「8月12日、大八車で母を迎えに行き、自宅に連れて帰りました」
包帯を取って驚いた。「わっ、目がない!」
「黒目も白いところもない。光線が入って、右目がはじけ飛んでいたのです」
敗戦の翌年、智佐子は結婚し男子を生んだが、生後2週間で体に紫の斑点が浮かび上がり死んだ。
「たった18日の命でした。原爆症です」
戦争は、戦後も終わらなかった。
最初に創価学会に入ったのはリョウだった。
昭和29年のことである。
「母は、自分の命を変えると言って祈り始めました」
ある会合に参加したとき、愛煙家のリョウは役員が喫煙している控室を見つけた。会合が始まる前に一服していると「ここは一般の参加者が煙草を吸うところではない」と注意された。男性幹部が何人も煙草を吸っていた。
「あの人らも吸いよるじゃないか。なんで幹部がよくて私がいかんの!」
リョウは食ってかかった。

一人の青年 がその場を収めた。
「いいじゃないか。どうぞゆっくり吸ってください」
その青年はリョウを引き寄せ、椅子に座るように勧め、隣に座った。
リョウは思った。
「騒ぎ立てた私なのに、ものすごくやさしい人やった。なんと心の広い人やろかと思った」
会合が始まり、リョウは驚いた。
さっき隣に座ってくれた青年が壇上に立ったのだ。
その青年の名前を知った。「池田大作」であった。
智佐子が信心を始めたのは昭和35年であった。夫は猛反対だったが、折伏され夫も信心を始めた。
やがて夫と智佐子は広島創価学会の幹部となり草創期を支えていく。
翌春、母のリョウが聖教新聞を手にして叫んだ。
「これで大丈夫!これでええんじゃ!」
何かと駆け寄った家族に、リョウは新聞を見せた。
そこには、「創価学会第三代会長決まる・池田総務を推戴(すいたい)」と書かれ、池田の写真が大きく掲載されていた。
「あの温かい心の人が、戸田先生亡き後の学会をを引き継いでくれた」
リョウは我がことのように喜んだ。
「これで大丈夫じゃ。もうこれで、創価学会は後ろ指さされんど!」
そう繰り返すリョウの左目から、ポロポロと大粒の涙が落ちた。
智佐子は言う。
「母は昭和42年、孫の大学進学を見届けて生涯を終えました。重い原爆症でしたが、池田先生のとの出会いを抱きしめて命を永らえたのです」

数千人 の前にマサノは立った。
角屋マサノ(同地区の初代婦人部長)は、原爆症によって自ら命を絶とうとした過去があった。昭和36年、池田先生をお迎えした岡山での大きな会合でその体験を語った。
「人生の半分を苦しみ、いま信心して8年です‥」
池田は何度もうなずきながら耳を傾けた。
マサノは27歳で被爆。以後、9年間病床で苦しんだ。
骨肉腫、直腸潰瘍を併発。輸血代が家計を脅かし、一家心中を図った。
妹から折伏され仰向けのまま題目を唱えた。その後、危篤に陥る。
「一週間、生死をさまよい、再び今世に引き戻されました」
マサノは徐々に回復、退院後、「折伏経典」を徹夜で読んだ。親や兄弟から猛反対され、「縁を切る」と迫られたが、広島婦人部の先頭に立った。
堂々と体験発表を終えたマサノに池田は言った。
「あなたは貴重な体験をなされた。核兵器がいかに人類の敵か。日本だけではなく世界に訴えていくことがあなたの使命です」
21年後、その言葉は現実のものとなる。
昭和57年(1982年)、智佐子とマサノは創価大学へ。
池田の提案を受け、被爆者、被爆二世との懇談があった。集合した30人の被爆者は、その翌日、アメリカの国連本部へ向かった。
.


この手記は、やがてニューヨークでの「核の脅威展」への記述となり、続いて智佐子たちが被爆体験を語るフォーラムの話になります。
フォーラムでは、聴衆の一人がメンバーが「あなたはアメリカを怨みますか?」と尋ねます。メンバーの一人は次のように語っています。
「それはそれは怨みました。こんなに苦しいことはないくらい苦しみました。でも今は、どの国の人にも、あなたたちアメリカの子供たちにも、あんな思いはさせたくないと行動しとります。私は池田先生に教わりました。愚かな指導者の生命にある魔性が一番悪いと。このことを伝えにアメリカまで来ました」

この核の脅威展・訪米団の活躍は、ニューヨーク・タイムズやABC、NBC、CBSの全米三大ネットワーク、さらに30近い海外メティアで報じられました。
次の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2015-08-30 08:52 | 池田大作先生 | Comments(20)

中国人民の母・鄧穎超(とうえいちょう)


☆周恩来夫人と池田先生の友情.

以下に、12月10日の聖教新聞紙面(鄧女史と池田先生)の写真を添付します。
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昨日の聖教新聞に、鄧穎超(とうえいちょう)女史と池田先生との友情の物語が掲載されていた。写真は、その鄧女史と池田先生とが固い握手を交わされている映像である。
池田先生の誠実で真剣な瞳、そして鄧女史の高揚した笑顔の表情‥
2人の間の愛情がどれほど深いかが見て取れる写真である。
私は過去より、周恩来については数多くの書籍を読み、また、池田先生と周恩来総理との交流を新聞等で学んできた。
故に、私自身、周恩来総理も、また、その婦人である鄧穎超(とうえいちょう)女史も、まるで親戚のように近しく感じている。

○握手の写真.

新聞の鄧女史と池田先生との握手の写真を、私はじっと見つめた。
その真剣な先生の瞳と、鄧女史の素晴らしい笑顔とが私の心に烈風となって迫ってきた。まだ、文章を読んでもいないのに、この1枚の写真を眺めるうち、涙が溜まり流れ始めた。
私はあわててハンカチをポケットから取り出し涙を拭った。
私は泣き虫である。ただし、辛くて泣くことはない。
素晴らしい人たちの言葉や人生を知ると、無性に涙が出るのである。
涙を流し、拭き、私は記事を読み始めた。
文章は、池田先生が書かれているものではなかった。
けれど、切れ味の鋭い、とても素晴らしい文章であった。

○鄧女史.


近頃思うことは、聖教新聞の文章力がスゴイということ。
今回の文章も研ぎ澄まされた日本刀のような切れ味で、読みながらゾクゾクするのである。その力に、「創価学会は絶対に大丈夫だ」と嬉しくなる。
新聞記事は、2003年4月の池田先生への中国・中央文献研究所のインタビューから始まる。このインタビューに、池田先生は「じつは、お答えしにくい質問です。思い出すと涙が込みあげてくるからです」と答える。
新聞は「感傷を嫌う池田SGI会長が涙という言葉を口にした」と記す。‥
これは、鄧穎超(とうえいちょう)女史との最後の語らいについての質問であった。
池田先生が涙する鄧女史とは、いかなる人物であろうか。

周恩来亡きあと、鄧女史の革命は続いていた。
「前も敵でした。後ろも敵でした。毎日毎日が、そうでした。何年間、何十年間、そうでした。私たちは戦いました」
これは池田先生に、鄧女史が語った言葉である。
「私たちには革命という信念と理想があるのよ。絶対負けない。恐れたら負けよ」
この言葉は、革命の中で、仲間を鼓舞した言葉である。
さらに鄧女史は次のように語っている。
「私たちは幸福です。生き抜いて、戦い続けることができるのですから」
「私の心は老いません。もっともっと人民に奉仕したいのです」
何と激しい、何と高貴な言葉の数々であろうか。

○池田先生の信念.

聖教新聞は伝えている。鄧女史の真心の言葉を。
池田会長が、第3代会長を退く決心を告げた時、鄧女史は語った。
「いけません。まだまだ若すぎます。何よりあなたは人民の支持があります。一歩も引いてはなりません」
生涯、生命不息・戦闘不止(せいめいふそく・せんとうふし)、すなわち、生命の続く限り、戦い続けるという誓いを、周恩来と交わした夫人の烈々たる声であった。
池田先生はしかし、この後、会長を勇退される。宗門の陰謀の中で‥
1990年、鄧女史は池田先生との最後の会見のおり、周恩来の愛用した象牙のペーパーナイフと、婦人愛用の玉製(ぎょくせい)の筆立(ふでたて)とを、池田先生に贈られた。
「私は、生前の総理の池田先生への心情をよく知っておりますので‥
これをご覧になって、総理を偲んでください。先生と総理の友情の形見として」
そう話す鄧女史に、SGI会長は答えた。
「周総理の“魂”を頂いたと思います」
「日中の友好は私の信念です。全力を尽くします」‥

周総理、鄧女史と池田先生との友情は、永遠に創価学会員の友情です。
私もこの信念で、中国と向き合うことをお誓い申し上げる次第です。

過去の周恩来の記事は、→ここをクリック!
周桜の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2014-12-11 06:36 | 池田大作先生 | Comments(2)

池田名誉会長の指導


☆仏法は実証・現証主義.

「信心だけは、好きであろうが、嫌いであろうが、
どうしても必要なものです。
ご飯を食べ、水を飲まなければ生きていけないように、
正しい信心がなければ、絶対に福運ある生涯は送れない。
活力ある、楽しい人生を送ることはできません」

「信心は、究極においては神経質であってはいけません。
罰があろうが功徳があろうが、
「御本尊様は絶対だ。どんな事態があっても、一切が変毒為薬(へんどくいやく)されるんだ。何かの意味があって、この現証があるんだ」
こう確信し切って、題目をあげて、あげ抜いていく。
学会活動に一直線に進んでいく。
この人が、本当の信仰者です」

「観念論であってはなりません。
仏法は実証主義です。現証主義です」

「種(たね)を蒔けば、必ず花が咲く。
10年、20年と信心に励んだ人が、「これほどまでに幸せになった」
「ありがたい、想像もしなかった幸福生活である」となる。
これが所願満足です」

(以上、大白蓮華2014年12月号 飛翔の原点 記念撮影会より)



残業続きの日々。通勤電車で開いた大白蓮華(だいびゃくれんげ)。
くたくた、よれよれの体に池田先生の指導が染み渡る。
感謝と歓喜が入り混じった血潮が動き始める。
心が温かくなり、こぶしをぎゅっと握りしめる。
そうして、疲労した体に力が蘇る‥
ありがたい師匠です。私は幸せです。(^^)

今、苦難の中で、もがき、苦しんでいる人もいらっしゃることでしょう。
「本当に功徳はあるのだろうか」と疑いたくもなるでしょう。
でも、全部、解決する。この信心は、おとぎ話じゃない。
信心は理屈ではありません。理屈なんか食べることも着ることもできません。
私は理屈で信心なんかしません。
幸せになれるか、なれないか、その一点が重要なんです。
不幸に泣いてばかりいる人生なんか嫌です。
私は幸せになるために信心をしました。
そして「想像もしなかった幸福生活」を得ることができました。

冬を春へと変える。悲嘆を歓喜に変える。枯れ木に花を咲かせ、荒涼とした砂漠にオアシスを創る。自分自身という人生を使って仏法の偉大を証明する。
その決意があるから、私は今も闘争を続けられるのです。
私は必ず、生涯、「所願満足の人生」をまっとうします。
それは、池田先生が望まれている人生だからです。

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by sokanomori3 | 2014-11-28 06:30 | 池田大作先生 | Comments(2)

茨城新聞への寄稿


☆池田先生の寄稿文より。

朝、早めに家を出た。
いつもの出勤だが、気合の入り方が違う。
駅に到着。売店で茨城新聞を探した。
この日、池田先生の寄稿文が茨城新聞に掲載されていたのである。
「あった!」‥売店の棚には、2部しか残っていなかった。
情報は、地区のメンバーから聞いていた。多くの人が知っていたし、多くが購入を考えていたに違いない。私が買って、残り1部‥
自宅を出る時間が10分遅かったら、新聞は手に入らなかっただろう。
最後の新聞をゲットした人は誰だろう。(^^)
記事の内容は、近代美術の発展に大きな功績を残した岡倉天心(1868から1913年)と、その天心の指導で日本画の巨匠となった横山大観(1868から1958年)の紹介だった。
その記事に隣接して、池田先生の「人づくりの光彩に満ちた茨城」と題される投稿文があった。以下に、その一部を紹介する。



「ダイヤはダイヤで磨かれる。
人を育てるのは、人です。
人を育てることは、生命という至高の宝財を輝き光らせゆく芸術といえましょう。
横山隆氏(横山大観記念館館長)は、私どもの美術館での講演会で、明快に語られました。「素晴らしい師匠との出会い」、「多くのよき友との交流」、「よき芸術環境に恵まれたこと」が、大観の画家としての可能性を開花させた、と。
生まれ故郷である茨城には、まさに「よき師匠」「よき友」との練磨があり、大自然にも、文化にも、人情にも富める「よき芸術環境」がありました。とともに、時代を画する偉大な創造の力を鍛えたのは、試練との悪戦苦闘出会遭ったことも見落とせません。
当時、大観らの新手法は、“朦朧体”(もうろうたい)と批判を浴びせられ、逆境の中で制作活動が続きました。大観は、この歳月こそが自身の基礎を築き上げてくれたと感謝を込めて回想しているのです」



「苦難の時代が自身の基礎を築いてくれた」
これは、偉大な人たちが共通して語る言葉です。
今、苦難の中で悔しい思いをされている人もいることでしょう。
逆境が長く続き、挫けそうな人もきっといる。
けれど、その茨の道は、必ず、あなたを偉大にせずにおかない。
苦労した分だけ、幸せになれる権利があるのですから。
さあ、ダイヤの中で自身を磨きましょう。
苦難の中に我が身をさらしながら。

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by sokanomori3 | 2014-10-02 23:12 | 池田大作先生 | Comments(0)

中国初訪問40周年


☆1974年5月30日。

以下に、聖教新聞に掲載された40年前の池田先生の写真を添付します。
b0312424_20575716.jpg

本日の聖教新聞に、鮮烈な見出しがあった。
「きょう5月30日、名誉会長の中国初訪問40周年」
その下に、香港から鉄橋を歩いて中国に入った池田先生の当時の写真が掲載されていた。背広姿の先生は、悠然と前方を見据え、歩まれている。
その後を追うように、香峯子夫人が続く。
徒歩で国境を越え、池田先生は中国に渡った。
その瞬間が、1枚の映像として今にある。どきどきするような瞬間である。
以来、40年。日中友好の金の橋をかけてきた創価。そして中国の英知の人々もまた、そのエールに応えている。
この40年の時代の流れの中で、日中関係は今 最悪である。
しかし、今も尚、弟子たちは中国に渡り、友好の絆を深めている。
政治的には、対立の構造から軍備増強にシフトした日本。
日本だけではない。東シナ海でベトナムもフィリピンも、対抗策に走るこの時代に、それでも貫く友情があることに、私自身、驚ろかされるのだ。
この40周年の佳節を、北京師範大学の中国文化力研究センターは名誉会長に対し、「国際名誉主席」に迎えた。称号の授与は、訪問中の日中友好青年交流団(学会青年部)に託された。学会青年部は、さらなる日中友好へ尽くすことを約束した。
異様な対立の時代にあっても抱擁し合い、固く握手する‥
到底、ありえないような行動ではないか。

追伸:旧創価の森ブログの日中国交正常化提言の記事を添付します。
(旧ブログは、音声ソフト対応ではありません)
その旧ブログの記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2014-05-30 22:39 | 池田大作先生 | Comments(0)

三世誓願


☆過去、現在、未来を貫く誓願.

以下に 「三世誓願の書」の写真を示します。

b0312424_2341465.jpg

写真解説.

「聖教新聞に掲載された 池田先生の 「三世誓願」の書。
力強い墨字で 三世誓願 大作と描かれている」



○今より 再び前進する。

1月16日、聖教新聞を開くと 力強い4文字の墨字があった。
三世誓願(さんぜ せいがん)という 見たこともない 聞いたこともない言葉。
その文字の横に、池田先生のお名前が書かれ 押印がされていた。
世界一 堂々とした筆文字である。
まるで、池田先生の行動と願いとが、全部 凝縮されたような墨痕である。
三世誓願‥ 過去も未来も貫く誓願という意味だろうか。
この三世誓願に関する記述の一部を 以下に転記する。

「広宣流布(こうせんるふ)の大願と仏界の生命は一体です。
だからこそ、広宣流布に生き抜く時、人は最も尊く、最も強く、最も大きくなれる。
この誓いを貫く時、仏の勇気、仏の智慧、仏の慈悲が限りなく出てくる。
この誓いに徹し切る時、どんな悩みも変毒為薬(へんどく いやく)できるし、
宿命をも使命へと転じていける」

この池田先生のお言葉を、私は身を震わせながら拝しました。
私には、私にしかできない使命があります。
私の広宣流布。私の一生成仏。
その使命を誓い 今より再び前進いたします。

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by sokanomori3 | 2014-01-30 23:09 | 池田大作先生 | Comments(3)


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