カテゴリ:体験談( 44 )

続・精神病を理解する


☆学んで見えた精神病の苦痛.

前回の記事は、→ここをクリック!
私はカメさんとメールのやり取りをするようになりました。
そのメールから、カメさんは幻聴や妄想から大変悩んでいることが見えてきました。しかし、その苦痛がどれほどのものかは分かりませんでした。
そのカメさんより先に、私は千早さんの苦痛を知ることになります。

気分変調症 という言葉は聞いただけでは何も分からない。
1つの例として、ネットには次のように書かれています。

「1日中持続する抑うつ気分が長期間続く慢性疾患。
特徴は、社会や家庭への不適応感や罪責感、さまざまな刺激への過敏性、人や社会への怒り、社会からのひきこもり、興味の喪失、疲れやすさや活力の減退、生産性の欠如。具体的には、食欲不振または過食、睡眠困難、倦怠感、集中困難あるいは決断困難、絶望感 のうち、少なくとも2つの症状を呈します。
これらの症状が、ほぼ毎日、途中で普通の気分の期間があっても、2年以上続く。症状は1日のなかでも後半に悪化する傾向がある」

これで理解できる人はいるでしょうか?
読んでみたところで、具体的な辛さは伝わってきません。
しかし、実際に悩みを聞き、元気な姿や、変調になり苦しむ姿のギャップを見れば、ただ事でないことが分かるようになります。
今、千早さんはこの病を克服されていますが、数年間、本当に苦しまれたし、私も心配したし悩みました。何とか打開したいと専門書を読みあさりもしました。
千早さんは仮病をするような人ではありません。
過去、うつ病を仮病と思っていた私は、痛烈に学んだのです。
「本当に精神病はある。しかも大変な苦痛を伴っている」と。
次に統合失調症についてネットの記述を引用します。

統合失調症 は、幻覚や妄想という症状の精神疾患です。

「統合失調症は、およそ100人に1人かかる頻度の高い病気。
この統合失調症は、新しい薬の開発と心理社会的ケアの進歩により、完全かつ長期的な回復を期待できるようになりました(WHO 2001)。
厚生労働省による調査では、ある1日に統合失調症あるいはそれに近い診断名で日本の医療機関を受診している患者数が25.3万人で(入院18.7万人、外来6.6万人)、そこから推計した受診中の患者数は79.5万人とされています(2008年患者調査)
発症は、思春期から青年期という10歳代後半から30歳代が多い病気です。

原因は、今のところ明らかではありません。進学・就職・独立・結婚などの人生の進路における変化が、発症の契機となることが多いようです。 ただ、それらは発症のきっかけではあっても原因ではないと考えられています。
統合失調症で最も多いのは、聴覚についての幻覚、つまり誰もいないのに人の声が聞こえてくる、ほかの音に混じって声が聞こえてくるという幻聴(幻声)です。

妄想とは、明らかに誤った内容であるのに信じてしまい、周りが訂正しようとしても受け入れられない考えのことです。
「街ですれ違う人に紛れている敵が自分を襲おうとしている」(迫害妄想)
「近所の人の咳払いは自分への警告だ」(関係妄想)
「道路を歩くと皆がチラチラと自分を見る」(注察妄想)
「警察が自分を尾行している」(追跡妄想)
「考えていることが声となって聞こえてくる」(考想化声)
「自分の意思に反して誰かに考えや体を操られてしまう」(作為体験)
「自分の考えが世界中に知れわたっている」(考想伝播)
 などの内容が代表的で、これらを総称して被害妄想と呼びます」

体験したことのない人からすると分かりにくいでしょう
その苦痛がいかなるものかが空想できないからです。
でも、今、私は統合失調症の苦痛もはっきりと感じられるのです。
それは千早さんとカメさんとのお付き合いから学びました。
寄り添った時間と悩んだ量から理解が深まりました。

私は3年以上の時間をかけて、やっと断言できるのです。
うつ病や統合失調症は大変苦しい病です。
この病は、他の苦痛を伴う怪我や病気と同じです。サポートすべきです。
そして努力次第で克服できます

克服した勝利者がいるから希望が持てます。^^



さて、前置きはこのぐらいにしたいと思います。
ではカメさんの体験を語りましょう。
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by sokanomori3 | 2016-08-21 21:58 | 体験談 | Comments(3)

精神病を理解する


☆精神病を理解したプロセス.

統合失調症を克服したカメさんからのメール写真を添付します。

b0312424_20101594.jpg<写真解説>
一応今でも薬は飲んでいますが副作用に負けず頑張っています(^^♪
と記されたメールの写真です。



私は精神疾患、うつ病すらよく理解できないでいました。
それが統合失調症となると、さらに分からないのです。
カメさんの体験を語る前に、まず、私の体験からお話します。

精神科病院 とはどういう病院なのでしょうか。
昔は精神病院と言われていました。名称が変わったのは平成18年6月です。
その改定の理由は「精神病院という用語には精神病者を収容する施設というイメージが残っていて、このことが国民の正しい理解の深化や患者の自発的な受信の妨げとなっている」という理由からだそうです。
かくいう私は、幼少期、精神障害(統合失調症やうつ病)の知り合いはいませんでした。その私が精神病の人を見たのは26歳前後の時です。
社会人になってしばらくして、精神科病院を仕事で訪れたのです。
(以下、当時の話なので精神病院と呼びます)
当時、私は何の知識もなく精神病院の建物に入りました。
そこは老人ホームのような感じでしたが若い人もいました。
鍵のついたドアをいくつか通ると、目つきがおかしい男性がいました。
普通ではないのです。重い症状のようでした。
さらに奥に進むと鉄格子の檻のような部屋がありました。
私が見た風景はそれだけです。

うつ病の人 を実際に知ったのはそれから20年近く経ってからです。
私が42歳のときだったと思います。
その知人は家を建て、子供のいる家族のご主人でした。
優秀な大学を出て仕事をされていましたが、うつ病で退職を余儀なくされ、転職しましたがやはり続かず休職していました。
知人は失業保険が切れるまでに就職しなければならず悩んでいました。
奥さんは家計をまかなうためにパートをしていました。
親密な付き合いはなかったのですが、私は年賀状を出していました。
1月の初旬、ハガキが送られてきて、その知人が亡くなられたと知りました。
知り合いから遠回しに聞くと自殺でした。ビックリしました。
その後、職場にうつ病の社員がいて休職しました。
とにかく「ガンバレ」と言ってはならないと教えられ、腫物にでも触るように優しくするだけに終始しました。「仮病ではないのか」とも思っていました。
見た目は普通です。だのに病気だという・・

理解できない 人たちだった精神病の人々・・
その人たちがどのような苦悩を感じているのか。
そのことを知ったのはこの3年ほどの間、直近のことです。
それまでは接触はあったものの理解をしようとしなかった。別世界の人たち、理解できない人たちと思っていました。
その世界を痛烈に教えてくれた人がいるのです。
一人は千早さん、もう一人がカメさんでした。
千早さんは「うごけん病」という病気、カメさんは「統合失調症」でした。
うごけん病というのは千早さんが付けた名称で、実際は「気分変調症」と呼ばれる病気。名前からは大変そうなイメージはありません。
「動けない病気って なんだろう?」と最初は思っていました。
ともかく気持ちが重くなり動けなくなるのです。
同じころ、カメさんの悩みに接しました。「幻聴を聞く」とのこと。
私は困惑しました。なぜなら雲を掴むような話だからです。
励まそうにも励ませないもどかしさ・・
当時のカメさんの記事が<別館>にあります。
その記事は、→ここをクリック!

当時の私は、統合失調症と聞いてもさっぱり分かりませんでした。
まして、千早さんが病気とも感じていませんでした。
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by sokanomori3 | 2016-08-21 20:18 | 体験談 | Comments(3)

うつ病と統合失調症を克服した体験(はじめに)


☆統合失調症を克服し社会復帰.

YouTube「Story - AI(フル)」を以下に添付します

 


b0312424_2062817.jpg<写真解説>
うつ病と統合失調症と闘う体験者からのメールの写真です。
「悲しいことや苦しいことが一度にやってきて毎日泣いてしまいます‥
困ったことに私は泣くと目が2倍にふくれあがります(笑い)」
と書かれています。




皆さんは統合失調症という病気をご存知でしょうか
幻覚や幻聴が聞こえるという精神疾患です。この病気にうつ病が加わり、とくに幻聴の症状がひどく悩まされていた人がいました。
この人から最初にコメントを頂いたのは2013年のこと。
以来3年、私はメールを通して寄り添いました。

私はうつ病も統合失調症も、当初まったく理解できませんでした
何もかも信心で治せるとの確信も、こと、精神的病の場合は、私は確信をもって「治ります」とは言えませんでした。私にとっては不可解な病でした。
私は精神的病の人を何とか励ましたいと、専門書を買って読みました。
けれど、やっぱり分からなかったのです。
生半可な知識でブログに励ましのコメントを書いたところ、逆に多くの方々から批判されました。私は何も言えなくなってしました。
その中で、私のトンチンカンな反応にも一度も怒ることなく、いつも前向きなメールを下さった人がいました。この人、今も薬は服用されていますが、社会復帰を遂げられたのです。就職は一度目は失敗、でも二度目は続けているようでした。
先日、その方から嬉しいメールが届いたのです。

菊川さん、元気にしていらっしゃいますか?
私、元気に仕事を頑張っています(^^♪
配属先は恐ろしいところで、仕事がドンドンやってくるし、ミスの許されない仕事で緊張するし、上司にケチョンケチョンに言われこともありました。
そこで、朝晩の勤行とお題目で御本尊様にありのままを話しました♪
すると、他部門の仕事も両方覚えるように言われて手伝いに行きました。
そこには長年働いているスタッフがいたのですが、お題目が150万遍を突破したとき、長年働いていた方が家庭の事情で辞めると言うのです。
そして私は、嫌な部門を脱出でき、その部門の担当になりました!!
大変だけど、頑張ります!(^^)」

就職して何ヶ月経ちましたか?と聞くと「8カ月」とのこと。
メールにはさらに嬉しいコメントがありました。

今月末に両親へのプレゼントで二泊三日の温泉旅行に行く予定です!!
給料日にはお母さんには3万円、お父さんには3000円を渡して美味しいものを食べてもらおうと月に一度の外食を楽しみにしてくれています♪
親孝行って大事ですよね!(^^)」

このメール、通勤電車の中で見たのですが、もう、泣けて、泣けて・
この勝利の報告に至るまで、どれだけつらい出来事があったか。
3年のプロセスが走馬灯のように蘇ってシビレたのです。(^^)
この記事に添付した写真、その方の苦境のときのメールです。
目を二倍にはらして泣いていた時期もあった、それが・・
今、職場で8カ月が経過。今も薬を飲みながら仕事を続けている。
そしてお給料から、両親に親孝行されている。
スゴイ実証に、私、心から敬服いたしました!^^
後日、「体験、私のブログに記事にしていいいですか?」と聞きましたところ、こころよくOKをいただきました。
その人のハンドルネームは「カメ」さんといいます。
以下に、その体験をお話しいたします。
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by sokanomori3 | 2016-08-20 20:12 | 体験談 | Comments(8)

人生の終わり方


☆四条金吾の眷属の人生.

死を間近に感じてから、亡くなるまでの日々。
人生の最後に何をし、何を残すべきか。
聖教新聞(7月20日)に興味深いタイトルを見た。
「父が選んだ人生のしまい方」というもの。興味深く拝した。
97歳で亡くなった壮年部員の人生が描かれた記事でした。
主要な内容を抜粋し所感を述べます。

1961年、池田会長との面談があった。
当時の手記に「心が広くて深い人になってくださいと、対話してくださいました」と書かれている。この出会いが、強い信心に向かわせた。
石橋恍敏(いしばし たけとし)さん。人情に厚い庶民肌。
55歳で町会議員に請われて3期務めた。

65歳の時、大量の血を吐いた。癌が全身に転移し手術できない。
薬剤師という立場。余命2カ月の重みは誰より理解していただろう。
御本尊の前で背筋を伸ばし「ただ今から、仏と魔との戦いを始めます」と血痰を吐きながら幾日も唱題した。
ティッシュペーパーを1日に20箱も使った。
息子は語る。「仏法を分かった気になっていたと、父は畳に頭をこすりつけて御本尊に詫びていました」
病む体をおして仏法対話に歩いた。
震える手で折伏の手紙を出した。
便箋3枚を書くのに5日かかった。
血とし、肉としたのは日蓮大聖人の魂だった。

2年後の11月、余命宣告した医師がカルテに「陰影は自然消滅」と書いた。
題目で掴んだ体験が友に光を与えていく。
それは信心をした者のみが知る醍醐味であろう。「このやまひは仏の御はからひか」(1480)を実感しながら、信心のすさまじさを語り歩いた。
方法論にとらわれた友に、「なんで御本尊に任せんのかね」と。
試練が襲いかかるたび「全てに勝利できる」との巌の如き信が際立った。
70代の交通事故。80代の脳梗塞と前立腺がん。
手記には「たとえ死ぬとしても、御本尊の前で死ねれば本望だ」とも。
その覚悟でつないだ命。

90代 に入ると死を間近に感じる。
これまでの歩みの確かさを噛みしめる。
親指と人差し指を近づけて、「信心がちょっとだけ分かってきた」「ようやく仏法の入り口に来たような気がする」と。
いつか訪れる旅立ちを前に、祖父として何を残すか。
その問いは、残りの人生をどう生きていくかということでもある。
肝に銘じた言葉がある。
「私は炭鉱病院の薬剤師として働いていると申し上げました。
すると池田先生は、“四条金吾の眷属と思って多くの人を救っていくことです。転職と思って、一生やり通してください”と言われて・・」(手記より)
池田先生と面談した日の記憶は人生の支えになり、力になった。
職場柄の通勤は体力を消耗させた。
師匠との約束を黙々と果たし抜く。
それが自ら選んだ人生のしまい方だった。

3年前の夏、慢性呼吸不全と肺炎とで入退院を繰り返した。
車椅子で動き、酸素ボンベに呼吸を頼った。
日々に体力が奪われ、「これが老衰というのだろう」とつぶやいた。
石橋さんが幕を引いたのは一昨年の1月23日。
看護師が夕食を下げに来たとき、石橋さんはベッドを起こしたまま穏やかに息を引きとっていた。あれから2年半。家族は石橋さんの言葉を思い出す。
「死ぬ時の宝は、題目しかないからな」.



仏法に生き、仏法に死んだ97年の人生の物語・・私もいずれ死にます。その死は、この創価の大先輩のごとき死でありたいと思います。
記事を読みながら、私の父の言葉が聞こえてきました。
「広幸、わしは死ぬことなんか、ちっとも怖くないぞ」
「お母ちゃんを頼むな。お母ちゃんを助けてやってくれ」
父の言葉は、今も耳にはっきりと残っているのです。
私の父の記事は、→ここをクリック!
父の別記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2016-07-25 05:41 | 体験談 | Comments(7)

癌と戦う婦人部の体験


☆癌との連続闘争に生きる.

聖教新聞(3月25日)に癌の闘病体験が語られていた。
両腕を広げ、笑顔で空を見つめる女性の写真があった。
その表情は清々しく輝き、大勝利者に見えた。
しかし、このご婦人(史子さん44歳)は、今も壮絶な癌との闘争を続けている。
以下に、その体験談を一部改変し所感を述べる。

乳がん と診断されたのは2008年(当時36歳)であった。
乳がんの摘出手術の後、2011年に癌は右大腿骨に転移し、右足に人工関節を入れた。そして2012年、癌が右ひざに発見される。
2014年7月まで辛い抗がん治療が続いた。これでもか、これでもか、という命を揺さぶられるような毎日だった。現在も薬を飲み、治療は続いている。
「ときには恐怖があります。でもそれ以上に、信心の意味を証明しようとする使命感が、いつも上回ります」と彼女は語る。

父母の癌。そして自分自身の癌。
母を胃がんで先に亡くし、続いて父を尿管がんで亡くした。
その父が闘病生活をしている渦中、史子さんは乳がんの宣告を受けた。
父は入退院を続けながら、池田先生の指導に奮い立つ。「万人に等しく訪れる生老病死。そこにどう立ち向かうかに、人の真価は表れる」・・
父は日課の5年日記を総仕上げの自分史と位置付け、書き綴った。
2008年、史子さんの乳がんを知り次のように記した。
「すべて御本尊の御計らいと信ずる」
当時、史子さんは不妊治療を進めていたが、がん治療と相反することから両立できなかった。その史子さんを励ました同志の言葉があった。
「病気になる人は、御本尊のすごさを証明するために選ばれた人なんだよ」・・唱題を重ね、父母の歩みを思い納得した。
「子育ての道が閉ざされてもいい。広宣流布に生き抜こう!」

乳がん手術 の翌年、史子さんはミセス総県委員長に就く。
「子供のいない私でいいのか」と迷ったが、「これは、私にしか果たせない使命なんだ」と創価の生き方を選んだ。
その後、大腿骨、ひざと、癌が転移した。
医師から「がん体質」と告げられると「宿命なんだ」と唱題に力がこもった。
史子さんは御本尊の前で祈り続け乗り越えていった。
時折、3年前に他界した父の5年日記を開くという。
懐かしい文字に励まされるという。
その日記の末尾、書き写された師匠の言葉に決意を固める。
「人間だれしもが病気になる。その中から、どう深い信心によって、一段と大きな境涯を開いていけるか。これが大事だ」
この史子さんの担当医は言う。
「治療を続け、がんの病勢は抑えられています。非常につらい治療が続く中でも、前向きで明るい姿を見せられ、私たちにとっても救いになります。
現在、月一回の受診を続けれていますが、史子さんのお元気な様子に、私の方が、やる気と喜びを与えられています」

所感.
史子さんは地区部長、お姉さんは支部婦人部長として活躍されています。
また、史子さんの夫は地区幹事、姉の夫はブロック長(子ども2人)。
史子さんが空を見上げる写真がステキでした。
何て学会員は素晴らしいのだろう!と思いました。
紙面に、今は亡き史子さんのお母さんの俳句が紹介されていました。
「ふまれても けなげに咲きし 野辺の花」
親子の連続闘争を知り、感涙いたしました。

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by sokanomori3 | 2016-04-01 21:00 | 体験談 | Comments(18)

創価学会の唱題の功徳


☆百万遍唱題の功徳で得たもの.

旧創価の森ブログの写真の5枚を組み合わせた映像を以下に添付します。 
b0312424_5102824.jpg

写真解説.「地区総会の風景写真、お見舞い用の折り鶴、本部長から頂いたコーヒーカップ、地区部長のオートバイ、座談会の未来部の写真の5枚を1つに組み合わせた映像です。表題として100万遍唱題、あれから30年、冬は必ず春となると記しています」

yukiさん が、2011年8月22日に「百万遍唱題の功徳」という記事にコメントをくださり、その後も毎年のようにコメントをくださっています。
その百万遍の記事は、→ここをクリック!
先日、次の内容のコメントがありました。(要約)
「信心をしていても、疑問もでてきます。不安や悲しみもあります。
そんなとき、ここがあるからがんばれます。
これからもここをよりどころとさせていただきますね」
ずっと、この1つの記事を何度も何度もご覧になられているようです。
今、私にも不安と悲しみはあります。でも、疑問はありません。
それは唱題の功徳を得たから。心から納得したから。
私、一点の曇りもない唱題の功徳を全員に受けていただきたいです。
どうかyukiさん、永遠不滅の幸福、掴んでくださいね!
そして、学会同志の皆さまも大功徳受けてくださいね!

唱題の功徳 は途方もないものです。
私としては、過去の私の体験が私の人生のよりどころです。
あの百万遍があったから、次の三百万編の戦いもあったのです。
三百万遍唱題の功徳は、→ここをクリック!
私の人生は、何もかもが全部変わりました。
真っ黒なオセロゲームが真っ白に全部変わった。
惨めで、人付き合いの悪い、コンプレックスだらけの人生が、誇らしい、沢山の人たちと交流できる、自信に満ちた人生に変わりました。
この記事の5枚組映像に掲げた写真の記事を以下に添付します。

◆地区友好大会  ◆お見舞いの千羽鶴  ◆ユゴーの記念カップ 
◆地区部長のハーレーダビッドソン  ◆未来部

健康も仕事も家庭も全部、不自由ありません。その中で私が最も功徳と思っていることは、温かな創価家族の中で生きられることです。
数えきれない功徳をいただき分かったのはそのこと。
それは“学会員であること自体が幸せ“ということ。
その解説記事は、→ここをクリック!

創価家族 の一員である幸せ。
善友の中で生きられること。励まされ、励まし、ありのままの姿で生活できること。笑顔で生きて、笑顔で死んでいけること。
その創価家族の中心に、今も尚、池田先生がいらっしゃってくださること。
信仰は“幸せになるための手段”ですけれど、幸せになって分かったのは、学会員という自分がどれだけ幸福か、どれだけ楽しいことかということ。
私の日々の充実した生活、苦難の一切を乗り越えていける生活の一部始終が大幸福、大安楽なのです。そのことをリアルブログとして5年間つづりました。
リアルブログは、→ここをクリック!
これらの生活の一切が最初の百万遍唱題によって生まれたのです。
勿論、信心は信行学(しんぎょうがく)です。
祈りだけではない。決意と祈りと行動です。
努力は必須です、棚ボタなんかありません。
でも、祈って動けば絶対に人生を開くことができる。
戸田先生の指導は、→ここをクリック!
祈って動く記事は、→ここをクリック!

皆さま、冬は必ず春となります。それは絶対に間違いありません。
難を乗り越える信心です。変毒為薬の信心です。
宿命転換、人間革命の信心です。そして一生成仏の信心です。
そのことを深く信じて共々に唱題しましょう。
そして功徳の花、爛漫と咲かせましょう!

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by sokanomori3 | 2016-02-28 06:41 | 体験談 | Comments(10)

忘年会を楽しむ


☆料亭での忘年会料理.^^

仕事納めの忘年会で出された料理の数々を以下に添付します。
b0312424_6165690.jpg

写真解説.「忘年会で出された料理と飲み干したワイングラスの9枚組の写真です。料理は掲げた映像で8品目ですが、実際は10品目ありました。美しい器に海の幸、山の幸が宝石のように盛り付けられています」

最後の忘年会が終了しました。
最後は豪華な会社オーナー主催の忘年会でした。
飲みましたよ。ビール、ワイン、日本酒、ウイスキー、どれもこれも。
料理もお酒も最高に美味かった!(^^)
御馳走(ウニ、イクラ、タイ、マグロ、高級牛肉、その他あらゆる食材の絶品)ですから確かに美味しいのですが、何より、本年の下半期の仕事の勝利があっての美味しさであり、楽しさなのです。(^^)
今年は会社に恩返しができましたから、皆、感謝してくれた。
その恩返しの記事は、→ここをクリック!
喜びがあれば、カップラーメンすら御馳走になりますが、さらにこれらの料理だったものですから、そりゃ、美味い。どれもこれも、外れがない。
口に入れるごとに「こりゃ最高だ!」という日本料理の極み。
参加者はグループ会社の貢献者約30名。仕事をやり切った、力を出し切ったというつわものばかり。皆、至極のひとときを過ごしたのです。^^
2015年、55歳の年末、勝ちました。幸せ、味わいました。
で、しみじみ味わい、大いに盛り上がり、かなり飲んで・・
帰りの道のりは長く、なかなか自宅に着かなかったです。あははっ。(^^:
と、いうことで、しばらく休肝日といたします。
年内は、もうお酒は飲みません。^^

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by sokanomori3 | 2015-12-29 07:11 | 体験談 | Comments(9)

新・勤行要典で功徳


☆新・御祈念文で年末勝利.

先月、11月17日、聖教新聞に勤行要典の改定が示された。
その改定記事は、→ここをクリック!
私は歓喜の中の大歓喜をもって、この改定を受け入れた。
日顕宗の呪縛を解かれ、創価が世界宗教になったからである。
「法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊、末法の御本仏・日蓮大聖人、そして師弟不二の日興上人に帰命し、創価学会三代会長を広宣流布の永遠の師匠と仰ぎ、さらに自ら、世界平和と一切衆生の幸福のために広宣流布を果たし行く祈り」となった。創価学会は、まさに完成した。^^
さて、先日、大功徳をいただいたので、そのご報告をいたします。

身を引いた老兵.(苦しんだ上半期)

私は本年、才能の衰えを感じ、ある責任ある職位から離れました。
理由は、会社の未来を背負う商品開発が成功しないからでした。
肩の荷を下ろし、やり直しを図ったのです。
私は立ち寄った本屋で「シンプルに生きる」という本を購入して読んだ。
その本の記事は、→ここをクリック!
そして「社内転職」を決意し、会社オーナーに相談した。
職位が解かれた翌日、私は早く仕事を終え、新宿の映画館で「あん」という映画を見た。映画をじっと凝視し、泣いて、すっきりしました。
その時の記事は、→ここをクリック!

内容は業務上のことなので今は語りませんが、もう何十年もやってきた職務を降りるというのは、自ら望んだこととはいえ、辛いものがありました。
けれど、遅かれ早かれ、引退の時はかならず来るのです。
能力は無限ではない。押し寄せる年齢に勝てないことがあるのです。
以来、半年間、原点に戻り、地道にコツコツと仕事をしました。
そして、思いもかけず、早速、成功を収めたのです。
第一段階の勝利は10月に得ました。
その記事は、→ここをクリック!
そして年末、私が手がけた商品の発表会が開催されたのです。

老兵は死なず.(下半期に勝利)

この勉強会の朝、御本尊に真剣な勤行、唱題をしました。
「勝たせてください!」と祈り、新しい御祈念文で強く念じました。
創価の御本尊で、フル充電をして家を出ました。
東京会場に300名の人たちが集まりました。
そうです、前回10月に集まった人々が再び集まったのです。
勉強会は、私が手がけた新商品の発表会であり、朝から夕方まで1日を使ったイベントになりました。私は、このイベントの運営責任者であり、商品を製造するメーカー、販売会社が5社の協力を得て、新商品の勉強会を開催しました。
来年、大きな売り上げ規模に成長してほしい商品です。
長い目で見れば、数十億円?の売り上げも夢ではありません。

イベントの冒頭、会社オーナーは全員の前で挨拶しました。
「今回の商品は、菊川さんが作りました。皆さん、しっかり勉強してください!」
そして、私がマイクを引き継ぎました。
「このたび、導入の運びとなりました本商品は、※※さんとの出会いが発端でした。ある日、※※の話をお聞きし、ぜひ、製造元である※※で詳しい話をお聞きしたいと申し上げたのです。そこでメーカーに橋渡しをしていただきました。メーカーの※※さんのお話を聞いて、心底、驚きました。素晴らしい商品だったからです。そこで、お願いしました。
「ぜひ、当社で取り扱いをさせていただきたいのです」と。
そして、晴れて取り扱い許可が得られ、本日の勉強会となりました。
一流の※※の商品であり、完璧な裏付けのある商品です。
どうか皆さま、本日は大いに学び、大いに吸収してください。
そして、明日から大いに売ってください!
この日を迎えられましたのは※※さん、そして※※さんのお陰です。
本当に、ありがとうございました!」

挨拶を終え、勉強会が始まりました。
メーカー、販社、専門家の講義が続き、最後に私が総括として講義しました。
勉強会は無事終了。反応は上々でした。(^^)
不思議なことに本年前半に泣き、年末には笑うことができたのです。
失意の中で重き荷を下し、空っぽになって歩んだ下半期でした。
こんなにも早く結果が出せるなんて思ってもいませんでした。
新しい御祈念文になって、早速の勝利となりました!
数日後、私は学会本部で報恩感謝の唱題をしました。
その記事は、→ここをクリック!
.

今、アンチ創価学会が御祈念文の改定を批判しているようですが、全ては結果です。幸せになるか、不幸になるか。それが真偽を証明することでしょう。
ともかく、本年度のこの勝利、一番驚いているのは私自身です。
これからも私、勝ち続けることはできるでしょうか?
勝ちたいです。創価の正義の証明のためにも。^^

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by sokanomori3 | 2015-12-18 23:19 | 体験談 | Comments(4)

分水嶺(ぶんすいれい)


☆祈って動いて勝ちました.^^

人生は戦いの連続です。
55歳、年齢的に仕事はキツイ。でも、まだ負けられません。
若い者たちに圧倒され、少しづつ身を引く年齢です。負けたら「菊川は老いた」と言われる可能性が高い。いや、間違いなくそうなります。
先日、抜き差しならない厳しい仕事がありました。
その体験を赤裸々にお話しいたします。

4組 のプレゼンが300人の聴衆の中で行われた。
会社オーナーが見守っている会場に、若い社員から年配の役員までいた。
説明者4組の中に私がいた。勝てば官軍、負ければ賊軍の大勝負。
朝、勤行、唱題し、私の出番の時刻を妻に伝えた。
「申し訳ないが、今後の3年の仕事を決める大一番だ。題目送ってくれ」と言って出社した。このような緊迫した仕事は何年ぶりだろうか。
10年ぶりかもしれない。怖い勝負は刻一刻と近づいてきた。
4つの商品の勉強会なのだが、これだけの数の人たちが集まり、その壇上で私が発表するというのは久しぶりだった。
もし、頓珍漢な発表をしようものなら「菊川の時代は終わった」と見捨てられかねない。怖く苦しい、そして辛い仕事だった。
でも、私が作った商品だし、オーナーの指名だから逃げられない。
商品は良いものだから喜ばれることは分かっていた。
普通に発表ができれば大丈夫との思いもあった。
持ち時間は1時間である。50分程度で終えられるスライド数を準備して、導入の話をあれこれ考えて当日に臨んだ。

ライバル は驚くほど一流の人たちでした。
1組目は博士と話がうまい2人組、2番目は年に100回も講演しているプロフェッショナル。この2つがプレゼンを終えて私は真っ青になった。
あまりにレベルが高いのだ。完璧に見劣りしてしまう‥しかも3組目は過去絶賛のチームが控えている。恐怖心が沸いて咳が止まらくなった。
朝、勤行・唱題して声が枯れたし、調子がイマイチだったが、プレッシャーでことさら体調が悪くなり、右の耳がストレスで聞こえずらくなった。
これで3組目がパーフェクトのプレゼンをしたら、ほぼ私は敗北だ。
胃が昼食を消化しない。吐きそうになるほどのプレッシャー‥
ところが3組目は3人のチームで1人がコケてかなりオカシナ発表になった。
これで私は多少浮かばれるかと思ったが、最後の1人が名誉挽回で長々と話をする。すると時間がどんどん経過して、私の持ち時間まで奪ってしまった。
組み上げたスライドストーリーが、このままではだめになる…
焦った私は心の中でお題目を始めた。気がおかしくなりそうだ。
結果、私の予定時刻を40分も奪われてしまった。
「菊川さん、申し訳ないが30分で説明を終えてほしい」と司会に言われた。
私は用意した数多くの話を捨てて、ポイントだけの話をせざるを得なくなった。
あゝ、なんてアンラッキーなんだろう、楽しい話もできない、通り一辺倒の説明しかできない‥でも、「菊川は気の毒だった」と大目に見てもらえるだろうか。
ともかくベストを尽くすしかない。
「僕は池田先生の弟子だ。負けてたまるか!」と心の中で叫んだ。
体調が一段と悪くなり、のどがイガイガして飴をなめながら待った。
名前が呼ばれ、紹介があり、プレゼンを始めた。

予定時間
 が半分になりました、詳しいお話はできませんがポイントをかいつまんでお伝えいたします、と冒頭に挨拶した。
後方の席からオーナーが見守っている。私のスライドプレゼンを始めて見る人、過去若かりし頃の私を知っているが、一体、今回はどうかと見る人‥
アクシデントをどう調整するのか。多くは「お手並み拝見」だったと思う。
組んだストリーはスライド44枚。配布資料5枚。
「このスライドは時間の都合上、割愛します」、「詳細部分は本日は説明できません」と解説しながらスライドを切っていく。
それでもポイントは心を込めて説明した。
大事な大事な、祈りながら組み上げた商品の発表である。
この素晴らしい商品よ、観衆に届け!と願いつつ話しました。
すべてのスライドが終わり壇上を降りました。オーナーが私に言った。
「よくやった、いい内容だったよ」とほほ笑んでくれた。
数人から声がかかった。「いい商品だ」「一番、わかりやすかった」
成功したのです。みじめな敗北はありませんでした。



思うに、前のプレゼンが長すぎてだれたところに、端的明瞭な私の説明が実力以上に観衆をすっきりさせたようなのです。
私は思いました。「これは功徳だ。予定通り1時間かけてやったら、ここまでの評価は得られなかっただろう」と。
妙法です。功徳としか言いようがありません。
いつもご本尊は守ってくれる。勝たせてくれる。
本当にありがたい信心です。^^

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by sokanomori3 | 2015-10-30 22:46 | 体験談 | Comments(16)

想像を絶する幸せ(体験談)


☆10年前の不幸がウソのよう.

旧ブログに掲載した母の70歳の誕生日プレゼントの写真を添付します。

b0312424_651236.jpg<写真解説>
ダイヤのように輝くスワロフスキー念珠の写真です。箱に収まった状態で撮影しました。全体がカットガラスでできた念珠で、キラキラ輝いています。母は誓願勤行会に持参していました」

このたび、母が誓願勤行会に参加しました。
広宣流布大誓堂(こうせんるふだいせいどう)で、親子二人が並び、広宣流布の祈りを捧げました。
その記事は、→ここをクリック!
私たちは、世界一幸せな親子になりました。^^

10年前の冬、私は母からの電話に凍りつきました。
「広幸、わたしは乳癌になった。手術をする」
「心配せんでもええんよ。必ず治すから」
携帯電話の母の声を聞き、私は道端にヘナヘナとしゃがみました。
ショックと悲しみとが私の心を締めつけました。
あとの話は覚えていません。私が何を話したかも記憶にありません。
ただ、「母は死んでしまう」との悲観が心に広がったのです。
私はすぐに帰郷しました。そして、医者の話を聞きました。
そして、用意していた30万円の包みを医者に渡しました。
「母によい手術をしてやってください」
その日は粉雪が降っていました。心は氷のようでした。
1週間ほどして、その医者から電話がかかってきました。
「お母さん、心臓弁膜症であると知りました。抗癌治療は弁膜症の手術が条件になります。当病院ではできません。そこで、良い医者をご紹介します」
そうして母は、岡山の大学病院の名医に手術をしてもらったのです。

幸いなこと に乳癌は初期で、乳房の間にあり、乳房を切除することなく終わりました。
問題は心臓弁膜症の手術でした。胸中央を切り、肋骨を外して心臓の手術をし、その後肋骨を埋め戻すのです。
心臓の手術の間は、血液を機械に循環させるのです。
気絶しそうになるような恐ろしい手術。失敗すれば母は死にます。
6時間を超える手術が行われ、翌日、ICUに意識のない母を見ました。
生きているのか、死んでいるのか‥
私は妻に看病をお願いし、東京に帰りました。
「母に親子孝行といえることを何もしていない」
そのことが悲しくて仕方ありませんでした。

御金言 に「冬は必ず春となる」とあります。
粉雪の舞い散る冬に帰郷し、医師に必死に懇願した母の手術。
それが今、まさかの母の健康です。しみじみと功徳を感じます。
母は満面の笑顔で言います。
「私は幸せだよ。こんなに幸せになれるなんて思ってもみなかった」
私もそうなのです。考えられない幸せです。
夢でも見ているような、そんな素敵な幸せです。
母は、私が70歳の時にプレゼントした数珠を持って誓願勤行会に臨みました。私は窓際族のとき300万遍を唱えたときの念珠で祈りました。
私たちはそれぞれの功徳を噛みしめて祈りました。
そして、これからの未来の広宣流布を祈りました。
母の念珠の記事は、→ここをクリック!
私の念珠の記事は、→ここをクリック!

皆さん、いかがだったでしょうか。これは自慢話ではありませんよ。
このような記事を書くと「自慢話!」と批判する人がおられますがそうではない。私は創価学会の功徳をお伝えしたいだけ。
私はこの信心で幸せになったのです。誰が何と言おうとまぎれもない事実です。
最後までご覧になって頂き、ありがとうございました。
以上で、今回の誓願勤行会のご報告を終了します。(完)
前回(昨年)の誓願勤行会は、→ここをクリック!
シリーズ最初の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2015-10-08 06:21 | 体験談 | Comments(14)


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