カテゴリ:千早抄 (体験談)( 12 )

千早抄 (まえがき)


☆千早さんの人間革命の物語。

この物語は、千早さんの幼少期から現在までを記事にしたものです。
千早さんとは、ひらがな御書を通じて交流を深めてきました。
そもそも、私が御書のひらがな訳について支援したいと思ったのは、千早さんの目が見えないことを可哀そうに思ったからです。
「自分だけ読んで、千早さんが読めないなんて不平等だ」
「自在会の人たちが御書を読める環境を整えなければならない」
その気持ちから、ひらがな御書をスタートしました。
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○全20編を収録しました。

しかし、交流が深まるにつれて、千早さんに対する印象が変わっていきました。
「可哀そうな人」から「凄い人」へと認識が変化したのです。
それは、以下の理由からです。
①家族の中で唯一、創価学会員で信心を貫いている。
②目が見えないのに仕事をして家計を支えている。
③治療院で延べ一万数千人に治療を施した。
どうでしょう。この千早さんの人生を失笑する人がいるでしょうか?
私は千早さんをインタビューしたメモから、3編の千早抄本文と、7編の付属記事、さらに10編の絵の紹介記事を作成しました。
私は、これらの記事が、多くの人たちに勇気と希望を与えると信じています。
以下に、千早抄を示します。ぜひ、最後までご覧になってください。
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by sokanomori3 | 2014-08-21 06:33 | 千早抄 (体験談) | Comments(0)

千早さんの家へ


☆千早さんと再会です!(^^)

以下に、ANAの飛行機と飛行中の写真を3枚添付します。
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写真解説.「1枚目は旅客機の外観。2枚目は窓から撮影した写真。前方に右翼があり、眼下に雲が見えます。3枚目は上空から撮影した雲の合間に見えた積雪が残る山の写真」

昨年4月、私は千早さんにお会いしました。
当時の記事は、→ここをクリック!
千早さんとの別れ際、「また、お会いしましょう」と申し上げました。
その「いつか」は、5年、あるいは10年の未来かも知れませんでした。
ともかく、いつか再び会う日が来ると信じていました。
本年4月初頭、私はひらがな御書のカタチを作り上げました。
年の始めからパソコン教室に通い、構想を練り、ホームページを立ち上げたのです。
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○約束を果たすために。

「これで、ひとまず目標はクリアした」
心地よい疲労感の中で、千早さんのことを思い浮かべました。
「一体、千早さんはどんな町に、どんな家族と共に暮らしているんだろう」
そして、「あの約束、早い方がいいよな」と思いました。
今年がいい。早い方がいい。電話したところ、「いつでも大丈夫」とのこと。
「では、今月にいたしましょう」と申し上げました。
飛行機とホテルの予約を取り、4月末に飛行機に乗りました。
1泊2日の、まさにトンボ返りです。
千早さんとしては、受け入れをいろいろお考えのようでした。
私は「何もいりません。盛大に迎えられても困ります。私は、ありのままの千早家にお伺いし、お話を聞かしていただければ十分です」と答えました。
そう、私は再会できればそれでいいのですから。
飛行機は雲の上を飛び、眼下に積雪の残る山が見えました。

○千早さんの家へ。

空港で食事をとり、千早さんの町へ移動しました。
春の花が随所に咲き、清々しい新緑が出迎えてくれました。
眼前に千早さんの家が現れました。感無量になりました。
「あゝ、ここが千早さんの家なんだ!」
しばらく家を眺めていましたが、私は反対方向に歩き始めました。
訪ねるにはまだ早いと思ったのです。ほんの少し、周囲を見たかったので。
空は薄曇り。春のそよ風が吹いていました。
緑、小道、大通り、山が見えました。一羽の白鷺が空を飛びました。
千早さんが住む町の風景に、じわじわと喜びが込み上げてきました。
再び、千早さんの家の前に立ち、携帯電話から電話しました。
「今、家の前にいますよ!」
ドアが開き、千早さんの声が聞こえました。
最初に千早さんの笑顔が見えました。
続いてお母さんの姿が見えました。
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by sokanomori3 | 2014-08-20 21:59 | 千早抄 (体験談) | Comments(2)

千早さんの部屋


☆仏壇と盲導犬の写真集。

以下に、千早さんの部屋の白い仏壇と盲導犬の写真集の映像を添付します。
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写真解説.「1枚目は千早さんの部屋の写真で、向かって左から、白い厨子型の仏壇、写真立てのあるサイドテーブル、タンスがあります。2枚目は、元盲導犬が水遊びをしている写真集の映像です」

前回の記事は、→ここをクリック!
千早さんとお母さんにご挨拶申し上げると、すぐに千早さんの部屋に通されました。
そこには、千早さんのブログの写真で見たことのある白い仏壇がありました。
思った以上に大きく、通常の逗子型より一回り大きいものでした。
扉の四隅に丸い装飾品が付いていて、オシャレな仏壇です。
お題目を三唱して、しばし部屋の中を眺めました。
この部屋は、婦人部の小会合でも使われているとのこと。
室内には、亡くなられたお父様の写真が飾られていました。ハンサムなお父さんでした。
やがて、お茶が出され、しばし雑談‥

○盲導犬の楽しい余生。

部屋の棚に千早さんのパートナーだった盲導犬の写真を発見。
写真集を見させていただきましたが、引退後の幸せな生活が収められてました。
水遊びが大好きなのだそうです。(白い犬が千早さんの元盲導犬)
この盲導犬は、千早さんの部屋の片隅に6年余も一緒にいたのです。
千早さんの勤行、唱題を聞いていた盲導犬‥
今、その盲導犬は、余生を楽しく生きているのです。
どうですか、この喜びに満ちた姿‥
福運ですね。犬にも功徳がありますね。

○千早さんの法城。


千早さんのお母様を始めとするご家族さまと交流させていただきました。
犬の小次郎ちゃんもいました。超可愛かった!(^^)
この家族の中で、学会員は千早さんだけです。
千早さんは、内得信仰(ないとくしんこう)を経て21歳の時に御本尊を受けられました。
今は亡きお父様も、ご健在のお母様も、当初、創価学会の信心に猛反対されました。
現在も千早家には、創価学会の仏壇と共に、神棚と真言宗の仏壇があります。
一つ屋根の下に3つの宗教が共存しているのです。
私は福子(ふくし)ですし、千早さんの環境とはまるで違います。
けれど、スゴイと思うのです。何故なら、千早さんは一家の先駆者なのですから。
今では千早さんの宗教は公のもので、この部屋で小会合も行われ、ブログで知り合った学会員が訪れるまでになりました。(笑)
仏法が堅固で、諸悪を防ぐことを法城といいます。
千早さんの部屋は法城なのだと思いました。
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by sokanomori3 | 2014-08-20 21:58 | 千早抄 (体験談) | Comments(2)

千早治療院



☆鍼とあん摩マッサージ。


以下に、帽子をかぶった千早さんの後ろ姿の写真を添付します。
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写真解説.「白い帽子に赤いリボンが付いています。服装はベージュのジャケットと青いGパンです」


前回の記事は、→ここをクリック!
次に、治療院の見学をしました。
とても近代的な治療院で、待合室があり、広い治療室があります。
治療室の中央に真っ白なシーツのベッドがあります。
天井に2台のスピーカーがあって、リラックスできる音楽が流れていました。
壁に「あん摩マッサージ指圧免許許証」が掛かっていました。
許可の文言と共に、千早さんの名前、生年月日、県知事名、免許証番号が書かれた免状に大きな威厳を感じました。
千早さんは、この他、鍼灸の免許も取得されております。
3年間の技能講習を経て検定試験に合格され、治療院の独立開業後、今日まで延べ1万数千人の患者さんの抜苦与楽(ばっくよらく)を果たされたのです。
手足のしびれ、痛みなど、症状からマッサージや鍼を使い分けます。
室内には、カルテを書くデスク、治療用具を滅菌するオートクレーブや殺菌箱などがあり、本格的な施設でした。(カルテはパソコンで書きます)
「スゴイな‥ここが、あなたのお城なんですね‥」
私は、しばらく、呆然とたたずんでいました。
千早さんは、社会人として立派に仕事をされ、家計の柱となられています。
視覚障がい者の千早さん。けれど、その運命を使命へと開かれました。
立派です。ほんとうに素晴らしい。(^^)
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by sokanomori3 | 2014-08-20 21:57 | 千早抄 (体験談) | Comments(0)

夕食後に同時放送へ


☆千早家カレーは超美味い。

以下に、千早さんのお母さんの手作りカレーの写真を添付します。
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写真解説.「白いテーブルに並べられた千早家カレーとサラダの映像です。サラダはハム入り」


前回の記事は、→ここをクリック!
私が千早さんの家にお邪魔することになったとき、事前に質問がありました。
話しているうちに、私への食事の情報収集と分かりました。
私は、「千早さんが日頃食べているフツーの食事がいい」と申し上げていました。
訪問した初日、早めの時間帯で夕食となりました。
と、いいますのも、この日、同時放送があり、その会合に地元の学会員さんと一緒に参加することになっていたのです。

○千早家カレー。


夕飯は‥お母さんの手作りカレーでした。(^^)
ちよさんのご自宅にお邪魔したときの食事もカレーでした。
私、そのことを旧創価の森ブログで記事にしていましたし、カレーが好みであることは千早さんも御承知だったのですが、そのことを伝え聞いたお母さんが真心の「いつもの千早家カレー」を作ってくださったのです。
そのカレー、超美味かった。大感動のカレーだったのです。
どうでしょう。過去のどのカレーより美味しいと言うとお叱りをいただくかも知れませんね。
でも、きっと、千早さんに対するお母さんの愛の結晶なんでしょう。
感動で、胸が締め付けられるような、本当に美味しいカレーでした。
このステキな食事の後、地元の会館に出向きました。

○同時放送へ。

1台のクルマが千早さんの家に到着しました。
そのクルマには地元の学会員さんが‥
最初に、「この人が、あの創価の森ブログの菊川さんです」と紹介されました。
何とも初対面で恥ずかしく、モジモジしてしまいました。(^^:
車中で元気な婦人部さんの対話が続き、ほどなくして会館に到着しました。
この同時放送は、特別な会合になりました。
新学会歌「誓いの青年(きみ)よ」が発表されたからです。
その新学会歌は、→ここをクリック!
新しい創価の歌を、私は千早さんと共に聞きました。
会合が終わり、沢山の人たちがロビーにいました。
幾人かの方が、私に挨拶をしてくださいました。
そして、予約していたホテルまでお送りいただきました。
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by sokanomori3 | 2014-08-20 21:56 | 千早抄 (体験談) | Comments(6)

千早家の壺


☆千早さんの御祖母様の形見。

以下に、千早さんの御祖母様の青い壺の写真を添付します。
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写真解説.「畳の上に、千早さんの御祖母様から受け継いだ「傷が付いた濃い青色の壺」が置かれています」


前回の記事は、→ここをクリック!
翌日は、千早さんのインタビューをする予定でした。
私はホテルでゆっくりと朝食をとり、再び千早さんの家に出向きました。
2日目、すっかり千早家の一員になったような気分‥
朝の勤行を千早さんと共にしました。

○千早家の壺の秘密。


千早さんの家には、いろいろオシャレな置物や飾り物があります。
あらためて家のあちこちを拝見すると、とても面白いのです。
多くは、お母さんの趣味で飾られているとのことでした。
私が、1つの焼き物(花瓶)を感心して見ていると、お母さんが別の部屋から青色の壺をお持ちになりました。
千早家にある花瓶や壺は、もともと千早さんの御祖母様が焼き物の職場で仕事をされていたときに、本来なら廃棄するような傷物の焼き物を持ち帰られたのだそうです。
確かに、この壺には大きな傷と色むらがありました。
私が手に触って見た後に、千早さんも触りました。
そのとき、「これ、青色の壺だよね」と千早さんが言いました。
「えっ、どうして色がわかるの?」と聞くと、
「まだ、目が見えていた時からあった壺だから」とのこと。
「じゃあ、随分、昔からあったということだね‥」
何だか、千早さんの目が見えなくなったことを思い出し、私はセンチメンタルな気持ちになりました。その時、お母さんが私に言いました。
「これは私の母が働いていた焼き物の職場から、せっかく生まれてきたんだからって、持ち帰った壺なんです」
何という深い愛情の言葉でしょう。
私は「せっかく生まれてきたんだから」という言葉にシビレていました。
しばしの沈黙の後、お母さんが言葉を添えられました。
「これ、もしよろしければ差し上げますよ」
ビックリして、「え?‥いいんですか?大事なものではありませんか?」と聞くと、
「いいんです。ご迷惑でなければ」‥
私は、胸が熱くなり、瞬時に答えていました。
「お母さんの真心です。頂戴します。ありがとうございます」

この後、私は長時間のインタビューをさせていただきました。
千早さんの生い立ちから失明、入信から今日までの歩みのすべてを‥
その体験談を「千早抄」という物語にまとめます。
では、次回から、お話いたしましょう。
その千早抄は、→ここをクリック!

追伸:この壺に後日、花(シャクヤク)を活けました。
その記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2014-08-20 21:55 | 千早抄 (体験談) | Comments(0)

千早抄 1 <網膜色素変性症>


☆絵が大好きな子供。

以下に、中学生のときの千早さんのスケッチブックと画用紙の写真を添付します。
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写真解説.「スケッチブックはオレンジ色で、その表紙に千早さんのイラストとサインが書かれています。画用紙は丸められて長年保管されていたため、すっかり筒状に固まっていました」

千早さんは次女として生まれた。
1歳上に姉がいた。
千早さんは幼少のころから目に障がいがあった。
テレビなど、極端に近くで見ていたという。
幼稚園からメガネをかけた。メガネで得られた視力は0.1であった。
近くはメガネをかけなくてもはっきり見えていた。
おとなしい、消極的な子供だったという。

○競争心のない子供。

小さなときから絵を描くのが好きだった。
小学6年の時、ブラックジャックの漫画を見て、「看護師になりたい」と作文に書いた。
けれど、本当になりたいと思ったのではない。
将来的に、何かをしたいという目標や夢は持っていなかった。
千早さんは語っている。
「意欲のない子供でした。今もそうですが、勝ち負けに興味がないんです。負けて悔しいとかないし、最初から勝てる気もしないし、勉強ができるようになりたいとか、何かで勝とうとか、そういうことを考えない子供でした」
競争心のない子供。運動会でも7~8名で走ってビリか、ビリから2番目だった。
「ちゃんと一生懸命走っていますよ。でも、悔しいとかありません」
見方によっては優しい、平和な子供である。
やがて中学校に進学する。
姉と千早さんと友人とで、漫画を描き始めた。熱中した。
手塚治虫の漫画の描き方の本を読み、コンクールに応募したこともある。
イラスト、水彩画、様々なものを楽しく描いた。
千早さんの当時の作品は、→ここをクリック!

○目が見えなくなっていく。

英語、国語、理科が好きだった。生物とか、星とか、元素とかに興味があったという。
原子のまわりを電子がくるくるまわる。太陽のまわりを地球がまわる‥
不思議に思った。一方、地理と歴史が嫌いだった。
「先生の教え方が悪かったのかも」と笑う。
そんな千早さんの目が徐々に見えなくなっていく。
幼少のころから、教室の席は一番前だった。矯正視力0.1の目で何とか見ていた。
しかし、中学3年のとき、一番前の席から黒板の字が見えなくなった。
そのとき、千早さんは席替えで一番後ろの席を選んだという。
一番前の席しか座ったことのない千早さんにとって、後ろの席は憧れだった。
「どうせ見えないから、どこでもいいわけです。一番後ろに行きました。嬉しかった。もちろん、黒板の字は見えません。先生の言葉を聞きながらノートをとりました」
遠くが見えなくなった千早さん。
その千早さんの目は、やがて近くも見えなくなる。

○網膜色素変性症。

高校入学当初、近くが見にくくなった。
高校2年生のとき、テスト用紙の文字が見えなくなった。
これでは学校を続けることはできない。
やがて教科書も見えなくなった。かすかに見えるものの、読むのに時間がかかった。
太い線のノートを見つけ、太いマジックでノートをとった。
千早さんの目は、それから さらに見えなくなっていく。
高校2年生の時、視力障がいの原因が「網膜色素変性症」であることが分かった。
医師から「言いにくいことですが、将来、失明する可能性が高い病気です」と告げられた。
その話に、ショックはなかったという。
ただ、「将来、自分はどうすればいいのだろう」と漠然と不安だったという。
千早さんは、高校2年生の3学期に盲学校に転校した。
そこには4人の生徒がいた。
男子生徒3人、女子生徒1人。そこに千早さんが加わった。
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by sokanomori3 | 2014-08-20 21:54 | 千早抄 (体験談) | Comments(2)

千早抄 2 <創価学会に入信>


☆人間関係に悩み入信する。

以下に、千早さんの点字板と点字用紙の写真を添付します。
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写真解説.「千早さんの治療院にある点字版と点字用紙。スケジュールが記されている」


網膜色素変性症‥それは失明する病である。
千早さんはそのことを悩まなかった。かなり見えない状態に至っていたが、視力の低下は緩やかな進行だったし、悲嘆に暮れるような心境ではなかった。
しかし、千早さんは別のことで大きな悩みを抱えた。

○人間関係が作れない!?

それは、盲学校に転校してから3ヵ月が経過した時のこと。
高校3年生になったばかりの千早さんが人間関係に悩み始める。
それまで楽しい盲学校生活だった。
意地の悪い人は誰もいない。いい人ばかり‥
その中で、人間関係を作れない自分がいた。
仲良くなりたい。でも、何を話せばいいのか分からない。緊張感がいつもあって、委縮してしまう。そんな自分が嫌でたまらない。やがて、心の中に「死にたい」という気持ちが生じるようになったという。
盲学校3年の春、金沢の東尋坊に修学旅行に行った。
「自殺の名所なんです。ここから飛び降りれば死ねるって、そんなことを考えているんです」
やがて、教室で机に伏せて顔があげられなくなった。
駄目な自分、暗い自分、いい人の中でだめになっていく情けない自分。
やがて、「馬鹿で阿呆で、こんな人間は死ねばいい」と思い悩む日々に‥
けれど、「自殺をしたら成仏できない」というような話を聞いた。
「死ねないけど生きていけないというような、針のむしろのような毎日でした」
このように、千早さんの心は真っ暗になった。

○仏法の話を聞く。

このとき、創価学会の幼馴染から8mm映写会に誘われた。
参加したが、視力が悪くて よく見えない。
意味も分からない。興味もない。何とも思わない。
映写会が終わったとき、3つの話を聞いた。
「暗い人も明るくなれるんよ。祈りとして叶わざるなしの御本尊なんよ。諸天善神が護ってくれるんよ‥この3つのことを教えてくれたんです。学会の信心をすると迫害があるとも」
「藁でもなんでもね、嘘でも、気のせいでもいいと思ったんです。生きていけるのならと。ちょっとでも変われるならやってみようと」
千早さんは内得信仰(ないとくしんこう)を始めた。
東を向いて唱題を始めた。
親は反対した。千早さんには個室がなかった。仕方なく、親がいない時間帯で唱題した。
やがて盲学校(高校)を卒業。鍼灸、あん摩の技能訓練の3年間の生活へ。
当時、6畳の和室に神棚、もう1つの8畳の和室に真言宗の仏壇があった。
2部屋しかない千早家を他宗の祭壇が占拠していた。
同じ部屋に御本尊を安置できない‥
毎日、女子部のお姉さんの家に行き、お題目を唱えた。
ある日、部屋の模様替えが行われた。そのとき、仏壇が置けるスペースが生まれた。
親に「御本尊をもらいたいんよ。そのためにこの神棚を移動してほしい」と言った。
すると、驚いたことに神棚を別室に移動してくれた。
このことで、御本尊様を頂くことができた。

○初心の功徳。


千早さんは20歳で入信、21歳で御本尊を受けている。
「みんなとうまくやっていけますように、学校が楽しくなりますように」‥
大きな声で、必死に祈ったという。すると、足を引きずって学校に通っていた千早さんが、笑顔で学校に行けるようになったという。
「信心を始めて千早さん、あかるくなったね」と同級生から言われた。
「ほがらかになったね」と先生からも。
友人と話ができるようになった。こころの中に歓喜が生まれた。
同級生に仏法対話を始めた。
「ねえ、創価学会って しっとる?」
1人、1人に声をかけた。
対人関係が築ける千早さんになった。これが初心の功徳である。
やがて千早さんは、鍼灸マッサージの認定試験に合格する。
進路を決める時が来た。担任講師と話し合った。
住み込みはしたくなかった。信心を続けたかったから。
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by sokanomori3 | 2014-08-20 21:53 | 千早抄 (体験談) | Comments(2)

千早抄3 <人間革命>


☆信心で乗り越えてきた人生。

以下に、千早治療院に置かれていた置物と治療器具の写真を添付します。
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写真解説.「1枚目は、千早治療院に置かれていた猫の置物。金属でできた味わいのある形の猫が2体あります。2枚目はオートクレーブ。高熱にして消毒する装置」


鍼灸マッサージの認定試験に合格し、先生に進路を聞かれた。
そのとき、「信心を続けたいので、住み込みはしたくありません」と言った。
就職しなければ、もう一つの道は独立開業である。
開業を支援する業者を紹介してもらった。
業者とのやり取りで資金調達を果たし、治療院の開業を果たすのである。
当時の自宅には、10畳ほどの土間があった。
そこを治療室に使うことにした。

○千早治療室の誕生。

幸いなことに母親の兄弟が大工だった。そこで安く治療室を作ってもらった。
機具、機材を購入し、22歳の時に開業した。
「あの暗く頼りない私が、開業して院長になったんです。信心していなければできなかったこと。私が接客するとか、人の治療をするなんて‥考えられないことです」
「開業に不安はありましたが、お題目をあげれば何とかできるのではないかと考えました」
死んだ方がいいと思い悩んでいた千早さん。それが治療院の院長になった。
オープン当日は大雨だった。
誰も来ないと思っていたら、3人の患者さんが来た。
千早さんは、最初の治療について「今から思うと、ままごとでした」と笑う。

○お父さんの死。

当時、千早さんの家は小さく、部屋数もなかった。
朝に夕に唱えるお題目に、家族はさらされた。
お父さんから、「うるさい」、「このキチガイ」と言われた。
お母さんから、「あゝ、うるさいねー」とも。
けれど、そんな家族も、千早さんの信仰を少しずつ理解してくれるようになった。
千早さんが30歳の時、お父さんが亡くなった。肝臓癌だった。
死の3日前、病院を抜け出して自宅にお父さんが帰ってきた。
ストーブのそばでお題目をあげていた千早さんが、「一緒にお題目あげよう」と言った。
するとお父さんが言った。
「あげん。でも、俺は、ちいっとしよった。声には出さんけどの」
お父さんは心の中で題目を唱えていたのである。
その2日後、お父さんは亡くなった。
千早さんは語る。
「御本尊様は、無慈悲ではなかったと思いました」

○千早治療院の今。

千早さんは、今も治療院を経営している。
お母さまと、お姉さんの家族と、新しく建てた家に生活されている。
開業当時から生活費を入れ、一家の生活の柱として歩んできた。
その治療は1万数千人に及ぶ。
体のしびれや痛みを聞いて、鍼やマッサージで治療を施す。
頼まれて、往診治療に出向くこともある。
ある夜、ぎっくり腰で動けない患者さんから連絡があった。
行くと、ナイフで刺されているようなうめき声‥
本来、ぎっくり腰でうつぶせになるのは良くないが、治療を受けようした患者さんが わざわざうつぶせになっていた。
触ると悶絶する。「私を呼ぶより、救急車を呼んでほしかった」と千早さん。
胸中唱題をしながら体を横に向かせ、手足からマッサージを始めた。
やがて、痛みが和らいだ。
そんな治療ができる千早さんである。

途中、有頂天にもなったという。惰性にもなったという。
3年前、親指を痛めた。今、そのことで悩んでいる。
ときどき出る「うごけん病」で、精神的に不安になることがある。
うごけん病とは、うつ症状のことで、千早さんが名づけた自らの病名である。
けれど、御本尊に祈り、信心で全てを乗り越えてきた。
だから、これからも、千早さんは一切を乗り越えていくことだろう。
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by sokanomori3 | 2014-08-20 21:52 | 千早抄 (体験談) | Comments(6)

新しい絆の誕生


☆夢のような旅行でした。^^

以下に、帰りの飛行機と駅のプラットホームの写真を添付します。
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写真解説.「1枚目は夜の滑走路、2枚目は到着した航空機。3枚目は自宅に向かう途中のJRのプラットホーム」


こうして、千早さんのインタビューを終えました。
インタビュー記事は、→ここをクリック!
千早さんのご家族の皆さまともお話しできましたし、犬の小次郎ちゃん、また、地元の学会員さんとも交流させていただきました。(^^)
私は、すっかり満足して帰路につきました。
千早さんのありのままの生活を知り、とても安心したのです。まさに百聞は一見にしかずで、ご家族や職場を拝見できたことは本当に素晴らしい出来事でした。
特に印象的なことは、この世で一番、千早さんを愛しているのはお母さんだということでした。そのお母さんが私にくださった壺‥
そして、別れ際、「これからも千早を励ましてやってください」とおっしゃったこと‥
初めてお会いし、初めて言葉を交わし、ほんの束の間の滞在でしたが、新しい絆が生まれました。そのことが、とても嬉しいです。
夕暮れの滑走路から、帰りの飛行機が飛び立ちました。
飛行機は星空の上を飛びました。
やがて眼下に夜景が見え、飛行機は滑走路に降りたちました。
空港から電車を乗り継いで自宅に戻りました。
自宅の仏壇の前に座り、感謝の心で手を合わせました。
こうして、夢のような旅行が終わりました。
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by sokanomori3 | 2014-08-20 21:51 | 千早抄 (体験談) | Comments(0)


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