カテゴリ:ひらがな御書に学ぶ( 25 )

日蓮大聖人と極楽寺良観との祈雨対決


☆学会と宗門の関係に酷似.


頼基陳状(よりもとちんじょう)に、恐るべき極楽寺良観の悪行が記されている。
その悪行とは祈雨対決で負けたことを怨み、大聖人を殺害せんとしたことである。
詳しく申し上げるならば、祈雨対決で7日のうちに雨が降れば、大聖人は良観の弟子となる、逆に雨が降らなければ良観が大聖人の弟子となる、という実証での対決をしたが、結果、雨が降らず、さらに7日を加えた祈祷においても雨が降らなかった。
結果、良観は大聖人の弟子とならず、「日蓮を死罪にすべき」との申し状を提出した。
そのことで、日蓮大聖人は竜の口法難に至る。
御書1157ページには以下の内容が記されている。
(先に平仮名文、次に原文を示す)

くびを はねらるべき よしの もうしじょうを かきて 
さつざいに もうし おこなわれ そうらいしが いかが そうろうけむ  
しざいを やめて さどの しままで おんる せられ そうらいしは 
りょうかんどのの しょぎょうに そうらわずや.

頸を はねらるべき 由の 申し状を 書きて
殺罪に 申し 行はれ候しが いかが候けむ
死罪を止て 佐渡の島まで 遠流せられ 候しは
良観上人の 所行に 候はずや
.

日蓮大聖人が竜の口法難、佐渡流罪になった原因は、極楽寺良観の企てであった。
では、そのきっかけとなった祈雨対決とは具体的にどのようなものだったのか。
以下に、御書1157、1158ページからその描写の御文を示す。
(先に平仮名文、次に原文を示す)

いぬる ぶんえい 8ねん 6がつ 18にち だいかんばつの とき 
かの ごぼう きうの ほうを おこないて 
ばんみんを たすけんと もうしつけ そうろう よし 
にちれんしょうにん ききたまいて これていは しょうじ なれども 
この ついでに にちれんが ほうけんを ばんにんに しらせばやと おおせありて 
りょうかんぼうの ところに つかわすに いわく 
なのかのうちに ふらしたまわば にちれんが ねんぶつむけんと もうす ほうもんをすてて 
りょうかんしょうにんの でしと なりて 250かい たもつべし  
あめ ふらぬ ほどならば かの ごぼうの じかいげ なるが 
だいおうわく なるは けんねん なるべし  
じょうだいも あまごいに つけて しょうぶを けっしたる れい これ おおし  
いわゆる ごみょうと でんぎょうだいしと しゅびんと こうぼうと なり  
よりて りょうかんぼうの もとへ しゅうぼうぼう 
いるさわのにゅうどうと もうす ねんぶつしゃを つかわす  
ごぼうと にゅうどうは りょうかんが でし また ねんぶつしゃ なり  
いまに にちれんが ほうもんを もちうる ことなし  
これを もって しょうぶと せん  
なのかの うちに あめ ふる ならば もとの はっさいかい ねんぶつを もって 
おうじょう すべしと おもうべし  
また ふらずば いっこうに ほけきょうに なるべしと いわれ しかば 
これら よろこびて ごくらくじのりょうかんぼうに このよしを もうし そうらいけり  
りょうかんぼう よろこびないて なのかの うちに あめ ふらすべき よしにて 
でし 120よにん あたま より けむりを だし こえを てんに ひびかし 
あるいは ねんぶつ あるいは せいうきょう あるいは ほけきょう 
あるいは はっさいきょうを ときて しゅじゅに きせいす  
し ごにち まで あめのけ なければ たましいを うしないて 
たほうじの でしら すうひゃくにん よびあつめて ちからを つくし いのりたるに 
なのかの うちに つゆ ばかりも あめ ふらず  
そのとき にいちれんしょうにん つかいを よこす こと さんどに およぶ  
いかに いずみしきぶと いいし いんにょ のういんほっしっと もうせし はかいのそう 
きょうげんきごの 31じを もって たちまちに ふらせし あめを 
じかい じりつの りょうかんぼうは ほっけ しんじつの ぎりを きわめ 
じひ だいいちと きこえ たもう しょうにんの すうひゃくにんの しゅうとを ひきいて 
なのかの あいだに いかに ふらし たまわぬやらむ  
これを もって おもい たまえ  
いちじいょうの ほりを こえざるもの にじょう さんじょうの ほりを こえてんや  
やすき あめをだに ふらし たまわず  
いわんや かたき おうじょう じょうぶつをや.

去る 文永八年 六月十八日 大旱魃の 時
彼の御房 祈雨の法を 行いて 万民を たすけんと 申し付け 候由
日蓮聖人 聞き 給いて 此体は 小事 なれども
此の次でに 日蓮が 法験を 万人に 知らせばやと 仰せありて
良観房の所へ つかはすに 云く
七日の内に ふらし給はば 日蓮が 念仏無間と申す 法門すてて
良観上人の弟子と 成りて 二百五十戒 持つべし
雨 ふらぬ ほどならば 彼の御房の 持戒気なるが
大誑惑 なるは 顕然 なるべし
上代も 祈雨に付て 勝負を 決したる例 これ多し
所謂 護命と伝教大師と 守敏と弘法と なり
仍て 良観房の所へ 周防房、入沢の入道と 申す 念仏者を遣わす
御房と入道は 良観が弟子 又 念仏者なり
いまに 日蓮が 法門を 用うる 事なし
是を以て 勝負とせむ
七日の内に 雨 降るならば 本の八斎戒 念仏を以て 往生すべしと 思うべし
又 雨らずば 一向に 法華経になるべしと いはれしかば
是等 悦びて 極楽寺の 良観房に 此の由を 申し候けり
良観房 悦びないて 七日の内に 雨 ふらすべき 由にて
弟子 百二十余人 頭より 煙を出し 声を 天に ひびかし
或は 念仏 或は 請雨経 或は 法華経
或は 八斎戒を説きて 種種に祈請す
四 五日まで 雨の気 無ければ たましゐを失いて
多宝寺の 弟子等 数百人 呼び集めて 力を尽し 祈りたるに
七日の内に 露ばかりも 雨 降らず
其の時 日蓮聖人 使を遣す事 三度に及ぶ
いかに 泉式部と 云いし 婬女 能因法師と 申せし 破戒の僧
狂言綺語の 三十一字を以て 忽に ふらせし 雨を
持戒 持律の 良観房は 法華 真言の 義理を極め
慈悲 第一と 聞へ給う 上人の数百人の 衆徒を率いて
七日の間に いかに ふらし 給はぬやらむ
是を以て 思ひ給へ
一丈の堀を 越えざる 者 二丈 三丈の 堀を 越えてんや
やすき雨をだに ふらし 給はず
況や かたき 往生 成仏をや
.

極楽寺良観は祈雨対決に決定的な敗北を喫した。
当時、この対決は鎌倉中に知れ渡っていたことだろう。
法論に勝てない良観は、唯一の活路を祈雨にかけた。
しかし、一滴の雨をも降らすことができず、無力さを世に知らしめた。
この時、良観は「民衆を救わんとする行為を妨害する日蓮であるから死罪にせよ」と上申するのである。生き仏と讃えられた良観が、である。

この史実に、改めて大聖人の揺るぎない確信に驚かされた。
「もし、雨が降ったらとお考えにならなかったのだろうか」
「ほんの少し、パラパラと雨が降る予測はされなかったのか」
もし、ほんの少し雨が降ったなら、良観は「降った」と言い訳もできたろう。
されど、一滴も降らなかった。現証として完璧だった。
でも雨が降ったら、大聖人は「法華経を捨てて弟子となる」とのこと。
これは命がけの対決だったことになる。

思うに、この極楽寺良観、現代の悪僧と類似していないか。
そう、阿倍日顕である。池田先生を亡き者にしようとした日顕・・
大聖人が仏であるが故に、魔の出現があったように、池田先生もまた現代の仏であるが故にまったく同類の魔が出現したということなのだろう。
良観一派は滅びた。日顕宗の未来も同じであろう。
今、創価は池田先生と共に大発展を遂げている。日顕宗は没落の一途である。
池田門下、創価の偉大は、日顕宗によって証明されるということか。
何と不思議な符号であろうか。

今、小説・新人間革命で、克明に日顕宗の問題が語られている。
以下に、その第30巻の読書感想文URLを示す。
http://sokamori2.exblog.jp/i49/



尚、大聖人は、良観に使者を出し、速やかに大聖人の弟子になるように伝えている。
その内容をご参考までに、以下に抜粋する。
(先に平仮名文、次に原文を示す)

しかれば いまよりは にちれん うらみ たもう じゃけんをば 
これを もって ひるがえし たまえ  
ごしょう おそろしく おぼし たまわば やくそくの ままに いそぎ きたり たまえ  
あめ ふらす ほうと ほとけに なる みち おしえ たてまつらむ  
なのかの うちに あめ こそ ふらし たまわざらめ  
かんばつ いよいよ こうせいに はっぷう ますます ふきつもりて  
たみの なげき いよいよ ふかし  
すみやかに その いのり やめたまえと 
だいしちにいちの さるの とき ししゃ ありのままに もうす ところに
りょうかんぼうは なみだを ながす
でし だんな おなじく こえを おしまず くやしがる
にちれん ごかんきを こうむる とき このこと おたずね ありしかば 
ありの ままに もうし たまいき  
しかれば りょうかんぼう みのうえの はじを おもわば 
あとを くらまして さんりんにも まじわり 
やくそくの ままに にちれんが でしとも なりたらば
どうしんの すこしにでも あるべきに 
さわなくして むじんの ざんげんを かまえて さつざいに もうし おこなわむと せしは 
とうとき そうかと にちれんしょうにん かたり たまいき  
また よりもとも みきき そうらいき.

然れば 今よりは 日蓮 怨み給う 邪見をば
是を以て 翻えし 給へ
後生 をそろしく をぼし給はば 約束のままに いそぎ 来り給へ
雨 ふらす法と 仏になる道 をしへ 奉らむ
七日の内に 雨 こそ ふらし 給はざらめ
旱魃 弥 興盛に 八風 ますます吹き 重りて 民のなげき 弥弥 深し
すみやかに 其のいのり やめ給へと
第七日の 申の時 使者 ありのままに 申す処に
良観房は 涙を流す
弟子 檀那 同じく 声を おしまず 口惜しがる
日蓮 御勘気を 蒙る時 此の事 御尋ね 有りしかば
有りの ままに 申し 給いき
然れば 良観房 身の上の 恥を思はば 跡をくらまして 山林にも まじはり
約束のままに 日蓮が弟子とも なりたらば 道心の 少にてもあるべきに
さはなくして 無尽の 讒言を 構えて 殺罪に 申し行はむと せしは
貴き僧かと 日蓮聖人 かたり 給いき
又 頼基も 見聞き 候き
.

何と無残な極楽寺良観の敗北であろうか。
今の日顕宗そのままではないか。

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by sokanomori3 | 2018-01-20 06:30 | ひらがな御書に学ぶ | Comments(6)

点字の年賀状



☆自在会の友の年賀状.


友人から頂いた点字付きの年賀状をご紹介します。
b0312424_21114830.jpg


年始に届いた年賀状の中に点字の年賀状がありました。
雪の中で元気に戯れる三匹のイヌのイラストの下に次のように記されていました。

「新年、おめでとうございます。皆様のご健康とご多幸をお祈り致します。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
平成三十年 元旦」

加えて、このハガキには点字のポツポツがありました。
一体何が書かれているのでしょうか。
ネタを明かせば、次の内容が書かれていたのです。

「ししおうの ごとく なる こころを もてる もの
かならず ほとけに なるべし」
「こころは ほけきょうを しんずる ゆえに
ぼんてん たいしゃくをも なお おそろしと おもわず」
「2018ねん かんしゃ」

とのことで、心に染みわたる年賀状でした。

師子王の心で堂々と前進する年にいたします。
そして、ひらがな御書も大前進させる年にします。
※※さん、ありがとうございました!

尚、私の年賀状の記事を以下に示します。
sokafree.exblog.jp/27914914/

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by sokanomori3 | 2018-01-12 05:43 | ひらがな御書に学ぶ | Comments(2)

続・日蓮大聖人の晩年の生活


☆大勝利・大幸福の御生涯.


前編の「日蓮大聖人の晩年の生活」に千早さんが次のコメントをくださいました。
以下にそのコメントを添付し、所感を申し述べます。

「大聖人の晩年の御書をいくつか読むととても苦しそうで寂しそうな感じがします。
この信心の意味が心からわかるのは私ももっともっと信心深めないと難しいなあと思うし、
池田先生の御書講義を読んで勉強しないとわからないなあと思います。
本当に凍死しないのが不思議なくらいの状態ですよね‥
どう受け止めたらいいんだろうと思います」
(以上、全コメント)

確かに、大聖人の御生涯は贅沢と無縁でした
しかしながら、間違くなく大幸福、大満足の御一生であられたのです。
大聖人は、幾度も襲撃され、草庵を焼かれ、斬首にまで及ばれました。
生きて帰れないとされた佐渡に流罪もされました。
そうして法華経に説かれる大難の一切を受け切られ、末法万年に御本尊を残されました。

大聖人は、佐渡から鎌倉に帰られたとき、幕府から「他宗と同格の地位を与えよう、そのかわり幕府のために祈祷せよ」と勧められましたが、同格の条件(邪宗を存続させる)であることから、三度目の諌暁を行なわれた後に身延に入山されました。
大聖人は幕府から一切の援助も受けず、尊き御一生を終えられました。

当時の仏教は護国仏教といって、権力者の安泰を祈ることを生業としていました
その見返りに荘園と呼ばれる広大な領地、また資金を得ていました。
一方、日蓮大聖人は仏法本来の目的である「一切衆生の救済」の大願に生きられました。
大仏法を打ち立て、弘めることを望まれて生きられたのです。
故に、護国仏教界の片棒を担ぐことを拒絶されたのです。
そのことで、大聖人の仏法は、日本のみに組した宗教でなく、まさに全世界に開かれた「世界宗教」としての大仏法を完成されたのだと、私は解釈しています。

大聖人の晩年の生活は貧しいように見えるかも知れません
けれど、究極の大御本尊を残され、御書を残され、また日興上人という不二の弟子を残された。
また数々の門下の後継者を残されました。
大聖人は大願を成就されたのですから、大幸福、大満足であられたのです。
そのように拝すべきでありましょう。

秋元御書では、身延入山から6年後の御様子が語られています
例年、冬ともなれば雪が積もる身延でしたが、この時は大雪だったのでしょう。
人が通ることも厳しい残雪の中、必要最低限の装備の草庵に生活されていた。
栄養のバランスも悪く、着るものも乏しくあられた。
けれど、苦しくとも、寂しくはなかったのです。
苦しくはあれども、でも楽しく生きられたのです。
すでに弟子は沢山いましたし、末法の御本仏としての仕事を果たされ尽されたのです。
日興上人という不二の弟子もいた。檀家には四条金吾他の数々の弟子の勝利があった。
立宗宣言の大願は、全部、果たされたのです。

翌年、十間四方の大坊が門下の真心の御供養から完成しました
弟子たちは金剛の決意で信仰を果たしていました。
大聖人は、最後、弟子たちに見守られながら霊鷲山に旅立たれました。
その死は、釈尊の如く旅の途中でした。
釈尊は急病にて死去し、弟子の多くは死に目に会えなかった。
けれど大聖人は、弟子が見守る中で安生として逝かれたのです。
最高に尊く、完璧な御一生であられました。

ですから私は、この秋元御書の厳しい冬の生活の描写から寂しさを感じません。
ただただ、今の生活の贅沢を申し訳なく思うのです。
そして、大感謝をもってこの御書を拝するのです。

前回の日蓮大聖人の晩年の生活」記事URLを添付します。
http://sokafree.exblog.jp/27876336/

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by sokanomori3 | 2017-12-22 05:47 | ひらがな御書に学ぶ | Comments(8)

日蓮大聖人の晩年の生活


☆秋元御書に学ぶ.


大聖人は晩年(御年59歳)、極寒の身延で貧しい生活をされていた。
当時のことを、秋元御書から引用したい。
先に平仮名訳、次に原文にて示す。

ここに あんしつを むすんで てんうを のがれ
きの かわを はぎて しへきとし じしの しかの かわを ころもとし
はるは わらびを おりて みを やしない
あきは このみを ひろいて いのちを ささえ そうらいつる ほどに
こぞ 11がつ より ゆき ふり つみて かいねんの しょうがつ いまにたえることなし
あんしつは しちしゃく ゆきは いちじょう しへきは こおりを かべとし
のきの つららは どうじょう そうごんの ようらくの たまに にたり
うちには ゆきを こめと つむ
もとより ひとも きたらぬ うえ ゆき ふかくして みち ふさがり とう ひとも なき ところ なれば
げんざいに はっかんじごくの ごうを みに つくのへり
いきならが ほとけには ならずして また かんくちょうと もうす とりにも あいにたり
あたまは そること なければ うずらの ごとし.


爰に 庵室を結んで 天雨を脱れ
木の皮を はぎて 四壁とし 自死の 鹿の皮を 衣とし
春は 蕨を折りて 身を養ひ
秋は 果を拾いて 命を支へ候つる程に
去年十一月より 雪降り積て 改年の正月 今に絶る 事なし
庵室は七尺 雪は一丈 四壁は 冰を壁とし
軒の つららは 道場荘厳の 瓔珞の玉に似たり
内には 雪を米と積む
本より人も来らぬ上 雪深くして道塞がり 問う人もなき 処なれば
現在に 八寒地獄の業を 身につぐのへり
生きながら 仏には成らずして 又 寒苦鳥と申す鳥にも 相似たり
頭は 剃る事なければ うづらの 如し.

趣意を申し上げれば、次のような内容です。

山深い身延にある庵室の壁は木の皮を貼っただけの粗末なものです。
自然に死んだ鹿の皮を衣にしている。
ワラビや木の実を収集して命を繋いでいる。
その中、11月から雪が降り積もり、正月に至るまで雪が消えることはありません。
雪は一杖にもおよび、壁は氷となり、軒につららがなり、室内には雪が入るのです。
雪深い身延には人も訪れず、八寒地獄の有様。
年老いて、頭を剃らなければウズラのような頭髪です。
(以上、御書1078ページより)

年齢59歳の時の御書です。御逝去の2年前になります。
佐渡流罪の後、幕府からの寺院建立を断り、身延に入山されました。
一切、幕府からの供養を受け取らず、信者の御供養だけで生活されました。
その晩年の建物は、上記のような粗末なものでした。 
大聖人は、生涯、国からの支援を受けることはありませんでした。
門下信徒の真心のご供養だけで生活されました。
(ただし翌年、身延に十間四面(100坪)の大坊が完成した)
その大坊完成の後、大聖人は霊鷲山に旅立たれました。

いかがでしょうか。これが大聖人の晩年の生活です。
私たちは不平不満を言っていられるでしょうか。
私たちの住む家には冷暖房がある。着るもの、食べるものにも困らない。
鎌倉時代の人々から見れば贅沢極まりない。
不平不満、言ってられないです。

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by sokanomori3 | 2017-12-19 05:43 | ひらがな御書に学ぶ | Comments(3)

南無妙法蓮華経は一切経の神


☆曾谷殿御返事に学ぶ.


ひらがな御書の功徳というのは途方もないものです。
一つひとつの文字を入力するので、読むより、格段に内容が深く入ってくるのです。
曾谷殿御返事(そやどのごへんじ・1063ページ)に心に響く一句を発見。
その御文を以下に示し、所感を申し上げます。

ほけきょうの だいもくは いっさいきょうの たましい いっさいきょうの がんもく なり. 
法華経の題目は一切経の神、一切経の眼目なり. 

いっさいきょうの なかに ほけきょうと もうす だいおう おわします. 
一切経の中に法華経と申す大王をはします. 

法華経の題目が一切経の神であり大王である、と記されていました。
一切経は、釈尊以来、無数の人々が3000年をかけ、現代に伝えた血と汗の遺産です。
題目とは、その途方もない法門の一切を従える神だとのこと。
南無妙法蓮華経は、仏法の魂であり、神である・・
何というありがたい御文でしょうか。

私たちは必ず、全ての悩みを解決できます。
南無妙法蓮華経日蓮の御本尊を仰ぎ、南無妙法蓮華経を唱え、
さらにこの仏法の偉大を広めている私たち。

私たちは絶対に守られる。絶対に大丈夫。
さあ、今日も御本尊を信じ抜き、お題目を唱えましょう。
そして朗らかに前進いたしましょう!

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by sokanomori3 | 2017-12-14 05:54 | ひらがな御書に学ぶ | Comments(3)

上野殿母御前御返事に学ぶ


☆病と寒さに耐える.


上野殿母御前御返事(1583)の一節を以下に申し述べます。
先に平仮名文、次に漢字文を示します。

うえのどの ははごぜん ごへんじ.

この やまに いり そうらいて ことし 12がつ ようかに いたるまで 
この やま いずる こと いっぽも そうらわず  
ただし 8ねんが あいだ やせやまいと もうし 
としと もうし としどしに み よわく 
こころ おぼれ そうらい つるほどに 
ことしは はる より この やまい おこりて 
あき すぎ ふゆに いたるまで ひびに おとろえ 
よよに まさり そうらいつる (中略)  
ゆきは さんかんなり かんは せめ そうろう  
みの ひえる こと いしの ごとし  
むねの つめたき こと こおりの ごとし.

この 山に 入り 候いて 今年十二月八日に いたるまで 
此の 山 出ずる 事 一歩も 候はず  
ただし 八年が 間 やせやまいと 申し 
としと 申し とし どしに 身 ゆわく 
心 をぼれ 候い つるほどに 
今年は 春より 此の やまい をこりて 
秋 すぎ 冬に いたるまで 日日に をとろへ 
夜夜に まさり 候いつる (中略)  
ゆきは かさなり かんは せめ 候  
身の ひゆる 事 石の ごとし  
胸の つめたき 事 氷の ごとし.


日蓮大聖人が60歳のときの御手紙です。
大聖人は体調が悪く、しかも極寒の身延で生活されていました。
つらく厳しい生活をされても、門下の人々を励ます大聖人。
私たちは贅沢になり過ぎているのではないかと感じました。
着るものがある、住む家もある、三食十分食べることができる、寒さも暑さも避けられる。
それなのに幸せを感じることができない現代人とは一体何でしょうか。
平凡な幸せにもっと感謝すべきではないのか・・
このように「傲慢で贅沢な心」を洗い流してくれる御書です。

上野殿母御前御返事のURLを以下に示します。
hiraganagosho.web.fc2.com/b1583

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by sokanomori3 | 2017-03-26 06:11 | ひらがな御書に学ぶ | Comments(5)

華果成就御書(はなみじょうじゅごしょ)


☆良い弟子と悪しき弟子.

投稿してから気がついたのです。
211番目の華果成就御書(はなみじょうじゅごしょ)・・
「うん?あれ? 今日は2月11日だって、あらら」
そうです。2月11日に211番目の御書が投稿されたのです。(笑い)
http://hiraganagosho.web.fc2.com/b900.html

「はなみ」すなわち「花と木の実」の関係に譬え、師弟の重要性を説いた御書なのです。
華果は「はなみ」とも「けか」とも読みます。
本当は「けかじょうじゅごしょ」と読む。
「けか」だと分かりにくいので「はなみ」を採用しました。

この御書に、次の御文があるのです。

よき 弟子を もつ ときんば 師弟 仏果に いたり
あしき 弟子を たくはひぬれば 師弟 地獄に をつと いへり
師弟 相違せば なに事も 成 べからず.


(よき でしを もつ ときんば してい ぶっかに いたり
 あしき でしを たくわいぬれば してい じごくに おつと いえり
 してい いはいせば なにごとも なす べからず)


良い弟子を持つならば、その師弟は共に仏の果報に至る。
悪い弟子に蓄えるならば、その師弟は共に地獄に堕ちる。
もし、師弟の行いが異なるなら何事も成就しない・・
これは、会社の上下関係もそうだし、夫婦、親子も同じですね。
これは逆もまたしかりで、悪師は言わずもがな、です。
恐いお話ですが、間違いない法則です。

師も弟子も、夫も妻も、親も子も、どんな立場であっても良い人であることが大事。
人を不幸になんかしたくないし、人を幸福にしたいですから。
我ならびに我に連なる人たちを美しく、善なるものへ導く・・
それが日蓮大聖人の仏法なんですね。

一切は原因と結果です。知っていようと知らなくとも。
人間革命しかありません。自らが良き人になるしかない。
ムズカシイのは好きでも悪だったり、嫌いでも善だったりすること。
食事と同じで好き嫌いの判断は損をします。
選択の基準は、善・利・美の順がよいです。
良き人なり、良き人生にしましょう。

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by sokanomori3 | 2017-02-11 20:12 | ひらがな御書に学ぶ | Comments(0)

転重軽受法門(てんじゅうきょうじゅほうもん)


☆転重軽受法門に学ぶ.
(てんじゅうきょうじゅほうもんに まなぶ)

本抄は、竜の口法難の後、相模の依智(えち)にご在住の時の御書です。
涅槃経の転重軽受の法門を述べられています。
転重軽受とは、過去世の謗法によって未来に受けるべき重罪すら、法華経をたもつことによって今生で軽く受けて消滅させることをいいます。
以下に、冒頭文のひらがな文、漢字文を示し所感を述べます。

ねはんぎょうに てんじゅうきょうじゅと もうす ほうもん あり.
せんごうの おもき こんじょうに つきずして みらいに じごくの くを うくべきが
こんじょうに かかる じゅうくに あい そうらえば
じごくの くるしみ ぱっと きえて しに そうらえば
にんてん さんじょう いちじょうの やくを うることの そうろう
ふきょうぼさつの あっくめり せられ
じょうもくがりゃくを かおるも ゆえなきには あらず

涅槃経に 転重軽受と 申す 法門 あり
先業の 重き 今生に つきずして 未来に 地獄の 苦を 受くべきが
今生に かかる 重苦に 値い 候へば
地獄の 苦み ぱつと きへて 死に 候へば
人天 三乗 一乗の 益を うる事の 候
不軽菩薩の 悪口罵詈 せられ
杖木瓦礫を かほるも ゆへなきには あらず.


「今世に受ける重い苦しみは、信心をたもつ者においては軽く受けているのである。不軽菩薩が悪口罵詈され杖で叩かれ、石を投げられたことも同じ」
「来世にも渡る重い宿業も、ぱっと消える」
何というありがたい仏法でしょうか。

大聖人は死罪に及びながらも生き抜かれ、流罪も赦免されました。
あらゆる困難を乗り越えられ、微塵も敗北をされなかった。
何ゆえに。法華経の行者ゆえに。御本仏故に。

その大聖人の弟子の私たちは、師匠と不二ですから、やはり転重軽受することができる。そう信じれるなら愚痴は無くなる。感謝に変わる。
私は離婚の時、「このまま死んでもいいや」と思いながら力の限り祈りました。
御本尊に祈って、祈り抜いてそれで死んだら本望だとも思った。
あの27歳の時の100万遍から30年が経過しようとしています。
当時は苦しく長かった苦悩は、今から振り返れば半年でしかありません。
確かに「地獄の 苦み ぱつと消え」たのです。
私の体験は、→ここをクリック!

その100万遍以降、私の生活は一変しました。
1000万遍唱題を超え、私はあらゆる難を乗り越えることができました。
変毒為薬した。転重軽受した。今、功徳ばかりの人生です。
1000万遍記事は、→ここをクリック!



ひらがな御書の転重軽受法門を以下に示します。
ひらがな文は、→ここをクリック!
交互文は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2017-01-28 07:30 | ひらがな御書に学ぶ | Comments(0)

大師講御書(だいしこうごしょ)


☆死罪を覚悟されていた大聖人.


金吾殿御返事。別名、大師講御書(だいしこうごしょ)
この御書の「金吾殿」は、四条金吾ではありません。

下総の国(千葉県)の大田金吾です。大田金吾とは、大田五郎左衛門尉乗明(じょうみょう)。略して大田乗明のことをいいます。
富山県に所領があり、裕福でした。鎌倉幕府の役人で、富木常忍に折伏され、天台真言を捨てて大聖人の門下となり外護の任に当たりました。大聖人から沢山の御書を頂き、その主なものは三大秘法抄、転重軽受法門、大田許御書等があります。

本抄は、大聖人が49歳の時のもので、竜の口法難の前年の御書です。
大聖人は次のように本抄で述べられています。
(先に漢字文、後に平仮名文を示す)

法華経の ゆへに 流罪に 及びぬ
今 死罪に 行われぬ こそ 本意 ならず 候へ
あわれ さる事の 出来し 候へかしと こそ はげみ 候いて
方方に 強言を かきて 挙げをき 候なり
すでに 年 五十に 及びぬ 余命 いくばく ならず
いたづらに 曠野に すてん 身を
同じくは 一乗 法華の かたに なげて
雪山童子 薬王菩薩の 跡を おひ
仙予 有徳の 名を 後代に 留めて
法華 涅槃経に 説き 入れられ まいらせんと 願う ところなり
.

ほけきょうの ゆえに るざいに およびぬ
いま しざいに おこなわれぬ こそ ほんい ならず そうらえ
あわれ さることの しゅったいし そうらえかしとこそ はげみ そうらいて
かたがたに ごうげんを かきて あげおき そうろうなり
すでに とし 50に およびぬ よめい いくばく ならず
いたずらに こうやに すてん みを
おなじくは いちじょう ほっけの かたに なげて
せっせんどうじ やくおうぼさつの あとを おい
せんよ うとくの なを こうだいに とどめて
ほっけ ねはんぎょうに とき いれられ まいらせんと ねがう ところなり.

趣意をかみ砕いて以下に述べたいと思います。

過去、私は流罪に及んだが、まだ死罪になっていない。これは本意でない。
死罪を願い、強く強言(ごうげん)の書を提出してきた。
私はすでに年齢が50歳になる。余命はわずかである。
法華経にこの身を捧げ、雪山童子や薬王菩薩の如く、仙予や有徳の如く、後代に名を留めたいと願っているのです
」・・

大聖人は死罪すら望んでいらっしゃったと拝せられます。
竜の口、佐渡流罪は、もとより願ってのこと・・

雪山童子 とは不惜身命(命を惜しまない)の求道の菩薩。
薬王菩薩 とは良薬を衆生に施して心身の病苦を治す民衆救済の菩薩。
仙予(せんよ)とは、釈尊の過去世の修行の姿で大王でした。
大乗経典を誹謗するバラモンを500人殺し、その因縁によって地獄に堕ちず、殺されたバラモンも悔いて後に救われたといいます。
有徳(うとく)とは有徳王のことで、同じく釈尊の過去の姿。
正法を受けたもつ有徳比丘が悪僧に襲われたとき、武器を執って戦い有徳比丘を守りました。このとき、有徳王は全身に傷を受け死が迫りました。
有徳比丘は「是れ正法を護る者なり。当来の世に身、当に無量の宝器となるべし」と褒め称え、大いに歓喜して死んそうです。その後、有徳はアシュク仏国に生れ、仏の筆頭の弟子となった。仏典は、有徳(有徳王)のごとく、身命を捨てて正法を守護しなければならないと説いています。

大聖人は、雪山童子、薬王菩薩、仙予、有徳の如く、命を捨てる御覚悟であられた。だから大聖人は竜の口で「これほどの幸せはない」と喜ばれたのでしょう。

この御書を頂いた大田乗明は何を感じたのでしょうか。
大聖人が竜の口、佐渡流罪となったとき、大田乗明は何を思ったでしょうか。
身ぶるいしながら拝したのではないかと思うのです。
御書は読めども読めども、新しい発見が続きます。
心から「ひらがな御書」の作業に感謝です。

大師講御書の平仮名文は、→ここをクリック!
ひらがな漢字交互文は、→ここをクリック!



日蓮大聖人は、伊豆流罪、佐渡流罪に続き、さらに三度目の流罪になるなら「百千万億倍のさいわい」と述べられています。
その記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2017-01-14 07:56 | ひらがな御書に学ぶ | Comments(0)

必ず仏になれる


☆南条殿御返事1573.

174番目のひらがな御書を投稿しました。
御書の後半部が欠損しているため全体の文意は不詳の御書です。
その御書は、→ここをクリック!
以下に、その御書の御文を示します。

むいちふじょうぶつと もうして
なんみょうほうれんげきょうを ただ いちど もうせる ひと
ひとりとして ほとけに ならざるは なしと とかせ たまいて そうろう.

無一不成仏と 申して.
南無妙法蓮華経を 只 一度 申せる 人
一人として 仏に ならざるは なしと とかせ 給いて 候.


成仏しないひとは一人もいない。
南無妙法蓮華経とただ一度唱えた人は全て仏になれる。
仏とは勝利者である。大幸福者である。

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by sokanomori3 | 2016-09-20 06:48 | ひらがな御書に学ぶ | Comments(2)


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