カテゴリ:一般書籍のご案内( 18 )

ぼくたちに、もうモノは必要ない


☆ミニマリストの幸福論.

書籍「ぼくたちにモノは必要ない」の写真を2枚添付します。
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写真解説.「1枚目は、大きな字でタイトルがあり、その下に“人生が動き出す、モノが少ない幸せ”と書かれている本の写真。2枚目は、本に添付されている部屋の写真で、著者の過去の部屋と現在の部屋とが対比になっているページの写真です。過去の部屋はモノで溢れ、現在の写真はモノが少ない部屋です」 

本屋の平積みされていた本の中に目立つタイトルがあった。
「ぼくたちに、もうモノは必要ない」
立ち読みして、グングン引き付けられた。
ミニマリスト(最小限主義者)という生き方を勧める本であった。
その冒頭の文章を抜粋し、所感を述べます。

ミニマリスト の「生き方を通して見えてきたのは、単に部屋がスッキリして気持ちいとか、掃除がしやすいとかのメリットだけではない。
もっと本質について、つまりどう生きるか、誰もが求めてやまない「幸せ」を考えなおすことだった。だから、ぼくはモノを沢山捨てた。
そして今、毎日、幸せを噛みしめながら生きられるようになった。
ぼくはモノを捨てることからスタートして、なぜか前よりも幸せを感じている。
今までぼくはモノを貯め込み、ひいてはぼくの幸せにつながると考えていた。
ぼくはモノが大好きで、何も捨てられないタイプだった。
おおげさに聞こえるかもしれない。まだ何も成し遂げていないし、人に誇れるようなことは何もない。だけどこのことだけは胸を張って言える。
ぼくはモノを少なくして、毎日、幸せを感じられるようになった」

著者は言う 「考えるな、捨てろ!」
「探し物の時間が減る。忘れ物もなくなる」
「部屋が狭いことは喜び。小さな家は犯罪を防ぐ」
「モノを減らしても自分は減らない」・・
私はうらやましくなりました。「真似したい!」と思いました。
わが家には不要なモノが沢山あります。
溢れてはいないが、おそらく3分の2は不要なモノです。
ネクタイは100本もあります。日頃しているのは20~30本なのに、です。
着ない背広、はかないズボン、もう二度と見ない古めかしいビデオ(笑い)、読まない本も沢山あります。特に多いのは、仕事の資料です。
本当は仕事の資料など捨ててスッキリしたい。でも、定年退職までは捨てられないと「思い込んでいる」。そんなことは、きっとないのに。
私は、定年になったら一切を捨てようと思っていましたが、この本を読んで、今にも捨てたくてしかたない気持ちになりました。

学生時代 の初期、私はミニマリストだったのです。
御本尊様と洗面用具、炊飯器、筆記用具、布団ぐらいしかなかった。
でも、そのシンプルな生活は確かに居心地のよい生活でした。
考えてみれば不要なモノが沢山あるのは問題ですね。
さて、失職や離婚で、一切を失われた人もおられるでしょう。
きれいさっぱり失ったなら覚悟を決めるしかない。
「俺はミニマリストになった。ここからが再びのスタートだ!」
そんな気持ちで歩まれてはどうでしょうか。
不用なものは便秘のようなものかも知れませんしね。
排出したら、ほら、すっきりする。^^

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by sokanomori3 | 2016-10-13 06:10 | 一般書籍のご案内 | Comments(6)

青い鳥症候群の「べき」


☆豊かな時代の成績優秀者の悩み.

何気なくクリック!したサイト‥
そこに『ザ・鬼上司! 【ストーリーで読む】上司が「鬼」とならねば部下は動かず』(染谷和巳 著)の感想文?があった。
購入して読みたいとは思わないが、印象深い内容なので紹介したい。



大学を出て商社に就職した羽村君
上司が“こっちの言い分”も聞かずに一方的に仕事を命じることに耐えられず、2カ月で退職。親類の世話で一部上場の製造会社に再就職するが、今度は仕事の内容が気に入らない、自分の能力を発揮できないと1カ月で退職。
その後も勤めては辞めるを繰り返しフリーターを続け、30歳近くになって流れ着いたのが新たな会社。若い人が皆こうだとは思わないが、こうした傾向を持つ人が増えているようである。
なぜ羽村のような人ができるのか。貧困、空腹を知らない、厳格な規律に縛られて生活したことがない。先生や親など周囲の人から叱られたことがない。こうした社会環境がすくすくのびのび育てた。これが1つの原因。
もう1つは15年以上もペーパーテストに明け暮れ、これでいい成績を上げれば優れた人間と見なされるという価値観を身につけてきたこと。問題集の問題を解く能力は伸びた。眠る時間を削って努力もした。そこそこの大学に入ったことで自信がついた。「自分は優秀だ」というプライドが高くなった。半面、自分の部屋で1人でいることが好きな人間になった。集団生活、人間関係といった分野では赤ん坊のままである。
この2つの原因から、気に入らないことはしない人、できることしかしない人、人と一緒に仕事することのできない人、組織不適合の人ができた。
こうした人々を「青い鳥症候群」と呼ぶそうだ
羽村が求めている青い鳥はどのようなものか。自分をお客様のように大切に扱ってくれる会社である。自分が好きなことを好きなようにできる会社である。失敗しても遅れても叱られない会社、「いいのよ、できなければ。できることだけやってね」とやさしく言ってくれる母親のような上司がいる会社である。
こんな会社があるわけがない」.



「青い鳥症候群」って何だろう
本に書いているのだろうが、ネットで調べてみた。

「精神科医の清水將之が、1983年の著書『青い鳥症候群 偏差値エリートの末路』の中で提唱した概念。青い鳥症候群に罹患した人は、理想と現実とのギャップに不満を感じるあまり、理想を求めて次々に新しいものを手に入れようとする傾向があるとされる。主に、天職を求めて何度も転職を繰り返す、忍耐力に欠けるとされる若者を指して用いられることが多い」

昭和時代の人から、以下の声が聞こえてきそうな青い鳥症候群ですね。
「若い時の苦労は買ってでもしろと言うではないか」
「まさか上司とはかくあるべきと思っていないか?」
「そうじゃない。部下としてどうあるべきかなんだ」
「相手じゃない、自分をどう作るかだ」

立派な歯車になることも大事と思います。偉くなってから好き嫌いを言えばいい。地べたに這いつくばって生きることも、将来の肥やしになる。
どうせなら、気持ちよく、最高の歯車を目指してはどうでしょうか。好むと好まざる関係なく、最初は歯車になるしかないのですから。

追記:この青い鳥症候群の根本原因は境涯ではないでしょうか。
利他に開けば、能力は最大限に発揮できますからね。
私は青い鳥症候群ではありませんでしたが、最初は苦労の連続でした。
そのことを<別館>の「普通の生活」シリーズにまとめています。
普通の生活シリーズは、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2015-12-13 06:23 | 一般書籍のご案内 | Comments(4)

田中角栄の本


☆人は理では動かず情で動く.

書籍「人は理では動かず情で動く」の表紙写真を添付します。
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書店で1冊の本の見出しが目に入った。
「人は理では動かず、情で動く」と書かれ、田中角栄のイラストが描かれていた。
表題が心にスッと入り、「そうだようなあ‥」と本を手に取った。
開いたページに「このプロジェクト、私にやらせてください!と訴えかけるときも、相手の目を見る」と書かれていた。
先日、そんなことがあったばかりの私。^^
その記事は、→ここをクリック!
こういう本は、ほとんど読まない私だが、一体、田中角栄とは何者なのだろうと思い、この本を購入した。以下に書籍の内容を示す。(抜粋)

努力の人、それが田中角栄だった。
起床は毎朝5時過ぎ。テレビニュースを見てから主要新聞7紙を素早くチェック。朝風呂は“カラスの行水”で、7時から朝食。
午前中は陳情を受け、午後は行政レベルの仕事。
夜の酒席にはめったに出ず、公務がなければ夕方に帰宅し、オールド・パーを水割りで楽しみ、9時か10時には早々と就寝する。
夜中の12時に目を覚ますと、資料や書類、手紙、報告書などに目を通して、一気に仕事を片付ける。そのあとが勉強時間となる。
政治家や官僚の調査データなど、あらゆる必要項目を暗記する。
そして3時に再び就寝、2時間後の5時に再び起きる。
“アヒルの水かき”にも似た角栄の努力を見落としてはなるまい。

約束を守る、それが田中角栄だった。
「やる」と約束したら、何が何でもやらなければならない。ところが、約束をしておきながら、「そういう意味で言ったわけではない」など、正当性を主張し言い逃れる。
当人にしてみれば、うまくかわしたつもりだろうが、1つの嘘が、どれだけ信頼を損ねているか気がつかない。
二階堂進は、田中派副総裁を務めた大物代議士だが、なぜ角栄に心酔したか。それは角栄が約束を徹底して守ったからだ。

実利主義、それが田中角栄だった。
角栄は実利主義者だった。
窮地に陥っている人の心を動かすのは、“能書き”ではなく現実的対処であり、実利であることを田中は熟知していた。
「人が困っているとき、“頑張れ”だけでは足りないことがある。10万円あったら、難局から抜け出せる人がいる。命が助かる人もいる。角栄さんは苦労人だけに、そのことをよく分かっていた」(田中派の重鎮の話)
角栄は地元の悲願に応えていく。
生活レベルの向上のためにインフラ整備に全力を傾注した。
10年先、20年先のビジョンも大事だが、「今」はもっと大事だ。
人間は「今」を生きているからだ。

敵を作らない、それが田中角栄だった。
田中角栄が秘書官の早坂茂三に問いかけた。
「総理大臣になるための必須条件とは何か」と訊ねた。
「味方をつくり、増やすことです」と早坂が言うと、
「違う。逆だ。敵を減らすことなんだ」と言い放った。
さらに角栄は言った。
「味方というのは、一緒になって死んでくれる奴のことだ。そんなのがザラにいるはずはない。やみくもに味方をつくろうとして、コメツキバッタの真似をするな。
雲行きが危うくなったら、すたこら逃げ出す手合いに愛想をふりまくのは愚か者のすることだ。人の好き嫌いはするな。誰に対しても公平であれ。
他人の為に汗を流せ。面倒を見ろ。進んで泥をかぶれ。約束は実行せよ。やれそうもないことは引きうけるな。
これを長い間続ければ、敵が減る。多少とも好意を寄せてくれる広大な中間地帯ができる。大将になるための道が開かれていく」

裏切らない、それが田中角栄だった。
一瞬にして人望を失うのは、仲間を裏切ったときだ。
人望どころか、人間として最低とみなされる。
「あの人は裏切った」という風評が立てば、信用を取り戻すのは至難のワザだ。
田中角栄は、裏切られたことはあっても、自ら裏切ったことは一度もないと言われる。昨日の友は今日の敵であり、側近に寝首をかかれることも珍しくない政界にあって、頑なに角栄は信義を守った。



所感:内容は納得できるものばかりであった。
「田中角栄は悪い人」というイメージだった私は驚きつつ読んだ。
表題の「人は理屈では動かない」、「人は情で動く」というのは真理だ。
仏法では依法不依人(えほうふえにん)と説くが、これは誠に稀有のことである。
「努力の人」、「約束を守る」、「裏切らない」、そして「実利」はとても大事な考えだ。
実利は人によって「貪欲」に感じるかも知れない。
それを「実証」と置き換えるならスッと入るだろう。
角栄氏は、努力の人であり、愛情のある人だった。その努力と愛情は半端ないものだった。金権問題は当時の時代の特徴で、今は徹底的に批判されるが、国を思い、民衆を愛した人であったことは間違いない。
さて、角栄氏は何を目指し、何を果たそうとしたのだろうか?
彼は次のように自ら語っている。

「人間は出来損ないだ。みんな失敗もする。その出来損ないの人間そのままを愛せるかどうかなんだ。政治家を志す人間は、人を愛さなきゃだめだ。東大を出た頭のいい奴はみんな、あるべき姿を愛そうとするから、現実の人間を軽蔑してしまう。それが大衆軽視につながる。それではだめだ。八百屋のおっちゃん、おばちゃん、その人たちをそのままで愛さなきゃならない。そこにしか政治はない。原点はそこにある」

「原点」とは本質である。角栄氏の本質は「愛」だった。そう思う。
国土への愛、庶民への愛、先祖、未来の子どもたちへの愛‥
その愛を現実のものにしたいと考えたのではないか。
そうでなければ、このような生き方には到底ならない。
徹底的に批判され、徹底的に忍び、徹底して成果を出した。
カネ目立ての人生では決してない。
この読書で、私は田中角栄の認識を変えました。
田中角栄の歴史は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2015-08-19 06:05 | 一般書籍のご案内 | Comments(7)

田中角栄の歴史<参考資料>


☆田中角栄氏の略歴を以下に示します。


1918年(大正7年)5月4日生誕。
1933年(昭和8年)高等小学校卒業。最終学歴を「中央工学校」卒と称することがあったが、中央工学校は学制上の学校ではない。
1936年(昭和11年)3月、中央工学校土木科を卒業し建築事務所に勤める。
1938年(昭和13年)徴兵検査で甲種合格。陸軍騎兵第3旅団第24連隊入隊が決定。
1939年(昭和14年)入営、4月より満州国富錦で兵役に就く。
1940年(昭和15年)3月、入営から1年で騎兵上等兵となる。
11月にクルップ性肺炎を発症、翌年2月内地に送還される。
1941年(昭和16年)10月に除隊。翌月に東京の飯田橋で田中建築事務所を開設。坂本はなと結婚。
1943年(昭和18年)12月に、事務所を改組して田中土建工業を設立。
1946年(昭和21年)4月、進歩党公認で、郷里の新潟2区から立候補。候補37人中11位(定数は8)で落選。
1947年(昭和22年)4月、日本国憲法による最初の総選挙で新潟3区(定数5)から民主党公認で立候補し、12人中3位(39,043票)で当選。
同年11月28日結成された同志クラブに加盟。民主クラブは1948年3月に、吉田茂を党首とする日本自由党と合同して自民党となった。
1957年(昭和32年)7月 第1次岸信介改造内閣で郵政大臣に就任。
戦後初めて30歳代での大臣就任。
(中略)
1972年(昭和47年) 6月 『日本列島改造論』を発表。
7月5日自由民主党総裁に当選。
7月6日第1次田中内閣が成立。初の大正生まれの首相であり史上初の新潟県出身の首相となる。各種機関の内閣支持率調査で70%前後の支持を集める。
9月29日米首脳会談後に中華人民共和国を訪問。首都北京で周恩来首相や毛沢東共産党主席と会談。両国の共同声明により日中国交正常化が実現。
(中略)
1983年(昭和58年) 10月 ロッキード事件の一審判決。東京地方裁判所から懲役4年、追徴金5億円の実刑判決。即日控訴。
1985年(昭和60年) 2月27日、脳梗塞で倒れ入院。言語症や行動障害が残り、以降政治活動は不可能に。
9月ロッキード事件控訴審開始、田中は欠席。
1986年(昭和61年)7月、第38回総選挙。トップ当選。田中は選挙運動が全く行えず、越山会などの支持者のみが活動。自民党は圧勝。
4年近くの任期中、田中は一度も登院できなかった。
1990年(平成2年) 1月24日、衆議院解散により政界を引退。衆議院議員勤続43年、当選16回。
1993年12月16日、慶應義塾大学病院にて75歳で死去。
ロッキード事件は上告審の審理途中で公訴棄却となる。

以下に読売新聞(8月7日)スエズ運河の記事を添付します。
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写真解説.「新スエズ運河完成・船舶数が倍増との見出しで、スエズ運河の工事完了に関する記事の写真です」

田中角栄14歳のとき、人生を大きく開く出来事があった。
角栄氏は土木派遣所で仕事をしていた。
泥まみれになりながら働いた。
そのとき、同僚のお爺さんが話を聞かせてくれた。
「土方(どかた)、土方というが、土方はいちばんでかい芸術家だ。
パナマ運河で大西洋と太平洋をつないだり、スエズ運河で地中海とインド洋を結んだのも全部土方だ。土方は地球の彫刻家だ」
この話が、角栄氏の心に青雲の志を生じさせたという。
田中角栄の別記事は、→ここをクリック!
レンガ職人の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2015-08-19 06:01 | 一般書籍のご案内 | Comments(0)

永世中立国スイスの「民間防衛」


☆スイス政府が配布している本.

以下に、「民間防衛」と題される本の写真2枚を添付いたします。
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b0312424_20161984.jpg<写真解説>
1枚目は、本の表紙の写真で、真っ赤な表紙に白抜きで「あらゆる危険から身を守る、民間防衛、スイス政府編」と記され、スイスの象徴たる十字架マークが入っています。
2枚目は、核シェルターのイラスト部分で、解説文としてできるだけ地下深いところにつくらなければならないこと、非常はしご、非常脱出口を整備する必要性が書かれています」






スイスはヨーロッパの中央に位置している小さな国です。
周囲をドイツ・フランス・イタリア・オーストリアに囲まれています。
九州の面積と同じ程度の領土に約700万人のスイス人が生活していますが、国境は陸続きであり、周囲の国が野心を持てばたちまち征服されかねません。
このため、スイスは国家としての独立を維持するため、「国民皆兵」という独自の概念を所有し、数時間以内に20万人を超える兵士を動員し、有事の際は、アルプスの山並みを自然の砦として、侵略者に多大な損害を与えると宣言しています。
戦争放棄の国、永世中立国のスイスですが、放棄しているのは「侵略戦争」の意味で、防衛上の戦争は「正当な権利」としています。

兵役者は、自宅に自動小銃を保管しています。
各家庭に、自動小銃がある国‥それがスイスです。
兵役義務は20歳から30歳の男子で、50歳まで定期的な軍事訓練に参加させて有事に備えています。例えるなら、ハリネズミのような国防体制と言えるでしょう。
スイス政府からは、この体制を維持するため「民間防衛」という書籍を全家庭に配布しており、戦争になった場合の国民の義務を記しています。

この本には、スイスが他国に占領された場合のことまで書かれてあります。
「(占領という)悲劇的な事態になっても、われわれは決して闘争をやめてはならない。レジスタンスが秘密のうちに始められ、それが次第に活発になり、解放の日まで続けられる」
「反撃の日まで耐えながら、何百万というビラを撒く」
(ビラには以下の文言が入れられる)
「スイス国民に告ぐ!勇気を失うな。絶望にとらわれてはならない。何ヵ月、何年に及ぼうとも、じっと、こぶしを握り締め、怒りを心の中で噛みしめなけばならない」
「われわれが効果的に行動ができるときが来たら、時を逃さず立ち上がろう」
「同じ心と、同じ決意をもって、当分の間は威厳と規律とをもってこの試練に耐えよ」
このような内容まで書かれている本です。

さらに、占領下での解放放送{ラジオ)の内容も書かれています。
「抑圧者の存在は、知らぬふりをせよ。敵の前では、つんぼ、めくら、無感動になれ。敵は国民を馬鹿にするだろう」
「われわれがここだと思う時期に、われわれすべてが一致して攻撃に移ろう」
これは、国外に脱出した政府要人によって、ラジオなどを通じて祖国に送られる放送の内容として記されているのです。

所感.
軍事力によって国の独立は守れるとの意識が、国民一人一人にしみわたっている国と感じました。これが、永世中立国スイスの真実の姿でした。
この本を読んだきっかけは、先日の安保法制勉強会が発端です。
その記事は、→ここをクリック!
私はインターネットでスイスの安全法制を調べ、この本を知りました。
早速購入し読んだのです。読んで衝撃を受けました。
私は「知らないことすら知らない」というレベルなのです。
スイスは軍事力による闘争で、平和を維持する仕組みの国でした。
読んで、「日本人には考えがなさ過ぎるのではないか」と感じました。
無理もありません。義務教育で「国防」のことなど何一つ学んでいないのですから。
けれど、多少なりとも学ばないと、政治分野は語れない。
この本はとても勉強になります。ぜひ、皆さまにも読んでいただきたいです。
日本の常識が、世界の非常識とならないためにも。



別記事に、「国民防衛」の文章の一部を掲げます。
冒頭文の記述は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2015-07-28 20:10 | 一般書籍のご案内 | Comments(11)

書籍「民間防衛」参考資料


☆スイス「民間防衛」文書のご紹介.

以下の文章「民間防衛」の一部の抜粋です。ご参考までに示します。
文末に、訳者の「あとがき」も一部抜粋いたしました。

12ページ.
この本は、わが国が将来脅威を受けるものと仮定して描かれたものである。
われわれが永久に平和を保障されるとしたら、軍事的防衛や民間防衛の必要はあるだろうか。すべての人々は平和を望んでいる。にもかかわらず、戦争に備える義務から解放されていると感じている人は誰もいない。
スイスは侵略を行うという夢想を持っていない。
しかし、生き抜くことえを望んでいる。スイスはどの隣国の権利も尊重する。
しかし、隣国によって踏みにじられることは断じて欲しない。

13ページ.
今日のこの世界では、戦争は数多く発生しているし、暴力行為は後を絶たない。
われわれには危険がないと断言できる人がいるだろうか。
絶えず変動している国際情勢を、ことさら劇的に描くことはやめよう。
しかし、最少限度言い得ることは、世界が、われわれが望むようには少しもうまくいっていない、ということである。
恒久平和を信じたいものだが、それに向かって進んでいると示してくれるものはない。
安全保障は、われわれ軍民の国防努力いかんによって左右される。
自由と独立とは、われわれの財産の中で最も尊いものである。
自由と独立とは、断じて与えられるものではない。
言葉や抗議だけでは、決して守りえない。
手に武器を持って要求して、初めて得られる。

25ページ.
国民各自は、戦争のショックをこうむることを自覚していなければならない。
その用心なくして不意打ちを受けると、悲劇的な破局を迎えることになる。
われわれは決して闘争をやめてはならない。レジスタンスが秘密のうちに始められ、それが次第に活発になり、解放の日まで続けられる。

30ページ.

こんにちの戦争は総合戦争である。
したがって、国民が生き残ろうと思えば、対策も総合的でなければならない。
まず第一は軍事的手段による防衛である。
レジスタンスは、国民各自の意思に基づく行為である。
軍隊は、外部から加えられる攻撃と、領土の内部で誘発される混乱に対処できるように、準備されていなければならない。
準備の度合いは、いかなる奇襲をも不可能とし、また、どのような侵略の企ても引き合わないようにさせるものでなければならない。

訳者あとがき.
本書は、スイス政府により、全国の各家庭に配られたものである。
本書を一読された方はすでに気づかれたように、内容は相当ショッキングである。
まず、真に平和を望む者は、平和を守るための努力を惜しんではならないということである。単なるスローガンで平和を守ることは不可能である。
とかくわれわれ日本人は、防衛というと軍事問題を中心に考えがちであるが、スイスの場合、近代戦は全面戦争であり、これに対しては全面防衛が必要だとしている。
全面防衛とは、政治、経済、心理面での防衛に民間防衛と軍事防衛を加えたものである。
英国の民間防衛研究所は、本書の評価で「第三次世界大戦が勃発しても生き残るのはスイス人だけであろうし、彼らはそれに値する」と述べている。



追記:スイスが自由と平等の国であり、その誇るべき祖国を全員で守るという、“深い決意”を感じる書籍でした。本書の読書感想文は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2015-07-28 20:09 | 一般書籍のご案内 | Comments(0)

ひとたびはポプラに臥す 読書感想文


☆ポプラは憧れの樹木.^^

以下に、朝日を浴びる渋谷のポプラの木の写真を添付します。

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写真解説.「まだ葉をつけていない長身のポプラの木が、朝日を浴びて白く聳えています」


この写真の木は、渋谷駅西口にあるポプラです。
枝を短く切られたポプラ‥まだ葉をつけていません。
東京にはポプラの木が各所に見られます。
ポプラの樹皮は美しいまだら模様で、見た目は強そうな木ではありませんが、砂漠の暑さと渇きに耐える強靭な樹木です。
宮本輝(みやもとてる)の旅行記を読み、ポプラは世界一素敵な木になりました。
遥か西域の果てから続くポプラ並木が、この東土の日本まで続いている‥
そう思うと、いとおしい。抱きつきたい。頬ずりしたい‥
でも、人通りの多い都会だし、ヘンタイと思われるのでできませんね。(^^:

○いざ、ガンダーラへ.

小学生のとき、私はスティーブソンの宝島を読みました。
海賊が財宝を隠した島の地図をめぐって抗争が繰り広げられるのです。
宝島に出発した船の中には海賊がまざっていました。
島に着くやいなや、壮絶な戦いが始まりました。苦労の末、ついに財宝が手に入ります。
けれど、財宝よりも大切なものがありました。それは“命”です。
過去、もっとも興奮し、心臓が高鳴った小説が「宝島」でした。
その小説には、宝島の地図が添付されていました。
地図には、財宝が埋められたと思われる場所が示されていました。
小学生の私は、ときめきながら地図を見つめ、小説を読みました。
あれから40年以上たち、高揚やときめきを失ったかにみえた初老の私が、ひとたびはポプラに臥すを読んで歓喜したのです。内容はまったく違いますが、予測できない未来にワクワクしながら読み進めたことを思えば、同じ類の本だと思います。
シルクロードは、憧れの宝島に行く一筋の道でした。
憧れていた敦煌莫高窟は宝島の財宝でした。
この本は、地図や写真が豊富に収録されていて、宮本輝の魔法の言葉で、本当に旅をした気持ちになるのです。
足かけ半年近くかけて、私は6巻の単行本を読み終わりました。
創価の森通信で読書感想文を書きながら読みました。
読書感想文を書くまで、先に進まなかったので、随分じっくり読みました。
次はどんな旅になるのかと考えながら読みました。この本は、いつも通勤カバンの中にあったし、地図や写真も穴が開くほど見たのです。
だから、どっぷり楽しんで、味わいつくしたという感じです。

○総合所感.

この本を読むきっかけは、箱根の婦人部のFさんの勧めがあったから。
箱根のFさんの記事は、→ここをクリック!
Fさんが語った2つのキーワードが私の琴線に触れたのです。
それは「鳩摩羅什」と「敦煌」という言葉でした。私の最大級の憧れが描かれている本ですから、瞬時に読んでみたいと思ったのです。
「きっと納得できる何かが描かれているだろう」という気持ちから1巻づつ感想文を書き溜めたのです。その読書感想文を以下に示します。
(アンダーラインをクリックするとジャンプします)

第一巻 30年ぶりに宮本輝と再会.
第一巻 補足・無知の知を教える本.
第二巻 途方もなく大きな国の旅.
第三巻 途方もなく大きな山脈と広大な砂漠.
第四巻 羅什(らじゅう)生誕の地.
第五巻 標高5000メートルの国境.
第六巻 6700㎞の旅で見た夜空.

「全巻を読んで、何を得たのか」ですって?
鳩摩羅什を知り、シルクロードを知り、そして世界一美しい夜空を知りましたよ。
とっても楽しかった。そして大満足しました。^^
誰しもがこの旅行記に感動するかどうかは分かりません。
ただ、私にとってはとびきり御馳走の本でした。
今後、私はポプラの木を見るたびにシルクロードを思い出すことでしょう。
そして、羅什のことを偲ぶことでしょう。(完)

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by sokanomori3 | 2015-04-16 06:37 | 一般書籍のご案内 | Comments(9)

ひとたびはポプラに臥す 6


☆6700㎞の旅で見た夜空.

以下に、ポプラに臥す6巻の表紙(パキスタン北部の夜景映像付き)写真を添付します。
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ついに最終巻を読み終わりました。(^^)
前回のポプラに臥す5の感想文は、→ここをクリック!
宮本輝(みやもとてる)ら一行(いっこう)は、中国西域を越え、パミール高原を抜けて、ついにパキスタン北部の旧ガンダーラ地方に入り旅が完結します。
ガンダーラは、鳩摩羅什(くまらじゅう)が留学した西の果てでした。
このガンダーラから遥か6700㎞の彼方の西安(せいあん)のに羅什は赴いたのです。
その苦難の道を宮本輝は陸路で約40日かけて移動しました。
宮本輝はその後、4年かけて、この旅行記を書いたのです。
そのクライマックスの第6巻には、世界一美しい夜空が描かれるのです。

○宇宙の風景.

1巻から5巻まで、読者は徹底して痛めつけられました。
砂漠の渇き、熱風、危険な山岳地域、不衛生極まりない住環境、下痢の苦しみ、得体の知れない人々への恐怖、想像を絶する貧困、さらには悲惨な交通事故死まで描かれたのです。もういい、もう分かったよ‥
そんな気持ちにすっかりさせられて、最終巻に途方もない銀河を見せられるのです。標高2500mの町フンザの夜景、さらに南下してギルギットの都の大宇宙の風景‥
私が読んだどの書物より、はるかに美しい描写でした。
過去、最も美しい風景を見せてくれた作家は宮沢賢治でした。
「宮沢賢治を超える描写で書ける作家などいない」という概念が打ち破られました。
空想ではなく、本当に見た人でしか書けない究極の夜空だったのです。
途方もなく広大で美しい銀河。恍惚とさせられました。
この喜びは、おそらく6巻だけを読んでも得られないと思います。
苦労して、苦労して歩んだ1巻から5巻までの旅路の描写があってこそ、この驚愕する美しい風景が心に染みるのだと思います。
その美しい夜空を描いた文章の引用を差し控えます。
これからの読者の喜びを奪いたくないからです。

○鳩摩羅什の人生.

さて、鳩摩羅什は法華経を「妙法蓮華経」と訳しました。
本当なら「正法蓮華経」と翻訳すべきところを「妙法」と訳したのです。
ガンダーラで銀河の風景を見た羅什、長い長い幽閉生活を強要された羅什、苦難の道を歩んだ羅什だからこそ、「妙法」と訳せたのではないか‥そのように思えるのです。
宮本輝は旅の終わりにさしかかり「遠いなぁ」とつぶやきます。
そして対話で次のように語るのです。
「歩いてみて、何かを得られましたか?」
「いまのところ、ほとんど何も‥」
「長くて大変な旅だったのに?」
「でも、これでいいんです。羅什が歩いた道を歩いてみたかった。それで充分です」
途方もないシルクロードの旅でした。その途方もない旅の量が、すなわち鳩摩羅什の人生だった‥宮本輝はそう言いたかったのでしょう。
鳩摩羅什の人生は、→ここをクリック!

○所感.

私は高校2年生のとき、法華経の意味を知りたいと思いました。
その高校時代の記事は、→ここをクリック!
実際に法華経を学んだのは窓際族(42歳ごろ)のときのことです。
大人になって法華経を読んだとき、新たに知りたいと思ったのは敦煌であり鳩摩羅什でした。そして、法華経展で見た展示品の数々を見たとき、その憧れはさらに膨らみました。
法華経展見学の記事は、→ここをクリック!
「いつか敦煌にいってみたいなあ」とつぶやくようになりました。
遥かインドから言語の壁を打ち破り、あらゆる国々を通過して日本に伝来した仏法‥くしくも、憧れのシルクロードを宮本輝の本で私は旅をし、羅什を肌で感じたのです。
結果、私の心の中で全てが繋がりました。
釈尊、鳩摩羅什、天台、伝教、大聖人の全てが鮮烈に身近な存在になったのです。
素晴らしい旅行記でしたよ。私にとってはご馳走の本でした。^^
次の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2015-04-08 07:01 | 一般書籍のご案内 | Comments(2)

ひとたびはポプラに臥す 5


☆標高5000メートルの国境.

以下に、ポプラに臥す5巻の表紙写真(砂漠の映像付き)を添付します。
b0312424_1653453.jpg

前回のポプラに臥す4の感想文は、→ここをクリック!
宮本輝(みやもとてる)は、中国から国境線を渡り、パキスタンに入ります。
この道は、鳩摩羅什(くまらじゅう)が、ガンダーラに留学するために通過した道です。
道は、平坦で安穏とした道ではありません。
パミール高原と6000メートル級のカラコラム山脈の隙間を抜ける険難の道です。
羅什が、この道を平然と渡ったはずはありません。

○越境.


一行(いっこう)は、ついに中国の最南端に到着し、国境を越りました。
恐ろしい山脈の谷間を抜け、標高5000mの高地を越えて、パキスタンに‥
中国には仏教の痕跡は皆無でした。
では、パキスタンにあるのでしょうか?
あくまで今の姿しかなく、仏教の湖は枯れ果てているのではないでしょうか。
そのイスラムの国に、ガンダーラと呼ばれた国がありました。
しかし、今はガンダーラという地名はありません。
1巻から2巻、3巻と読み進めるうちに、仏教の輝かしい何かが発見されるに違いないと期待していた読者も、読み進めるうちに、そのことを期待しなくなることでしょう。
私は、その気持ちはなくなりました。
けれど虚無の中に見えてくるものがおぼろげながらあるのです。

○長い旅路.


遥かインドからシルクロードを渡った仏教‥
5000メートル級の山脈を乗り越え、灼熱の砂漠を踏破し、ありとあらゆる民族の国々を通過して、漢民族の国に仏典を渡した鳩摩羅什。
その道は、地獄もあり、餓鬼もあり、愚かの畜生あり、修羅、人、天もあり、あらゆる人々の境涯の海を渡った一艘の舟のように感じます。
生きる者、死ぬ者、生まれし者、老いる者、あらゆる人間と触れ合いながら、羅什は仏典の翻訳を果たしました。
その長い、長い旅路を表現するために、あえてシルクロードとは関係のない話を宮本輝はしているのだと思います。
ファーブルの昆虫記、様々な小説、詩、さらに政治や経済、著者の思い出‥
読者は、宮本輝の無数の話を聞きながら、壮大な旅を続けます。
その中に、ひときわ輝きに充ちた話がありました。「牛女」という童話です。
私の魂の栄養となった話です。ぜひ、見てください。(^^)
その牛女の話は、→ここをクリック!

○所感.

中国の西の果ては、ウイグル人ではなく、またパキスタン人でもない人たちが住んでいました。宮本輝は次のように語っています。
「小さな地球上で、あの人は、かくかくしかじかという民族、あの人は、このような民族と色分けすることが馬鹿らしく思えてくる。どんな民族の血が入っていようが、所詮人間であって、ゆっくりと胸襟を開いて、膝を交えて話し合えば、いつかは分かり合えるし、まだそうすべきなのだ」
「ポプラに臥す」には、数多くの写真が掲載されていますが、この5巻の中国国境を越えるときの写真は、魅力のあるものが多く見られました。
途方もなく大きな山と、広大な草地、逞しく生きるパミール高原の遊牧民たち‥
その雄大さは、日本では見ることのできない風景です。
さて、いよいよ次は、最終巻となります。1700年前に鳩摩羅什が学んだガンダーラで、宮本輝は何を見て、何を語るのでしょうか。
次の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2015-03-20 06:50 | 一般書籍のご案内 | Comments(7)

牛女(うしおんな)


☆牛女の深い愛情物語.

今、宮本輝(みやもとてる)の旅行記「ひとたびはポプラに臥す」の第5巻に牛女(うしおんな)という童話が語られていました。この話は、童話作家の小川未明が書いた童話だそうです。「ひとたびはポプラに臥す」は、→ここをクリック!
以下に、その童話の骨子を抜粋し所感を述べます。

○牛女.

ある村に背の高い大きな女がいました。
あまり大きいので、首を垂れて歩きました。
性質はいたってやさしく、涙もろく、よく一人の子供を可愛がりました。
女は、いつも黒いような着物を着ていました。
ただ、子供と二人きりでありました。
まだ年のいかない子供の手を引いて道を歩いているのを、村の人たちはよく見ました。
そうして、大女でやさしいところから、誰が言ったか「うしおんな」と呼ぶようになりました。
女は耳が聞こえず、口もきけなかったのですが、力が強く、やさしかったので、村人は力仕事を頼み、いくばくかの金を支払いました。
女はそのお金で子供を育てました。
女は子供を可愛がり、子供も母を慕って、どこに行くのも一緒でした。
しかし、女は重病にかかりました。もし、自分が死んだら、何かに化けて、たった一人残されたこの子を守ろうと思いました。
牛女は死に、幼い男の子が残されました。
村の人々はみんな、牛女を哀れみました。
人々は寄り集まり、牛女の葬儀を出して、墓地に埋めてやりました。
そうして、残った子供をみんなで育てました。
子供は大きくなると町に出て懸命に働き、お金持ちになって村に帰ってきました。
そして、貧しい村を豊かにするために林檎(りんご)の苗を買い、村に植えました。
けれど、収穫の時期になると害虫が取りついて林檎は全滅しました。
次の年も、その次の年も同じでした。さらに次の年、また害虫が実に取つきかけたとき、たくさんの蝙蝠(こうもり)が飛んで来ました。
その中に、一匹、とびぬけて大きな蝙蝠がいて、女王のように他の蝙蝠をひきいて、害虫を全て食べ尽くし、林檎の実を守りました。
村の人々は語らいました。
「牛女が蝙蝠になって、子供の身の上を守るんだ」
それから、4、5年のあと、牛女の子供は、この村で幸福な身の上の百姓になりました。

○所感.

なぜ、このような日本の童話がシルクロードの旅行記で語られるのか不思議に思われるかも知れません。でも、宮本輝は、シルクロードとはほとんど関係のない、童話や小説、詩、あるいは自らの体験を無数に語るのです。
牛女の愛は無償の愛ですね。何の見返りもいらない本当の愛です。
私もこのような愛情の深い、心豊かな人になりたい。
そんな風に思うのです。



以前、「ちいさなくれよん」という童話をご紹介しています。
その「ちいさなくれよん」は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2015-03-19 06:34 | 一般書籍のご案内 | Comments(2)


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