カテゴリ:沖縄の戦争( 13 )

ひめゆりの塔と平和公園見学記


☆世界に誇れる二大遺産.

東京への飛行機の写真と沖縄上空の写真を添付します。
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写真解説「白雲のかかる晴天の下、フライトを待つANA旅客機とフライト直後の写真です。青い海が眩しく輝き、飛行機の翼が前方に見えます」

沖縄で必ず見たいと思っていた戦没者の石碑・・
その石碑のある「平和祈念公園」と「ひめゆり資料館」を見学しました。
沖縄には「ありのまま」の戦争の遺品、壕、伝承された歴史とがありました。
祈念公園:sokafree.exblog.jp/27024571/
ひめゆり:sokafree.exblog.jp/27032820/

「8月15日の終戦の追悼は、こういう場所でやるべきだ」・・
私は平和祈念公園を見学して、国の戦争記念日のありかたを学びました。
かの戦争で亡くなった人々全員、日本人もアメリカ人も韓国人も中国人も、全部、死んだ人たちを平等に被害者として供養し、未来永劫、戦争をしない、させない決意をするべきです。
靖国神社なんかだめです。それでは日本の特定宗教からしか見ないことなる。
そうではなく、第二次世界大戦で亡くなった、数千万人の全世界の戦没者の安らかなることを祈念できる、この平和祈念公園のような施設を本州にも作るべきです。
永遠に戦争の悲惨を忘れず、恒久平和を決意する。
そういう日本であるべきです。

「沖縄の人たちは、この視線でものを見ているんだ」・・
二つの施設から、かの戦争がいかなるものであったかを気づかされました。
あまりに残酷無比な戦争だったことを学びました。
この原点があるから、沖縄の人々は戦争に敏感なんだと思います。
まず、何かを知ろうと思えば現地を見ること。その上で歴史を考えるべきです。
でも、沖縄の人にも他の都道府県の戦没の人生も知ってほしい。
沖縄を捨て石になんかしていないですよ。県外人が7万人も一緒に死んだのですから。
皆、地獄に生き、地獄に死ななければならなかった。
それがあの戦争。軍が肥大化した罰でしょうか。
sokafree.exblog.jp/27030908/

平和公園で聞いたこともない声のセミが鳴いていました
沖縄のセミ:youtube.com/watch?v=IYalrNlpiD8
「へえ、沖縄にもセミがいるんだ」
「随分、変わった鳴き方をするんだなあ!」
本州のセミとは明らかに違う種類のようです。
私は沖縄の太陽光線の強さ、海の波の音、セミの声を聞き、強い海風と木陰の涼しきを知り、戦後70年の今の経済の繁栄を知りました。
今の平和と輝きを、日本が、沖縄が、永遠に保たなければならない・・
私の平和への感謝と思いは大きく強く深くなりました。

さて皆さん、沖縄に行かれた時は、この二つの施設をぜひ見てください
本当の戦争がここにあります。当時の現実がここにあります。
きっと、沖縄の心の基底部に触れて、誰もが圧倒されることでしょう。
悲劇を共有することで、個々の人生が恒久平和の人生の軌道に導かれることでしょう。
結果、沖縄の戦争を変毒為薬(へんどくいやく)することでしょう。
以上で、沖縄見学記を終了します。

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by sokanomori3 | 2017-08-08 05:26 | 沖縄の戦争 | Comments(7)

もっと私たちは幸せに生きられる


☆ヒロシマと沖縄に学ぶ.

以下にヒロシマ「折り鶴」のYouTubeを添付いたします



7月29日から連載を開始した「沖縄の戦争」シリーズ。
その連載も次回で最後になります。
まとめに使う写真は決めましたが内容はまだ考えていません。
すでに全部、申し上げたいことは記しました。
ですから、平凡なラストシーンになるかも知れません。

昨日はヒロシマの日でしたね。原子爆弾投下から72年。
今も、ヒロシマ、ナガサキ、沖縄は日本の戦争の象徴です。
未来永劫、このことは風化させてはなりません。
「生きていてよかった。それを感じたくて・・」
生き抜いてこそ、生きる喜びを見出せると必死に生きた人たちがいる。
恐ろしい傷を負いながらも人は生きたし、生かされた。
よし、私も頑張ろう、挫けてなるものかと思う。

私たち、ちょっと贅沢なんですよね。
平和がこんなにもあるのに、今の人たちは不平不満ばかり言っている。
私たち、もっともっと幸せを感じないといけませんよ。
この平和に感謝しなくちゃ、ですよ。

さあ、沖縄訪問記、次回でラストです。
ありきたりかも知れないけど、見てくださいね!
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by sokanomori3 | 2017-08-07 05:05 | 沖縄の戦争 | Comments(0)

参考資料2:「ひめゆり」の由来


☆www.youtube.com/watch?v=Wsn6KmgAP0w
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YouTube解説「ひめゆり学徒隊の生徒が卒業式に歌うはずだった「別れの曲」youtubeです」
写真解説「沖縄本島の最南端の海岸線と、ひめゆり資料館の石碑の写真です」

「ひめゆり」は植物の名のことではありません。
沖縄県立第一高等女子高と沖縄師範学校女子部とのそれぞれに交友会誌がありました。
県立第一高等女子高には「おとひめ」、師範学校には「白百合」と名づけられていました。
この両校が並置されることになり、「姫百合」となりました。
(おとひめの「ひめ」と白百合の「ゆり」が融合した)
平仮名で「ひめゆり」となったのは戦後です。
米軍の沖縄上陸作戦が始まったのは1945年3月23日。
その深夜、女学校の生徒と教師らは「沖縄陸軍病院」に配属されました。
米軍の侵攻に伴い、ひめゆり部隊は本島最南端に向かいます。
そして下記の記事の悲劇に生き、そして死にました。
sokafree.exblog.jp/27032820/

資料1の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2017-08-06 17:32 | 沖縄の戦争 | Comments(0)

ひめゆり平和祈念資料館の見学


☆陸軍病院跡地の壕.

ひめゆりの塔と陸軍病院跡地の写真3枚を以下に添付します。
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写真解説「1枚目はひめゆりの慰霊塔、2枚目はその慰霊塔に捧げられた献花。3枚目はひめゆり部隊が活動した陸軍病院の入り口(洞窟)の写真です」

前回の記事を以下に示します。
http://sokafree.exblog.jp/27030962/
平和祈念公園の見学を終え、ひめゆりの塔に向かいました。
クルマで5分ほどの所にひめゆり資料館があったからです。
ひめゆり部隊はあまりに有名ですが、何となく知っている程度。
でも、その知識は実際の万分の一でしかなったのです。

この資料館の土地に、ひめゆり部隊が実際に入っていた豪がありました。
大地にぽっかりと穴の開いた「ガマ」と呼ばれる洞窟です。
そして、その壕の入り口の後ろに、戦死した女学生の名前が刻まれた大きな石碑があり、手元にたむけられた花と無数の千羽鶴がありました。
私はここで、驚くべき事実を知るのです。

「えっ?こんな穴の底が野戦病院だって!?」
想像を絶する病院の入り口に、こん棒で殴られたような衝撃を受けました。
ひめゆり部隊の野戦病院は平たい大地の下に続く洞窟だったのです。
「これはまるで地獄への入り口じゃないか!」
私は全身に鳥肌を立てながら見入りました。

資料館に入場料を払い、館内の見学コースを歩きました。
そこには、当時の彼女たちの悲痛な現実が鮮烈に表現されていました。
野戦病院に動員された若き女学生たちの写真がありました。
ひめゆり部隊の別記事URLを以下に示します。
sokafree.exblog.jp/27032794/

まだ17歳、16歳、15歳なんです。少女です。
戦死した194名の少女たちの顔写真が展示室に貼られているんです。
沖縄本島の最南端。最後の激戦の地。ひめゆりの人たち・・
米軍に包囲され降り注ぐ砲弾の中、「解散命令」が下されました。
その瞬間から数日間で、無残にも女学生たちは死に絶えた。
砲弾で、ガス弾で、火炎放射で、自らの手りゅう弾で・・

あゝ私は悲しくて、悲しくてなりません。
あゝ悔しくて、悔しくてなりません。
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by sokanomori3 | 2017-08-06 06:23 | 沖縄の戦争 | Comments(7)

参考資料1:忘れるな「ひめゆり」のこと


☆www.youtube.com/watch?v=fu_77avtO2c



以下にYouTubeの歌詞の一部を抜粋します。

「平和と呼ぶには遠く、歴史にするには早すぎる。
深い傷をなぐさめるすべはないものか。
強い怒りを紛らわすものはないものか。
語りつげ、ひめゆりの歌を。
忘れるなひめゆりの歌を」

そうですね、語り継ぐこと。百年、千年の未来にも。
それが、戦没者の最大の供養ですから。
私は「平和祈念公園」から「ひめゆり平和祈念資料館」に向かいました。
今もひめゆり部隊に所属していた人たちは語り継がれています。

ひめゆり部隊222人の中の生き残りの人たちは、沖縄戦から70年経た今も、壕(ごう)の中に隠れている友人や日本兵が死んでいく夢を見るのだそうです。
「ひめゆり平和祈念資料館」の館長を務める島袋さんによれば、彼女たちは包帯を巻くなどの基本的なことしか教わっていなかったにもかかわらず、運ばれてくる兵士たちは重傷で、とても助けられるような状態ではなかったそうです。

「腸も飛び出してどうにもならない、顔がほとんどない、そういった人たちがどんどん運ばれてくる。一体何なの、どうしたらよいの、そういう気持ちでした」

島袋さんは当時17歳で、みんな1週間後には学校に戻れると思っていた。
現実には、ひめゆり学徒隊で生き延びることができたのは半数にも満たなかった。
多くは敵が近づく中、壕から出るよう命じられ、砲弾の雨の中で死んいった。
崖から海に飛び込んだ人、手りゅう弾で自死を選んだ人たちもいる。
島袋さんは今も死んだ友人の夢を見て、叫びながら目を覚ます・・

あれほどの出来事ですもの、忘れられるはずないです。
だからこそ、語り継がなければならない。
私たちの命ある限り・・

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by sokanomori3 | 2017-08-06 05:49 | 沖縄の戦争 | Comments(0)

戦争遺産が沖縄にはある


☆沖縄の戦没者の意味.

平和祈念公園「平和の広場」の写真を3枚添付します。
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写真解説「丸い池の中央に三角形のカタチをした石製のオブジェがあります。少数の見学者が記念撮影していました。丸い池の水の底には、アジアの地図が見えます」

写真は平和祈念公園の「平和の広場」です。
三角のオブジェは「平和の灯」と呼ばれています。
広場から沖縄の南に広がる海が一望できます。
この海の向こうは南方戦線になります。
石畳の上に金属プレートがあり、パラオまでの距離数が記されていました。
その距離2203キロメートル。はるか南太平洋の島でも戦争があった・・
どれほどの人命が海に空に陸に消えたのでしょうか。
海に島影は見えません。見えるのはただ海ばかり。
断崖絶壁です。ここは沖縄戦の最後の激戦の地です。
平和の広場は、早い時間帯だったので人影はまばらでした。
日差しが強く、静かで虚しい広場でした。
そこに茫然と佇みながら、24万人の戦没者の意味を考えました。
sokafree.exblog.jp/27030908/
無駄にしてはならないし、無駄ではないと思いました。
残酷無比な戦争の悲劇が私たちに戦争の現実を知らしめるからです。
そして、私たちに平和の尊さを教えるからです。
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by sokanomori3 | 2017-08-05 07:40 | 沖縄の戦争 | Comments(0)

沖縄戦の死者数


☆「平和の礎」刻銘者数.


「平和の礎」刻銘者数(平成28年6月現在)を以下に示します。
尊き人々の人生に深く哀悼の祈念を申し上げます。

「平和の礎」刻銘者数(平成28年6月現在)

沖縄県 14万9425人. 県外都道府県 7万7417人.
米国(U.S.A)1万4009人. 英国(U.K)82人. 台湾 34人.
朝鮮民主主義人民共和国 82人. 大韓民国 365人.
合計 24万1414人.

都道府県別刻銘者数(県外 7万7417人の内訳)

北海道 1万803人. 青森県565人. 岩手県685人. 宮城県637人. 秋田県485人.
山形県865人. 福島県1013人. 茨城県753人. 栃木県696人. 群馬県881人.
埼玉県1137人. 千葉県1622人. 東京都3516人. 神奈川県1334人.
新潟県1233人. 富山県876人. 石川県1072人. 福井県1184人.
山梨県551人. 長野県1376人. 岐阜県1075人. 静岡県1714人.
愛知県2974人. 三重県2727人. 滋賀県1691人. 京都府2545人.
大阪府2339人. 兵庫県3201人. 奈良県589人. 和歌山県916人.
鳥取県553人. 島根県745人. 岡山県1838人. 広島県1352人. 山口県1207人.
徳島県1285人. 香川県1389人. 愛媛県2087人. 高知県1006人.
福岡県4030人. 佐賀県1026人. 長崎県1600人. 熊本県1974人.
大分県1487人. 宮崎県1854人. 鹿児島県2929人.

<刻銘の基本方針> 

国籍を問わず、沖縄戦で亡くなったすべての人々。
沖縄戦の期間は、米軍が慶良間諸島に上陸した1945年3月26日から降伏文書に調印した同年9月7日までとし、戦没場所は沖縄県の区域内とする。
ただし、次に揚げる戦没者についても刻銘対象とする。

沖縄県出身の戦没者.
 
1. 満州事変に始まる15年戦争の期間中に、県内外において戦争が原因で死亡。
2. 1945年9月7日後、県内外において戦争が原因でおおむね1年以内に死亡。
 (ただし、原爆被爆者については、その限りではない)

他都道府県及び外国出身の戦没者.

1. 沖縄守備軍第32軍が創設された1944年3月22日から1945年3月25日までの間に、
  南西諸島周辺において、沖縄戦に関連する作戦や戦闘が原因で死亡。
2. 1945年3月26日から同年9月7日までの間に南西諸島周辺において、
  沖縄戦に関連する作戦や戦闘が原因で死亡。
3. 1945年9月7日後、沖縄県の区域内において戦争が原因で1年以内に死亡。



追記:私は岡山県の出身です。
同郷の人々が沖縄で戦死したことを平和祈念公園で知りました。
以下に沖縄・平和祈念公園の「岡山の塔」記事を示します。
sokafree.exblog.jp/27028951/
また、全国の人々が沖縄戦で亡くなられたことも知りました。
北海道の1万人以上の死者数に驚かされました。
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by sokanomori3 | 2017-08-05 06:30 | 沖縄の戦争 | Comments(0)

岡山県の出征兵の墓


☆沖縄は捨て石ではない.

平和記念公園の岡山県人の墓標の写真を添付します。
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写真解説「まるで手を合わせたかのような左右からの石柱の間に、岡山の塔と記された墓標があります。その向こうには水平線があり、白雲のかかる青空が広がっています」

前回の記事を以下に示します。
sokafree.exblog.jp/27026891/
平和祈念公園には、他の都道府県の兵士を祭る石碑も多数ありました。
わが故郷の岡山県人の戦死者を祭る石碑を見学しました。
岡山の沖縄戦での死者は1838人とのこと。
この他、全国から兵士が沖縄に渡り亡くなられたのです。
(沖縄県人以外の日本人の死者数は7万7417人)

遥か南方の海を背景として聳える慰霊碑。
その無言の姿を見て、私は はらはらと涙を流しました。
「なぜ、私はここに来たのだろう。過去世、私は沖縄にいたのだろうか。
今世に引き寄せられ、ここに来たのではあるまいか」
そんなふうに思いつつ・・

岡山県に生まれ、岡山県(広島含む)に親戚を持つ私。
その故郷から沖縄に来て戦争で死んだ人たち・・
その1838人の人々は私の兄弟そのものに思えました。
思い返せば、叔父はラバウルの戦地にいました。
機関銃の兵士で米軍と対峙し戦った人でした。
幸い、命を長らえ帰国することができた。
けれど、その戦争についはほとんど語ることはなかったのです。
沖縄より、はるか南で、無数の日本人が死んでいます。

過去、「沖縄は本土の捨て石だった」という内容のTVがありました。
でも、それは正しい認識ではないと私は思います。
沖縄で死んだのは沖縄県人だけではないからです。
沖縄の悲劇は全国民の悲劇だったのです。
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by sokanomori3 | 2017-08-04 06:14 | 沖縄の戦争 | Comments(21)

沖縄・平和祈念公園の石碑


☆恒久平和を誓う.

平和祈念公園の石碑の写真を以下に3枚添付します。
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写真解説「石碑の3枚写真です。その石碑の周囲の草をむしり、献花する家族もいおられ、その写真も撮影いたしました。最後の1枚はアメリカ兵の名が刻まれた石碑です」

前回の記事を以下に示します。
sokafree.exblog.jp/27024571/
私は導かれるように石碑の方向に歩きました。
じぐざくに設置された石碑に、無数の人間の名前が記されていました。
24万人を超える戦没者の名前が刻まれた石碑の群れ・・
石碑には、アメリカ兵の名前も刻まれていました。
アメリカ人もイギリス人も、内地の日本人も刻まれていました。
叔母は東京でバスガイドをしていて沖縄の人と結婚しました。
やがて沖縄へ。二人の子を産み、それが私のいとこです。
いとこと同じ名字が石碑にいくつも刻まれていました。
見て、遠い過去の出来事が今と繋がっていることを知りました。
胸が一層締め付けられ、悲しみが止めどもなく湧いてきました。
「いとこやその家族のような人たちが24万人も戦死したのか」
「これは石碑じゃない。これは墓標だ」
「ここは恒久平和を決意する場所だ」
強い日差しの中で、様々なことを考えさせられました。
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by sokanomori3 | 2017-08-03 05:49 | 沖縄の戦争 | Comments(7)

展望台からの平和祈念公園の風景


☆海に隣接する公園.

展望台から見える風景写真を以下に3枚添付します。
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写真解説「展望台から見える公園の石碑群、芝生や植樹、塔や朱色の資料館の屋根、海岸線、海などが映っている風景を角度を変えて写真に収めました」

前回の記事を以下に示します。
sokafree.exblog.jp/27020811/
沖縄の戦争、ヒロシマの原子爆弾・・
この2つの展示会を見て、私は打ちのめされました。

うなだれて館内を歩いていると資料館に展望台があることに気づきました。
エレベーターに乗って最上階に昇りました。
狭い展望室でしたが、とても見晴らしの良い風景が広がっていました。
青い空と青い海。緑の芝生や無数の石碑が見えました。

何と美しい風景だろう。何と素晴らしい平和だろう!
戦争がないなんて、何て輝かしいことだろう!

過去と現在を見比べて私はため息をつきました。
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by sokanomori3 | 2017-08-01 23:09 | 沖縄の戦争 | Comments(3)


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