カテゴリ:宮田幸一氏問題( 9 )

創価大学・宮田論文問題の総括


☆際立つ須田論文のチカラ.

連載で宮田幸一氏の論文問題について述べてきました。
以下に、その主要な記事のURLを表示し、所感を述べます。

1)創価大学教授・宮田幸一氏に須田晴夫氏が苦言.
 http://sokafree.exblog.jp/26368752/
2)須田晴夫氏の経歴と書籍紹介.
 http://sokafree.exblog.jp/26370605/
3)宮田幸一氏の経歴とゼミ内容の紹介.
 http://sokafree.exblog.jp/26370635/
4)宮田幸一氏研究発表YouTubeの紹介.
 http://sokafree.exblog.jp/26371553/
5)宮田論文「他宗本尊も等しく功徳」の破折.
 http://sokafree.exblog.jp/26372753/
6)宮田論文「釈迦本仏論」の破折.
 http://sokafree.exblog.jp/26373677/
7)宮田論文「本尊の多言語化容認」の破折.
 http://sokafree.exblog.jp/26376423/
8)宮田ホームページから引用した宮田氏の考え方.
 http://sokafree.exblog.jp/26378823/

宮田氏の問題を知ったのは須田晴夫氏のHPからです。
大学教授の問題発言は、薄学の私では十分な反論はできませんが、この部分については須田晴夫氏が鮮烈に反論くださいました。
私はその反論をブログでご紹介しただけですが、多くの方々にこの問題を知っていただき、迷ったり、誤認されないようにとの願いからです。

宮田氏はHPの中で、中村元氏の書籍紹介をし、史実に基ずく探求によって宗教の正邪が決まる(趣意)というような発言をされました。
私は、中村元氏の「仏教入門」を過去に読んでいました。
この本の感想を申し上げると、程度の低い私ですから「笑止千万」と不愉快な人もいらっしゃるかも知れませんが、ともかく世界的権威のある人の本であるにもかかわらず、何の感動も歓喜も得られないのです。
サンスクリット語・パーリ語に精通し、仏典などの解説や翻訳に代表される著作を多数残した中村氏の功績は大きいとしても、そこには「知識」のみがあって、私自身、応用できるものがなかったのです。
これは中村氏を尊敬する宮田氏の論文も同じです。

仏教を語学(翻訳)、歴史学として探求しても、そこには釈尊の文証(後代の人たちが語ったもので釈尊の真実の言葉かどうかは分からない)はあっても、私自身の信仰として、身の震えるような心から納得のいく言葉がないのです。
例えるなら、エッセーでも読んでいるような軽い感じがするのです。
私自身は四苦の解決と、周囲の人たちの苦悩からの救済のために信仰しているのであり、歴史の勉強をしたくて信心をしているのではありません。
創価学会の教学は、見て、嗅いで、食べて、飲んで、例えるなら御馳走で、感動と歓喜があるものですが、学者先生の弁は例えるなら「乾パン」で、味気ない、感動もないものなのです。

須田晴夫氏の論文は、例えるなら御馳走でした。
http://file.www4.hp-ez.com/haruosuda/file_20160922-132507.pdf
信心の神髄を彷彿とさせるこの論文に細胞が躍動しました。

なぜ、ここまでの格差が生じたのでしょうか。
それは学会の中枢で池田先生を師と仰ぎ、修行された須田氏と、外部の学者を師として歩んだ宮田氏の違いだと、私は感じているのです。
仏法は境涯論であり、その根本は修行です。
学者の真理探究の姿勢は素晴らしいと思いますが、宗教としての観点から言えば、修行なき耳学問でしかない。これでは歓喜も得られないだろうし、歓喜を与えることも難しいことでしょう。

特に今回の宮田論文には明らかに学会教学と離反する内容が含まれており、個人的にも容認できない論文でありました。
ただし、宮田氏が教団の中枢で人々を動かす立場でないことが不幸中の幸いで、もし仮にそのような立場なら、この程度の騒ぎに終わらないことでしょう。
宗門に日顕のような魔僧が出現したように、未来に学会の中にオカシナ人物が現われない保障はどこにもありません。
ゆえに、須田氏のような信心と学識のある人が学会の中枢にいなければならないし、その存在価値を改めて学ばさせて頂いたのだと思っています。
あらためて須田晴夫氏の果敢なアクションに感謝申し上げると共に、読者の皆様には、この問題の正しい認識を切望するものであります。

以上で、宮田論文問題の報告を終了いたします。
シリーズの最初の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2016-11-16 04:46 | 宮田幸一氏問題 | Comments(0)

宮田幸一氏の考え方(参考資料)


☆宮田氏HPのQ&Aより.

http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/Q&A-shukyogakkai.html

前回の記事は、→ここをクリック!
宮田氏HP(上URL)の「宗教学会発言へのQ&A(2016.10.7up)」 の記述の一部を抜粋し、宮田氏の問題発言の趣意(→.)を述べます。

→天台教学の「五時八教」は歴史的事実に反するから誤りである
(それを採用した日蓮も誤っている)

折伏に役立たない五重の相対という教義を維持しないでほしい。もし日蓮正宗でその教義の改革が可能であれば、私は日蓮正宗に帰属しても構わない
(私のように)教義に疑問を持ちながらも、よりましな選択という意味で、創価学会に所属している会員も少なからずいる。

鎌倉時代のように科学的研究手段のない時代であれば、大聖人のように、天変地異は邪宗によって生じるという議論がそれなりに説得力を持っていたと思われるが、今の時代に自然現象を特定宗教の信仰によって説明しても賛同する人はあまりいないと思う。

真面目に仏教に関心を持つ人は、仏教学者の見解を参考にする
現在の日本において、まだ宗派に属していないが、仏教に興味がある人は、ほぼ中村元の仏教に関する入門書を読むだろうと想定される。中村元の見解が、仏教初心者のスタンダードになっているということを無視して、布教はできない

大聖人は仏滅後2000年以後を末法と考えていたと思われるが、今では、世界史に興味のある人の中には、その主張に賛同者はいないと思う。
(歴史的事実と異なるから大聖人は間違ってるの意).



上記「趣意」の根拠となる宮田氏自身の発言内容を8箇所示します。

1.
私は創価学会の末法理論はおかしいと任用試験を受けた高校生のときから思っていましたが、よく調べてみると五時説もおかしいということが分かりました。
五時説が成立しなければ、五重の相対も成立しなくなり、他の宗教を批判する教義的根拠がなくなったと思った私は、それ以後の折伏においては、十界論を説明してから、御本尊への唱題により、仏界を涌現できるから、試してみようよという論法でやっていましたが、それにしても、折伏に役立たない五重の相対という教義はなんなのだろうか、いつまでその教義を維持しなければいけないのかと思いました。
私は仏教について多少の知識を持つ人に対して説得力のない教義は変えなければ、それらの人々に信仰をしてもらうことは出来ないと思っています。
2.
もし日蓮正宗でそのような教義の改革が可能であれば、私は日蓮正宗に帰属しても構いませんし、一時日顕上人が『大日蓮』1985年10月号で「大乗非仏説、仏滅年代につき講義」とあったので、学者肌の日顕上人なら教義改革に着手するかもしれないと淡い期待を抱いたこともありましたが、その後そのような教義改革が行われたこともないようです。
3.
あなたは多分日蓮正宗の教義に問題はないと思っているようですが、私のように教義に疑問を持ちながらも、よりましな選択という意味で、創価学会に所属している会員も少なからずいるようです。
4.
「なぜ、あなたのところの宗教が一番いいのか」と問われて、説得力をもった答ができる仏教教団があるのでしょうか。創価学会は、檀家を奪ったということで、伝統的仏教教団から批判されることもたびたびありますが、宗教も、自由競争にさらされた、精神的サービス財の一つなのだから、自分たちの宗教的魅力を高めるための努力をしなければ、創価学会を批判しても、決して檀家は戻ることがないと思われます。
5.
鎌倉時代のように科学的研究手段も発想もない時代であれば、大聖人のように、天変地異は邪宗によって生じるという議論がそれなりに説得力を持っていたと思われますが、今の時代に自然現象を特定宗教の信仰によって説明しても賛同する人はあまりいないと思われます。
6.
あなたは、「日蓮正宗の教義教学」が世界の仏教学者に対して説得力を持っていると考えているのでしょうか。
仏教学者など相手にしないと言われるかもしれませんが、真面目に仏教に関心を持つ人は、やはり仏教学者の見解を参考にします。
現在の日本において、まだ宗派に属していないが、仏教に興味がある人は、ほぼ中村元の仏教に関する入門書を読むだろうと想定されます。
つまり中村元の仏教についての見解と大きく異なる教義を主張しようとするときには、その説明責任は、中村元ではなく、それぞれの教団に要求されるということであり、中村元の見解が、仏教初心者のスタンダードになっているということを無視して、布教はできないということです。

(以下に、宮田氏が記している中村元の書籍を写真で示す)
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(以下に、中村元(故人)のYouTubeを参考に示す)
https://www.youtube.com/watch?v=NWZtkxP3eGg

7.
あなたは「末法」とはどういう意味か、と尋ねられて、相手が納得できそうな答を用意していますか。
大聖人は仏滅後2000年以後を末法と考えていたと思われますが、今では、ある程度世界史に興味のある人の中には、その主張には賛同者はいないと思われます。
私も学生時代に、なんとか大聖人の説が正しいことを証明しようとして、仏滅年代について、いろいろ調べてみたことがありましたが、やはりアレクサンダー大王のインド侵略の年代が確定してしまうと、もはや周書異記の仏滅年代には説得力はないと判断せざるをえなくなりました。
8.
不幸にも日蓮正宗と創価学会とは分離し、私は創価学会に所属していますが、日蓮正宗に対して教義的な疑問を持ってはいても、日蓮正宗に対して憎しみを持っているわけではありません。ですから、会員の多くが和解を望むのであれば、その決定には従います。



所感:宮田氏は宗教を歴史学とでも考えているのだろうか
彼は信仰者でなく、学者でしかないのだろうか。
学者としても、創価大学教授としては不適格ではないだろうか。
須田晴夫氏は学会教学から以下の論文で破折している。
http://file.www4.hp-ez.com/haruosuda/file_20160922-132507.pdf

次回、宮田問題の総括を申し上げたいと思います。
次の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2016-11-15 00:21 | 宮田幸一氏問題 | Comments(2)

宮田論文の破折3(曼荼羅本尊発言問題)


☆日蓮大聖人への苦言に至る.

須田晴夫のホームページ」のパソコン画面を添付します
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須田晴夫氏HP:http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2

前回の記事は、→ここをクリック!
次に、宮田氏の「曼荼羅御本尊の己義」への反論を要約します。
要約文は>印、私個人の感想は●印にて記述します。
宮田氏の問題となる発言内容は→.赤文字で示します

●須田晴夫氏は、宮田氏の本尊論に対して次の内容を述べています。

>8. 日蓮が初めて曼荼羅本尊を図顕したのは竜の口の法難における「発迹顕本」の後、佐渡に護送される前日である。この初めての曼荼羅本尊は身辺に筆がなかったためか楊枝でしたためられており、そのため楊枝本尊と称される。
中央に「南無妙法蓮華経」の首題が大書され、その向かって左に「日蓮(花押)」の名が示されている。左右の肩に梵字で不動明王と愛染明王が記されているが、釈迦牟尼仏・多宝如来を含めて後の曼荼羅に記されている十界の諸尊も四大天王も一切書かれていない。
楊枝本尊はもっとも簡略な形の曼荼羅であるため、その相貌には日蓮図顕の曼荼羅の本質が表れている。すなわちこの最初の文字曼荼羅の相貌は、文字曼荼羅の本質的要素が南無妙法蓮華経と日蓮花押にあり、釈迦・多宝の二仏は略されてもよい派生的なものであることを物語っている

日蓮図顕の曼荼羅本尊において常に「南無妙法蓮華経 日蓮(花押)」と大書され(これが欠けた曼荼羅は一例もない)、一方では釈迦・多宝が略される場合があるという事実は、日蓮こそが南無妙法蓮華経と一体の本仏(教主)であることを示しており、それが日蓮の真意であると解すべきである。

もしも日蓮が奥底の真意において釈迦本仏義に立っていたならば、曼荼羅の中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」と書かずに「南無釈迦牟尼仏」としたためるか、もしくは釈迦・多宝の二仏を並べる形になっているはずであろう
実際には1 幅としてそのような形の曼荼羅がないところに日蓮が釈迦本仏義をとっていないことが表れている。



●宮田氏が「釈迦本仏論」からしか見ていないのに対し、須田氏は多様な御書の文証と、御真筆の御本尊の詳細な観察からしっかりと主張している。
双方を比べると、宮田氏の見識の甘さ、無知さが際立つ。
この他、真偽未決の御書についての見解、日興門流による日蓮本仏論の継承について、豊富な知識から須田氏は反論し、最後に次の文章で結んでいる。


>9.(宮田氏が)批判するのはもとより自由だが、しかしその姿勢は日蓮や日興よりも自己自身の判断を上位の基準とすることになっていないだろうか。それは「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」との仏法の基本的な戒めに違背するものとならないだろうか。(中略)
自分の考えを判断基準にして裁断するのではなく、日蓮、日興の言葉に謙虚に耳を傾ける在り方がもう少しあってもよいのではないかと思われる。

宮田氏の諸論文を読んでいて気になるのは、氏が学術的であることを至上価値と考え、学問の世界で認められている学説を判断の基準にしているように見受けられることである。

>10..(宮田氏発言)「→曼荼羅にも問題はある。それは曼荼羅が大部分漢字で書かれているという問題である。漢字文化圏に所属する人々であれば、曼荼羅を見て、その普遍的な救済理念を知ることができるが、漢字文化圏に所属していない人々には、何が表現されているか全く分からない。
仏教はもともと多言語主義だから、曼荼羅が聖別を必要としないのであれば、救済の普遍性のメッセージを伝達することができればよいのだから、曼荼羅も漢字で書かれる必要性はなくなるだろう.
」(『本尊問答抄』について)

宮田氏によれば、曼荼羅本尊もアルファベットやギリシャ文字、ペルシャ文字、ハングルなど、漢字以外の文字でしたためても差し支えないことになりそうだが、はたしてそうだろうか。
曼荼羅が文化的共同体ごとに異なる文字で表された場合、仕事等で世界各地を移動する人は移動するたびに異なる文字の曼荼羅を礼拝しなければならないケースも生ずるだろう。
それでは本尊としての普遍性・統一性は全く失われてしまう。
(方便品・寿量品の読誦についても同様の問題が生ずる。各国語に翻訳されたもので読誦したのでは、国が異なる人同士が一緒に勤行することはできない。修行としての統一性はやはり尊重されるべきであろう)

>11.「経王殿御返事」に「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」(御書1124)とある通り、末法の本仏日蓮と一体不二である仏の当体そのものとして受け止めるべきであろう。(中略)
自己の理解が常に正しいものとして自己の見解に固執し、他者からの批判を拒否して自分を特権的立場に置くことは一つの傲慢として否定されよう。



●須田論文は、天台大師が記した「謂己均仏( 己、仏に均(ひとし)とおもう)」を引用し、「自己の理解を一切の基準にする姿勢は、天台のこの批判に当たる恐れがある」と苦言を呈して結ばれていた。
宮田氏は創価大学の教授である。教授の発言が日蓮大聖人の曼荼羅御本尊の記述間違い(宮田氏がそのように発言している)や多言語の本尊容認に及んでいることの罪はあまりに大きいと言わざるをえない。
されど宮田氏は教授であり、並みの人では十分な批判はできない。
須田氏の決意と行動力に感謝申し上げたい。

上記、抜粋した文章だけでなく原文の確認をお願い申し上げます。
http://file.www4.hp-ez.com/haruosuda/file_20161025-141928.pdf

いったい、宮田氏はなぜ、このようなオカシナ発言に至ったのであろうか。
宮田氏HPに見られる別の記述から所感を述べたい。
次の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2016-11-14 05:24 | 宮田幸一氏問題 | Comments(0)

宮田論文の破折2(釈迦本仏論への反論)


☆釈迦本仏論の邪義への反論.

須田論文「宮田論文への疑問」の表紙写真を添付します。
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前回の記事は、→ここをクリック!
次に、宮田論文の重大な問題「釈迦本仏論」への反論部分を要約します。
要約文は>印、私個人の感想は●印にて記述します。
宮田氏の問題となる発言内容は→.赤文字で示します

●須田晴夫氏は、釈迦本仏論への反論として次の内容を述べています。

>3.「法華経の薬王菩薩本事品では法華経受持の絶大な功徳を説いており、その経文を受けて中国の妙楽大師は『法華文句記』で「供養する有らん者は福十号に過ぐ(有供養者福過十号)」と述べた
また、法華経の陀羅尼品では「若し我が呪(しゅ)に順ぜずして 説法者を悩乱せば 頭(こうべ)破れて七分に作ること 阿梨樹の枝の如くならん」(法華経648)と法華経の行者を悩ます者の現罰を説いている。
日蓮は曼荼羅本尊に「有供養者福過十号」の文と「若悩乱者頭破七分」の文をしたため、本尊受持の功徳と悩乱者の罰を明確にした。
しかし、特定の信仰だけに功徳があるという立場を否定する宮田氏は、この曼荼羅本尊の讃文を取り上げて次のように言う。
→私は日蓮の曼荼羅に書かれた禍福の讃文の予言は宗教社会学的には真理とは言えないと思っている(中略)その意味で私は日蓮の主張は誤っていると思っているから、曼荼羅からはその記述を除外すべきだと思っている.」(SGI 各国のHP の教義紹介の差異について)
氏は日蓮図顕の文字曼荼羅にも誤りがあるから、その部分を削除すべしと主張する。曼荼羅本尊にしたためられた功徳と罰の讃文には自身が生涯を賭けて確立した宗教に対する日蓮の絶対の確信が込められている。その日蓮の、いわば命を賭けた確信の表明を宮田氏は簡単に否定するのである。」・・

>4. 「今回の宮田論文の重要なテーマは(創価学会の)日蓮本仏論と思われる。
→宮田氏がこれまで発表してきた他の論文を見るかぎり、氏は日蓮本仏論を脱却して釈迦本仏論を目指す志向性を持っているように見受けられる.
日蓮本仏論は日蓮自身が言明し、日興門流から今日の創価学会にまで継承されてきた日蓮仏法の根本教義である。日蓮本仏論とは、基本的には釈迦仏を正像時代の本仏とし、日蓮を末法の本仏とする立場である
法華経の精神は、中国・日本においては天台大師、伝教大師に継承され、末法においては日蓮がそれを受け継いでいる。
日蓮が「顕仏未来記」で表明した「三国四師」とは、釈尊――天台――伝教――日蓮という系譜にこそ仏教の本流が流れ通っているとの宣言に他ならない。
全ての仏の教えもそれぞれの時代に対応したものであるから、初めは有効であっても(正法時代)、時代の変化とともに次第に形骸化し(像法時代)、やがて衆生を救済する力が全く喪失する時代(末法)が到来する。
世界に仏は釈迦仏一仏しか存在しないとする小乗仏教に対し、宇宙には無数の仏が存在するというのが大乗仏教の世界観である。」・・

>5. 「法華経は釈迦仏だけを教主とする立場をとらず、未来には他の仏によって衆生が救済されていくことを想定している。従って、釈迦仏法によって衆生を救済できない時代においては釈迦仏に代わって新たな教主が出現するということは法華経自体が想定していたことであり、何も奇異な思想ではない。」・・

>6.「→宮田氏は日蓮本仏論の形跡が日蓮自身の真蹟遺文にも信頼できる直弟子写本にも見られないと断じている.が、そのような認識はあまりにも杜撰であり、明らかな誤りである。
むしろ、日蓮の真蹟や直弟子写本がある御書において日蓮本仏義を明確にうかがうことのできる文はいくつも挙げることができる。」・・

(須田氏はここで「撰時抄」「一谷入道御書(いちのさわにゅうどうごしょ)」「真言諸宗違目」(真蹟11 紙完存)「王舎城事」「一代五時鶏図」「頼基陳状」「兵衛志殿御書」「法蓮抄」「滝泉寺申状」の御書を文証として掲げ次のように述べている)

>7. 日蓮が自身を末法の教主(本仏)であると宣言できた所以は何か。
それは、日蓮こそが末法の万人を救済する南無妙法蓮華経の大法を初めて一切衆生に対して教示し、弘通した主体者だからである。
実際に日蓮以外に南無妙法蓮華経の唱題を人々に教え、南無妙法蓮華経を文字曼荼羅に顕して万人が礼拝する本尊として授与した存在はない。
まさに日蓮を離れて南無妙法蓮華経の仏法は存在しない。
釈迦仏は文上の法華経の教主であっても南無妙法蓮華経を説いてはいないので、南無妙法蓮華経の教主にはならない。」・・



●上記、抜粋した文章に加え原文の確認をお願いしたい。
http://file.www4.hp-ez.com/haruosuda/file_20161025-141928.pdf

宮田氏は、日蓮大聖人が御本尊の左右に書かれた「頭破七分・福十号など、日蓮の主張は誤っていると思っている」と驚きの意見を述べている。
中国の妙楽大師の記述、すなわち釈尊の教えでないことを曼荼羅御本尊に記述していることを指して「誤っている」と言っているのであろうか。
宮田氏は学者としての研究に没頭した?があまり、大聖人への理解が不十分であるらしい。この人は信仰から体得した悟りがないのだろうか。
知識はあるのかも知れないが、信仰に対する確信が感じられない。法華経、御書に精通している須田氏と対比すると大人と子供の相違の感がある。

次に、宮田氏の曼荼羅本尊論に対する反論を申し述べたい。
次の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2016-11-13 05:20 | 宮田幸一氏問題 | Comments(6)

宮田論文の破折1(須田論文より)


☆須田晴夫論文の概要.

須田論文「宮田論文への疑問」の写真を添付します。
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写真解説「プリントアウトした須田論文の序文の写真です」

前回の記事は、→ここをクリック!
以下に「須田論文について重要な部位を要約し所感を述べます。
要約文は>印、私個人の感想は●印にて記述します。
宮田氏の問題となる発言内容は→.赤文字で示します
私の要約はレベルの低いものなので、必ず須田氏の論文をご覧ください。
http://file.www4.hp-ez.com/haruosuda/file_20161025-141928.pdf
(以下の引用は、上記「要約版PDF」からの引用です)

●須田晴夫氏は、宮田論文破折の冒頭、次のように述べています。

>1.「2015 年9 月5 日、創価大学で開催された日本宗教学会第74 回学術大会で、同大学教授の宮田幸一氏が「学問的研究と教団の教義ー創価学会の場合」として口頭発表を行い、それを加筆訂正した論文が宮田氏自身のホームページに公表された
「氏が個人の立場でどのような内容を発表しようと、「表現の自由」「内心の自由」に属することで何の問題もないが、氏は創価学会の教義形成に影響力を持つ何らかの立場にあると聞いている
仮に氏がそのような立場にあるということになると、氏の見解は個人的意見にとどまらず、幾分か教団全体に関わる意味を帯びてくる。そこで筆者は、氏の論文に触れて若干の疑問を感じたので、氏の他の論文を含めて検討し、取り上げられた問題について議論を深めるための参考資料として本稿を作成することとした。」・・



●言葉は柔らかく「若干の疑問」とし「参考資料」と須田氏は序文に述べているが、論文は「徹底的に破折」する内容になっています。
宮田氏が創価大学教授という影響力のある立場である以上、須田氏としては放置することができなかったのではないかと推理します。


>2.「→宮田氏は先の論文で「『本門の本尊』を信仰の対象としている日蓮宗各派の信仰、ならびに日蓮正宗の信仰にも、応分の功徳がある」と主張した.
しかし、「生死一大事血脈抄」の「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(御書1138 )の文に照らせば、いかに正しい曼荼羅本尊(法華経)であっても拝む側に正しい信心(信心の血脈)がなければ功徳はない

「種種御振舞御書」に「かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」(同919 )とあるように、誤って敬った場合には国が亡ぶほどの悪業となる
曼荼羅本尊を拝みさえすればどのような宗派の信仰をもって礼拝しても応分の功徳があるという宮田氏の見解はこの文と明確に違背する。
創価学会は、日蓮宗各派の信仰は正しい信心とは認めず、誤ったものとしてきた。
ところが、宮田氏の見解によるならば、日蓮宗各派や日蓮正宗の寺院に参詣することも誤りでないことになり、これまでの学会の指導性の全面否定となる。」・・

→(宮田氏の主張では)「どのような宗教を信仰しようと、また無宗教であろうと何の相違もないということになる.(わざわざ特定の宗教を信仰する必要もない)。
自己の最勝性を主張する「確信」に宗教の特質があるのであり、それを誤りであるとして否定する氏の見解は宗教の否定につながっている。」・・



●宮田氏が「他宗の本尊でも功徳がある」と主張したことに対し、須田氏は御書を文証に宮田論文と真逆の主張を展開しています。
さらに宮田論文では「釈迦本仏論」「大聖人の御本尊の間違い」まで発言しており、これに対し須田氏は47ページの論文で反論しています。
次回は「釈迦本仏論」への反論をご紹介します。
次の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2016-11-12 19:53 | 宮田幸一氏問題 | Comments(2)

宮田幸一氏の論文の特徴


☆宮田氏は何を言っているのか.

http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/shukyogakkai.html

上URLは、宮田氏が2015年9月5日に創価大学で開催された日本宗教学会第74回学術大会で発表した論文を、氏が修正したした論文である。
宮田幸一氏の経歴は、→ここをクリック!
この論文の発表により、他宗においては「創価学会は日蓮大聖人本仏論から釈迦本物論に転換している」との誤解を生じさせたようである。
宮田幸一氏の論文の中で「日蓮は釈迦本物論であった」と受け止められるような記述をし、また、学術大会でも口頭弁論においてその表現をしている。
その第74回学術大会の宮田氏YouTube(40分)を以下に示す。

https://www.youtube.com/watch?annotation_id=annotation_3270147511&feature=iv&src_vid=cvi5ADbnRkY&v=nInVBJ18F_0

この口頭弁論のYouTubeを聞き、私は呆れた。呆れたというのは、このYouTubeを聞く前に「須田論文」を読んでいたからである。
もし、須田論文という存在がなければ、このようなYouTubeを見ることもないし、また、その問題の大きさにも気づけなかっただろう。
この須田論文については後日その概要を述べるが、まず、この宮田氏のYouTubeの内容を以下に記してご紹介する。

当YouTubeの録画の時間表示と問題個所の発言を以下に示す。

2:45.
(2014年の会則変更によって)日蓮宗各派にある(大聖人直筆の)御本尊も、本尊としては等しく本門の本尊であるということを(創価学会は)認めましたね
→これはどういうことかというと、どれも日蓮聖人が書かれた本尊だから、題目をあげればそれなりの功徳はあるんでしょうという立場です.
過去は、学会の信心だけが功徳があるとしていた。では、(他の)日蓮宗の信仰をしている人はみんな不幸になっているのか、というとそれは言い切れない。
功徳がある、ないというのは教義によって決めることではなく、宗教社会学的な調査をもって(判断すべきことで)、信仰している人たちが「功徳がある」といえばあるんだろうし、ないというならない。
そういう考えをある程度、創価学会は受け入れているということです。

17:40.
(SGIホームページの文章を引用し語る)どこにも日蓮本仏論はないですね。日本の創価学会のホームページには日蓮大聖人本仏論があります。
→氏は、このことをダブルスタンダードと揶揄している.

21:10.
(質問に答えて)→日蓮本仏論は、日蓮正宗において「日蓮自身にその考えがあった」という前提ですが、それを(創価学会は)基本的にやめようと。(例えるなら)信仰のモデル、お手本ということでの日蓮本仏論と思っています。

23:00.
諸法実相抄で大聖人は、「末法の凡夫」として主親師(しゅししん)の三徳を最初に体得した人として述べています。→手本として信仰をしていくという意味でなら、御本仏として尊称することはあるでしょう.
「教主釈尊を本尊とすべし」という一文をどう解釈するか。
曼荼羅の中に釈迦牟尼仏と書いている。
最高のポストですよね、あそこ。そこに「南無釈迦牟尼仏」と書いてある。
それで「教主釈尊を本尊とすべし」と言っている。観心の本尊抄の記述です。
→(日蓮大聖人は)「教主釈尊を本尊としている」と私は解釈しています.



赤文字→.は、特にオカシイと感じた発言の部位です。
この他にも、創価学会で学んできたことに矛盾する発言がありました。これは口頭弁論ですが、論拠は宮田氏自身の論文に記されています。
いったい、これはどうしたことでしょうか。
創価大学で宗教哲を教える教授が、です。
「宗教の言語行為論、牧口常三郎の宗教思想」という研究者が、です。
この問題を私ごときの凡人が述べたとろで、犬の遠吠えにしかならない。
そこで、須田晴夫氏の論文をご紹介し、その破折に頼りたいと思います
須田晴夫氏の論文は以下の通りです

宮田論文への疑問・日蓮本仏論についての一考察(PDF)
http://file.www4.hp-ez.com/haruosuda/file_20160922-132507.pdf

宮田論文への疑問・要約版(PDF)
http://file.www4.hp-ez.com/haruosuda/file_20161025-141928.pdf

この須田論文はPDFのため、音声ソフトで聞くことができません。
自在会の皆様のために、論文の一部を抜粋しつつご紹介します。
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by sokanomori3 | 2016-11-12 10:25 | 宮田幸一氏問題 | Comments(0)

宮田幸一氏の経歴


☆宮田幸一(ミヤタ コウイチ)

出身地 北海道.
1974.3 東京大学 文学部 卒業
1984.4 新潟短期大学 専任講師
1988.4 創価大学 文学部 助教授 (現教授)

担当科目 哲学概論、哲学特殊講義
ゼミテーマ 宗教の哲学研究.
研究テーマ 宗教の言語行為論、牧口常三郎の宗教思想.
主要著書・論文 『牧口常三郎の宗教運動』『牧口常三郎の世界ヴィジョン』
        『牧口常三郎はカントを超えたか』

宮田幸一 ゼミの概要.
現代において宗教はどのような現象なのか、哲学にとってどのような意味があるのか、この問題は非常にわかりにくい問題となっている。
牧口常三郎の『価値論』を英文で読む。教科書はThe Philosophy of Valueを使う。
哲学的著作の言語表現方法、翻訳方法に留意し、翻訳しなおすつもりで読む。
哲学的認識論について知る。英語の読解力をつける。
哲学の翻訳方法と文学の翻訳方法との相違を知る。

参考書:牧口常三郎『価値論』(第三文明社レグルス文庫)
牧口常三郎『創価教育学体系』第2巻(聖教文庫)

以上、2016年11月現在、インターネットから得られた情報である。
宮田氏は「「宗教学会発言へのQ&A(2016.10.7up)」という論文をネットに公開しているが、この論文の問題を須田晴夫氏が指摘している。

須田晴夫氏のホームページと経歴記事を以下に示す。
HP:http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2
経歴:http://sokafree.exblog.jp/26370605/

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by sokanomori3 | 2016-11-11 22:23 | 宮田幸一氏問題 | Comments(0)

須田晴夫氏の経歴


☆須田晴夫(スダ ハルオ)

須田氏の経歴と著作物について以下に申し述べます。

出身地 東京都.
学歴 1977.3 東京大学法学部 卒業.
経歴 2012年2月 団体職員定年退職.
(団体職員とは、聖教新聞社と思われる)

著書1『新版 日蓮の思想と生涯』(鳥影社)
      2016年8月発刊  A5版481頁.
著書2『新法華経論 現代語訳と各品解説』(ラピュータ)
      2015年5月発刊  A5版409頁.
論文に「西田哲学と中道の論理」、「神の変遷」など多数。

日蓮の思想と生涯、新法華経論の書籍写真を以下に添付します。

b0312424_21373323.jpg

写真解説「左は『新版 日蓮の思想と生涯』、右は『新法華経論』である。新版・日蓮の思想と生涯は、再版時に加筆・修正された」


新版 日蓮の思想と生涯.
2012年9月に旧版が発刊され完売。
2016年8月に加筆・修正されて新版が発刊された。
日蓮の思想と生涯を年齢順で鮮烈に解説している。
ISBN978-4-86265-575-2
価格:本体3500円+税

新 法華経論.
2015年5月に初版として発刊された。
法華経28品を現代語訳し、大変分かりやすい。
ISBN978-4-905055-29-7
価格:本体3500円+税

大聖人の生涯、法華経を学びたい人は座右の書とできる比類なき名著です。
心よりご推選いたします。

尚、2016年11月現在、創価大学教授の宮田論文の問題を指摘する須田氏のHPがあります。そのHPと宮田論文の指摘PDFのURLを示します。

須田晴夫ホームページ
http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2

宮田論文への疑問・日蓮本仏論についての一考察(PDF)
http://file.www4.hp-ez.com/haruosuda/file_20160922-132507.pdf

宮田論文への疑問・要約版(PDF)
http://file.www4.hp-ez.com/haruosuda/file_20161025-141928.pdf

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by sokanomori3 | 2016-11-11 22:07 | 宮田幸一氏問題 | Comments(0)

宮田幸一氏 vs 須田晴夫氏


☆創大教授に須田晴夫氏が苦言.

先日、須田晴夫氏のホームページを見た。
ホームページの名称は「須田晴夫のホームページ」です。
http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2

1編の論文があるだけのシンプルなホームページでした。
数日後、またのぞいて見た。すると論文が2つになっていた。
内容を確認すると、その2つ目の論文は最初の論文の「要約」でした。
47ページの論文を31ページに簡略化したものです。
すなわち、1つの論文しかない奇妙なHPなのです。

須田晴夫氏とは「日蓮の思想と生涯」「新・法華経論」を著した創価学会の中でも屈指の研究者です。聖教新聞社を定年退職され、この名作を著された。
この書籍は私自身も所有し、今も愛読中です。
日蓮大聖人のご生涯を学びたい人、法華経の意味を知りたい人は、この2冊があれば事足りる。とても分かりやすく、これ以上の良書を知りません。
この本は、いつか読書感想文を書きたいと思っています。

さて、須田晴夫氏がホームページに掲載している論文は、創価大学教授を批判する内容でした。その教授を宮田幸一氏といいます。
いったい、この人物はいかなる人で、何をやらかしたのか・・
その宮田氏のホームページを見ることにしました。
http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/

そこに「学問的研究と教団の教義 創価学会の場合 日本宗教学会発表
(2015.9.27up)」という論文がありました。
どうやら、この論文の問題を須田晴夫氏は指摘しているようです。
私はまず、批判されている宮田論文から読み、さらに宮田氏のQ&Aを読みました。その後、須田晴夫氏の論文を三度読みました。
双方の論文をプリントアウトしてしっかりと読み込みました。

双方、東大出身のお二人です。スリハンドクのごとき劣等生の私が高度な論文を批評することはおこがましいのですが、この問題をお伝えすることは有益だと思うので、あえて記事にしたいと思います。
お二人の経歴を申し上げて、順次論文をご紹介します。
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by sokanomori3 | 2016-11-11 07:01 | 宮田幸一氏問題 | Comments(0)


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