カテゴリ:体験談( 44 )

人生最大の幸福


☆一生成仏の軌道を歩む人生.

御書全集の一生成仏抄のページの写真を添付します。
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田中角栄に関する本を読みました。
学歴のない土建屋が総理大臣となり、やがてロッキード事件で転落する物語。
読んで思ったことは、田中角栄はスゴイ人だったということ。
努力の人であり、愛情深い人であり、感心させられる名場面が満載でした。
過去、私が角栄氏に抱いていていた印象は「金権腐敗」の象徴で、当時、政治の世界をまったく知らない子供から見れば「悪い人」でしかありませんでした。
けれど、金権政治がある程度許される時代でしたし、人は欠点もあれば長所もあるもので、長所だけ見れば途轍もなく素晴らしい人だったと驚きつつ読んだのです。
その本の中に、角栄氏の意外な幸福論が書かれていました。

角栄氏は、人生の最大の幸福を「戦争で人を殺さなかったこと」と述べていました。
昭和14年から15年にかけて、満州で陸軍騎兵第3旅団の兵役にあった角栄氏は、病気で内地に帰国し、昭和16年10月に除隊ているため太平洋戦争に参加していません。
一国の総理大臣になった角栄氏の最大の幸福‥
それが「戦争で人を殺さなかったこと」とは意外でしたが、当時の日本人の立場からすればそうだろうとも思いました。
本を読み終え、私は、「自分自身の最大の幸福とは何か」を考えました。
追憶したところ、私の人生の一コマが浮かびました。
窓際族として幽閉されていた部屋で、一生成仏抄を見て驚いた“あの瞬間”です。
その当時の記事は、→ここをクリック!
「そうだ。あの時こそ、私の人生最大の幸福だった」と気付いた。
過去、一番幸せな時期について、「今」と記事にしたことがあります。
その記事は、→ここをクリック!
確かに、時期を語れば今です。
けれど、「最高の幸福の名場面」は“あの瞬間”以外ありません。

私は御書をむさぼるように読んでいました。
建物の一室に閉じ込められ、出社して業務終了時間まで、何一つ仕事を与えられない日々が2年3ヶ月続いた不遇な時代でした。
「一体、日蓮大聖人は、この膨大な御書の中で、何を言われようとしたのだろう?」と考え、三度(みたび)巡ってきた一生成仏抄の表題を、薄暗い部屋で凝視していました。
私はずっとそのことでモヤモヤしていました。
大聖人は幸福とは「成仏」だと言われていましたが、「そもそも成仏って何だろう?」と考えたのです。何度も何度も聞かされてきた「成仏」‥
私にとっては「縁遠いもの」でした。
それまで成仏とは特別な人しかなれないと考えていました。
私が、池田先生や戸田先生のようになれるはずもないですから。
ところが、このとき「仏と成る」ではなく「仏として生きる」と読めた。
パッと閃光が心に広がり、瞬間、私の境涯が開いたのです。
「幸せとは、仏と成って生きる人生のことだ」、具体的には、「私自身の人生を使って広宣流布することなんだ」と悟ったのです。

一瞬のできごとでした。その一瞬が私の人生の全てを変えました。
私は「一生成仏の軌道」の入り口を発見したのです。
幼虫が蛹となり、ある日、まったく別の姿をした蝶が生れるように、私の命が別物になったのです。薄暗い部屋の中で、私は叫びたい衝動に駆られました。
「僕は見つけた! 真実の幸福を見つけた!」
私は拳を握りしめ、部屋をグルグル、熊のように歩き回りました。
譬えるなら、宝さがしの旅に出て、苦労の末に物凄い財宝を発見したような出来事でした。以来、この一瞬を境とし、幸福な人生へと転換したのです。
「他者の幸福を願い、他の幸福を我が幸福とする」
その創価の大道を私自身が歩み始めるのです。
55歳の今も、当時の心は変わりません。感動も色あせません。
変化した蝶が再び幼虫に戻るということはないようです。
一生成仏抄は、→ここをクリック!



私の命の変化は、御書を読んだことを縁としていますが、その前に強い祈りがありました。その前提があっての命の変化でした。
そのことを示す記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2015-08-09 05:21 | 体験談 | Comments(10)

幸せとは何か


☆人生で一番幸せな時期とは?


会社で懇談していたときのこと。
25歳の女性社員が私に質問した。
「人生で一番幸せな時は、いつでしたか?」
私は答えた。「今ですよ」
すると女性社員はビックリして言った。
「えっ!どうしてですか?」
私は次のように話しました。

「心がね、成熟したというか、若い時の何十倍も幸せを感じられる心になったんだよ。
若い時は、高齢者になると寿命が尽きてきて、枯葉を自分に譬えて、この枯葉が落ちるように自分も死んでしまうんだと、そんなふうに“たそがれている”と思うものだ。
けれど、そうじゃない。とても大きな幸福を感じていたりする。
人生の最大の幸福は、良き思い出に尽きると思う。
私も真面目にコツコツやってきて、頑張ってきて、その思い出が沢山あるんです。
若い時は、私は様々なことに葛藤があって、なかなか幸福を感じられなかった。
勿論、あらゆることが今の私に比べれば溌剌としているし、未来もあって楽しい部分はあったけれど、心が貧しかったんです。
昔は、他の人の幸福を見て、自分がみじめになった。
今は違います。他の人の幸福を見て、嬉しくなる。一緒に喜べるんです。
この一点からしてみても、天地(てんち)雲泥の差です。
55歳になって、今が一番幸せ。
この幸せ、もっと大きくしたいと思っています」

女子社員は、「へー、そうなんだー」と目を白黒させていました。
まだ、その気持ちが分からないのです。当然ですが。(^^)
苦労して掴むものなんですよね、幸せって。
話でも伝えられない。幸せは理屈ではないし、物でもないから‥
私は、心の中でつぶやきました。
「人生とは、幸福を掴むために旅をするようなものです。これからですよ、あなた」
若者とは、その旅路のスタート地点にいるようなものです。
ということで、ガンバレ、若者!
ついでに、ガンバレ、自分!

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by sokanomori3 | 2015-07-05 06:13 | 体験談 | Comments(9)

引きこもりからの脱却


☆いかなる宿業も転換できる信心.


b0312424_2105215.jpg<写真解説>
引きこもり、対人恐怖症を克服した37歳の男子部区主任部長が背広姿で電話をしている写真です。

大白蓮華(だいびゃくれんげ)5月号、92ページ.
そこに引きこもりを克服した男子部員の体験が掲載されていた。
小学生3年から学校に行けなくなり、20歳まで自宅から出られない生活をした体験だった。内容を読み、絶句した。
以下に、その体験談を抜粋し所感を述べる。



○引きこもり.

小学生3年生のとき、担任の先生に平手打ちされた。
「あなたが嫌い、あなたが嫌い」と何度も、何度も。
それ以来、学校に行けなくなった。
人に会いたくない。外に出たくない。
部屋に引きこもり、テレビ、マンガ、ゲームをひたすら繰り返した。
中学では、幼なじみが誘ってくれて学校に行けた。
と、いっても、年に10日程度だけど。
中学を卒業して釣具店でアルバイトを始めた。少しでも社会に適応しないと“お先真っ暗”になるんじゃないかと働いたがダメだった。
副店長からのひどい言葉の暴力。邪魔者扱い。
そのうち、人と接するだけで、汗と震えが止まらなくなった。
「僕は何をされるんだろう。こいつは何を企んでいるのだろう」
誰も信じられなくなって仕事をやめた。
再び部屋に引きこもり昼夜逆転の生活を送った。
対人恐怖症は、どんどん強くなっていった。
テレビのコメンテーターの言葉が耳に入った。
「結局、学歴がないとダメなんです」
そうか、僕が社会に出たところで無駄なんだ。未来なんてないんだ。
じゃあ、生きてたって、しょうがないな。
それからは“いつ死のう”とばかり考えるようになった。

○母の入信.

母が、いろいろな宗教のセミナーに行くようになった。
原因は、間違いなく僕だ。知らない人が部屋に入ってきて、集会に誘われたこともあった。当然、他人の言葉なんて信じられない。
さまざまな宗教を経験した母が、最期にすがるような思いで入会したのが創価学会だった。必死に祈っている母の姿を見るようになった。
泣きながら唱えている。
“僕のことを祈っている。祈ったって意味がないのになあ”と思った。
小学3年からの引きこもりが10年になろうとしていたある日、母が祈っていた部屋に入ると一冊の本が目に留まった。
本のタイトルは「人生抄」。
読み進めていくうちに、不思議な感覚に包まれた。
“なんでこんなに心が暖かくなるのだろう。なんでこんなに勇気が涌くんだろう。もしかしたら、僕だって大丈夫なのかも知れない。生きていてもいいのかも知れない”
「人間なんて」と思っていた僕に「この人だけは違う」という人ができた。
それが池田大作という人だった。

○題目のチカラ.

母に「ねえ、その題目ってすごいの?」と聞いた。
やり方を聞き、家族がいない時間に一人でこっそり唱えてみた。
心のもやもやがなくなって、スッキリした。その後も続けた。
すると家族と一緒に食事ができるようになった。兄と楽しく会話もできた。1人でコンビニに行けるようになった。変化は歴然だった。
ある日、母から、「男子部のお兄さんに会ってみない?」と言われた。
他人と話すことは不安だったが、学会の人がどんな人なのか興味があった。
会うと、面白くて、やさしい人たちだった。
苦しんでいた症状が出ない。楽しく会話ができた。
後日、母に連れられて会館へ。
モニターを眺めていると、初めてなのに懐かしい人の姿が映った。
池田大作。僕に未来を与えてくれた人。
“これからだよ。今からだよ。幸せになるんだよ”
背中を押してくれた。入会を決めた。20歳の冬だった。
.


彼はやがて、男子部での活動で対人恐怖症を克服する。
今、男子部の区主任部長兼任の部長として、また、牙城会の区警備長として活躍している。昨年は3世帯の折伏を実らせた。願っていた通りの転職を勝ち取ることもできた。
彼は次のように語っている。
「社会の中で頑張れることはもちろんうれしい。だけど何より、過去の辛かったこと全てに感謝できる自分になれたことが、一番の功徳(くどく)だと実感しています」
大白蓮華4ページに綴られた宿命転換の物語。
読んで感動に震えながら、私は心の中でつぶやいた。
「そう、これが創価学会なんだ」と。(^^)

追伸:私も過去の辛かったことの全てに感謝できる自分になりました。
私の体験を<別館>にてお話ししています。
古い順から見ていただければと思います。
その体験記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2015-05-25 21:11 | 体験談 | Comments(2)

難病と闘う友へ贈る


☆いかなる病も克服できる信心.

以下に、見舞いの際に持参した体験記事と折鶴の写真を添付します。
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先日、難病で入院している友を見舞った。
その記事は、→ここをクリック!
5年生存率10%未満という大病である。
この友の厳しい現実を話した別の友人から、体験談が郵送されてきた。
紫色の厚紙に切り貼りされた聖教新聞の記事だった。
そこには、絶望すべき末期癌を信心のチカラで克服した体験が綴られていた。
私はこの切り抜き記事を届けるため、再び入院先に出向いた。
「どうですか、食欲は」
「そんなにないけど食べてますよ」
「手術ができないと聞いてどう思った?」
「そう聞いて、腹が決まりました。年内に治します」
「うん、一世一代の戦いだ。これは広宣流布の戦いだ。絶対、負けられないね」
そんな対話をしつつ、体験の切り抜きと折鶴を渡した。
「これは※※さんが送ってくれた体験。この折鶴は私の奥さんが折ったもの‥」
二度目の見舞いを終えてすぐ、体験記事を送ってくれた友人からメールが届いた。
その内容を抜粋し以下に示す。



※※市に※※さんという人がいます。
肺癌が見つかり入院、その翌々日、緊急手術になりましたが、肺の動脈にもからみつく癌で手術できず、そのまま閉じました。
延命治療で放射線と抗がん剤治療をしても、余命3ヶ月の寿命と言われました。
医者からは本人に知らせない方がいいと言われましたが、学会員で信心をしていたので家族で話し合って本当のことを伝えたそうです。
やがて、放射線と抗がん剤治療が始まりました。
1クール、5日間を5回。
病院の近くに会館があり、毎日、午前中に2時間唱題、午後に治療を受けて再び会館に出向き2時間唱題する日々を過ごしたといいます。
副作用はほとんどなく、髪の毛も抜けず、食欲もほとんど落ちなかったといいます。
元気だったので、もう8回、限界まで治療をしたといいます。
その結果、癌は3分の1に小さくなっていたそうです。
退院し、今度は月に1回の抗がん剤治療に変えたところ、副作用が出て肺に水が3リットルも溜まりました。もう治療はムリと、病院と手を切りました。
日蓮大聖人の御書に、「このまんだら よくよく しんじさせ たもうべし なんみようほうれんげきょうは ししくの ごとし いかなる やまい さわりを なすべきや」
(此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや)とあります。
どんな病気でもその人の障害にはならないという意味だそうです。
「絶対に治すんだ」と言い聞かせ、毎日10時間の題目を1ヶ月続け、さらに7~8時間の唱題を続けたといいます。
そうしたら、ガン細胞が初期の16分の1に小さくなり、残った癌が活動を停止したそうです。
癌の告知を受けて、14年が経過した今も、※※さんは元気に仕事をしています。
この病気を通して、「この信心は本当に祈りが叶う」と確信できたそうです。
「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」の御書を身で読むことができたそうです。
感謝の信心ができるようになったそうです。
.


このメールも入院先の友人に送りました。
「先日、体験談をくださった※※さんのメールです。転送します」
いま、友は創価家族の励ましに支えられ病魔との闘いを続けています。
私も題目を送り、共に闘い続けます。
だから友よ、断じて負けないでください!
絶対に、絶対に、勝ってください!

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by sokanomori3 | 2015-05-23 21:04 | 体験談 | Comments(16)

宮本輝の人生


☆1989年の創価新報より.

過日、宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す1」の読書感想文を書いた。
その読書感想文は、→ここをクリック!
ポプラに臥す1は大変面白く、私は残りの5巻すべてを購入し、今、読み始めている。
先日、当ブログの読者である「ゆりこ」さんが、私にメールをくださった。
見ると、平成元年の創価新報(平成元年9月6日)の「私のなかの創価学会」と題される記事をワープロ入力したものであった。26年も前の宮本輝の記事を保管されていたという。
何という不思議な巡り合わせであろう。その記事を大事に保管されていたというのも驚きだが、見ず知らずの私にメールでお送りくださったことは奇跡のような出来事である。
読んで、宮本輝の人となりが鮮烈に伝わってきた。
ポプラに臥すを紹介してくださったFさんにメール転送したところ、感謝されもした。
このことを自分のものだけにしておくのはもったいない。
長文なので、一部になるがお伝えしたい。

○宮本輝の歩み.


タイトル 「私のなかの創価学会」.
サブタイトル 「人間を幸福にする闘いを文学に」.
作家 宮本輝(みやもとてる)



私が創価学会に入信したのは昭和47年の秋だから、信仰して、かれこれ17年が過ぎようとしている。
強度の不安神経症の発作に苦しみながら、私は、創価学会という善意のかたまりみたいな
人間群像に飛び込んだのだが、いま、私は「飛び込ませてくれた多くの人々」に、言葉に尽くせない感謝の念を抱いている。

入信してまもなく、私は座談会で扇子を持たされ、学会歌の指揮をとらされて、すぐにでも創価学会から足を洗いたいと思ったくせに、その半年後には中等部の担当者となって、部員さんの家々を自転車で廻っていた。
私が担当した中等部員たちも、いまは立派な社会人となり、中にはもう4人の子供の父となっている人もいる。勤行なんか大嫌いだと言う中学生たちに、ずいぶんてこずったのだが、振り返って思い起こせば、てこずらされることで、私は中学生たちに磨いてもらっていたのだ。

中等部を担当していたとき、私は、中等部総会のために、生まれて初めて、短い戯曲を書いた。これは評判が良くて、次には尼崎の男子部幹部会のための劇を書かないかと言われた。
私は、張り切って書いたのだが、出来上がったシナリオを読んだある幹部の、「やっぱり尼崎は花笠音頭にかぎるで」というひとことでボツになった。
私は憤慨したが、いまになれば、なんだか楽しい思い出である。
けれども、その短い戯曲を書いているときも、私は将来作家になろうなどとは夢寐にも思っていなかった。私が、作家をこころざしたのは、入信して3年が過ぎたころである。
池田先生が、講演のなかでサルトルの言葉を引用して指導された箇所を読みながら、私は、こんなにもたくさんの創価学会員がいるのに、なぜ世間に通用する作家が一人もいないのだろうと思った。
そして突然、「よし、俺が作家になろう」と決めた。
本来、ケンカ早くて短絡的で、根は明るい性格なので、決めた翌日に会社勤めを辞めてしまった。(このような性格は、じつは作家に向いていないのではないかと、ときおり不安になる)

私は、作家になろうという夢を叶えるために入信したのではない。
入信してから、作家をこころざした。
日蓮大聖人の無尽蔵な御指南が、池田先生の多くの指導が、少しずつ少しずつ私の内部で眠っていたものを揺り動かして、 私を作家への道に走らせたとも言える。

なぜなら、私が小説の中で書いているものは、すべて大聖人様の仏法から御教示されたものであり、池田先生の指導から学んだものであり、ひいては、創価学会の、人間を幸福にする闘いから教えられたものばかりなのだ。
それらは、いったん私の中に染み込み、私という人間を通過して、私という世界における体験やら思考やらをまな板として、別の皿に移されていく。
だから、いささかでも私の作品を評価する人は、日蓮大聖人の仏法を、池田先生という指導者を、創価学会という奇蹟的な団体を評価しなければならない。そして、私の作品を否定する人は、この私の眼高手低(がんこうしゅてい)を笑うべきである。

創価学会への入信、それによる幾つかの信仰体験、池田先生の激励がなければ、宮本輝などという作家は存在しなかっただろう。それどころか、ノイローゼが昂じて廃人となるか、
生来の作り話のうまさを生かして詐欺師となるかがおちだったに違いない。これは、本人が言うのだから、ほとんど間違いのないところである。

この少ない紙面において、創価学会の、戦後の日本に果たした巨大な役割について書くのは、どだい無理といえる。
いったい、どれほどの貧しい無名の庶民が、創価学会の中で、生きる希望を見いだしていったことだろう。どれほど多くの病人たちが、蘇生の力を与えられたことだろう。どれほどたくさんの青年たちが、日本の教育制度が忘れた「人間の道」を学んだことだろう。

それらをなおざりにして、創価学会や池田先生に関する低俗な記事を書く、売らんかな主義の三流ジャーナリストも、読んで騒ぎたてる人も、それでは、自分たちは他社の幸福に対してどのような労苦を費やしたと言うのであろう。
彼らはいつも傍観者で、隙あらば他人をだしにして何らかのおこぼれをかすめ盗ろうとしている恥知らずたちにすぎない。
彼等は永遠に傍観者だが、自分たちの立っている場所が、決して安全地帯ではないことに恐れを抱いている。
だが、彼等は眼低手高(がんていしゅこう)なのだ。我々が、眼高手低である限り、彼等の手の高さは、ときに巧妙に翻弄するだろう。
大聖人様の仏法を学び、池田先生の薫陶を受けている我々は、おのずと眼高となっていくが、それを社会の中で具現化する手が低いあいだは、眼低手高の輩を打ち負かすことは出来ない。
思想は低劣だが技に長けている。そんな連中に負けるのは恥だから、作家としていまだ「手低」の私は、絶えず創価学会という原点に立って、自分を磨きつづけなければならないのである。



○プロフィール.

昭和22年、兵庫県生まれ。本名・宮本正仁。追手門学院大学文学部卒。47年入信。
52年「泥の河」で第13回太宰治賞を受賞、続いて「蛍川」で第78回芥川賞を、さらに「優駿」で第21回吉川英治文学賞に輝く。

眼高手低(がんこうしゅてい):理想は高いが実行力が伴わないこと。特に、批評する力はあるが創作力がないこと。
眼低手高(がんていしゅこう):理想は低く技術だけが高いこと。中身がなく、創作力のみが長けていること。宮本輝の造語。

追伸:ゆりこさん、貴重な情報、誠にありがとうございました!(^^)

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by sokanomori3 | 2014-12-05 06:29 | 体験談 | Comments(10)

スパイダーマンの人生


☆4畳半の部屋から人生を築く.

私は、一生懸命に働く人を見るのが好きです。
電柱の上やビルの建築現場などの尊い労働に感動して眺めるのです。
特に、命綱1本でビルの最上部から舞い降りてくる窓ふき作業は、いつも感心させられる作業です。このほど、聖教新聞(11月29日)に窓ふき職人の体験がありました.
以下に、ご紹介いたします。(抜粋)

○練習チャンピオン.


彼は、家族を好きになれず、高校卒業後、家出同然で故郷を飛び出した。
アルバイトをしながら日本各地を回り、東京にたどり着く。
4畳半のアパートで、アルバイト雑誌に「窓ふき」の文字を見た。
命綱1本でビルの屋上から窓をクリーニングする仕事‥
軽い気持ちで始めた。それが15年も続いた。
3年前、この業界から離れたが、得手不得手はあるもので、窓ふきの会社に出戻りした。
あえなく挫折した現実に、筆舌に尽くしがたい悔しさを味わった。
「負けたままでは終われない!」
彼は、窓ふきに復帰し、日本ガラスクリーニング選手権大会に出場した。
17秒566の自己ベストで日本一となり、厚生労働大臣賞に輝いた。
世界大会優勝経験者ら、並みいる猛者を抑えての優勝だった。
練習に練習を重ね、付いたあだ名は練習チャンピオン。
“勝ってみせる”と題目を唱え、挑んだ大会だった。
彼は言う。「業界の顔になれたことに感謝して、会社はもちろん、業界、社会になるための仕事がしたい。それが生活における広宣流布(こうせんるふ)です」

○所感.

彼が創価学会を知ったのは、窓ふきの仕事を始めて間もなくのこと。
友人に連れられて創価学会員の家に行った。
23歳の彼は、誰とも深く交わらないで生きていこうと思っていたが、初めて、“家族っていいものかもしれない”と感じたという。
入信から12年、今、彼は池田先生の指導から実家に顔を出すようになった。
「親孝行をたのみます」「両親を大切に」との先生の言葉を胸に‥
今回の優勝を、実家の家族全員が喜んでくれているという。
シンプルな体験に、職人の生きざまを感じた。
素朴な真っ直ぐな人生。ステキです。(^^)
私も4畳半のアパートからスタートしました。
一生懸命に仕事をしました。コツコツと人生を築き上げました。
それが私の人生であり、私の誇りです。
どんな立場であろうと、そこには使命の檜舞台があるものです。
自分にしかできない勝利の舞を舞う‥
さあ、勝ちましょう。創価の誇りを胸に、今日も戦いましょう!

過去に、3人のスパイダーマンという記事を書いています。
そのスパイダーマン記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2014-12-02 06:29 | 体験談 | Comments(3)

人生は障害物競争


☆越えた数だけ豊かになる.

以下に、聖教新聞10月26日の体験記事の写真を添付します。
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写真解説.「白髪のご婦人が満面の笑顔で立っている写真が掲載されています。タイトルの“信心すれば、宿命を受け入れる力がつくこってすよ”、サブタイトルとして“ばあちゃん、入会57年の貫録語る”との見出しがあります」

年齢89歳のご婦人の体験談が聖教新聞にあった。
強く美しい婦人の笑顔に魅入られて読んだ。凄い体験だった。
以下に、その内容の要約を掲げ、所感を述べる。

○体験.

昭和32年のある日、知らない人から聖教新聞を譲り受ける。
「これ、読んでみてください」
隅から隅まで読んだ。凄い新聞だと思った。
1週間後、夫と一緒に信心を始めた。
貧乏だった。住家を転々としながら、泣きながら唱題し、折伏に出歩いた。
けれどトントン拍子には幸せになれなかった。
昭和55年、ようやく家を建てた。毎日が大感謝の祈りに変わった。
しかし、その勝利の向こうに、再び辛い出来事が起きた。
5年前、タクシー運転手をして子どもを育てた長男が、59歳で死去したのだ。
風呂場で頭を洗っているとき倒れた。
「疲れていたんだろうね。残念でなりません」
泣いた。悔しかった。これほどの悲しみはなかった。

御本尊に問うた。
「私は一体、過去世でどんな悪いことをしてきたのですか?」
埃をかぶった日記帳を読み返した。貧乏の中、折伏に歩いたころの日記である。
そこに次の言葉がつづられていた。
「苦しかったら泣いて祈れ。血が出るような涙を流して祈るようでなければ、宿命は越えられぬ。自分の宿命を自分が消さねば誰が消す」
昔の自分に励まされた。再び御本尊に向かった。
「すみません」と畳に額をこすりつけて謝った。
「疑ってはならない。御本尊さま、頑張るしかないですね」
今、彼女は息子の死を乗り越えて回想する。
「息子は最後まで信心をよく頑張ったと褒めています。この年まで生きていますが、長男に題目を送るために残っていると思うのです。夫も亡くなりましたが、来世もまた家族一緒になるのではないか。それを楽しみに‥」
「いつ、どんな宿命が出るか誰も分かりません。人生とは障害物競走と言ってもいいでしょう。山あり谷あり。生きているうちに、どれだけの山を越えられるか。越えた数だけ、人生が豊かになるのだと思います」

この体験者の貧乏は厳しいものであった。
板の間にゴザを一枚敷いて、夫と子供と暮らすような貧困生活だった。
その極貧の中で、創価学会に巡り合ったのである。
今、この婦人部は次男家族と平穏に生活され、長女、三男、その孫やひ孫たちと仲良く、幸せに生活されている。

○所感.

この体験者は、4年前から御書の全編拝読に挑戦され、もうすぐ読み切るという。
最初はさっぱり頭に入らなかったが、「だんだんと分かるようになりました」と語る。
彼女は、「叶ひ叶はぬは御信心により候べし 全く日蓮がとがにあらず」(1262)の御文を掲げ次のように語っている。「うわべで題目あげてはだめだ。それはただのつぶやき。本当にそうなると強く思わねば、宿命転換はできない」と。

振り返れば、私もいくつもの障害物を乗り越えました。
私も畳に頭をこすりつけて謝りました。血が出るような涙を流しながら祈りました。
そして私も同じことを思っています。
「叶ひ叶はぬは御信心により候べし 全く日蓮がとがにあらず」と。
私の100万遍の体験は、→ここをクリック!
300万遍の体験は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2014-10-28 22:11 | 体験談 | Comments(6)

変毒為薬の仏法


☆インドの太陽の母は勝った.

聖教新聞(10月6日)にインドの学会員の体験があった。
「冬は必ず春・信仰の力を実証」とのタイトル。
そこには、白髪の母と4人の娘たちの笑顔の写真があり、見事な変毒為薬(へんどくいやく)、人間革命の体験が書かれていた。以下に、その内容の要約を示す。



「1988年、夫が脳梗塞で倒れた。
右半身マヒ、言葉と記憶も喪失した。その夫は、数か月前に石油化学工場を立ち上げたばかりだった。工場は閉鎖、負債の利子は、たちまち膨れ上がった。
余裕のある生活が一変。8人の大家族の生活が全て母の肩にかかった。
「一生、十字架を背負って生きていくのか‥」
それから10年もの間、母は経済苦と精神的なストレスと闘い、その解決のために、さまざまな宗教を遍歴する。
1998年、その母がSGIの仏法の話を聞く。
「毒さえも薬に変え、冬を春にできる仏法」との話に歓喜し、2000年に御本尊を頂く。
それから毎日、真剣に唱題する母の姿があった。
母は、池田SGI会長の小説・人間革命、新・人間革命、そして御書を読み、確信を得る。愚痴が無くなり、「私たちの夢は、必ず実現するのよ!」と言うのである。
娘たち全員が、その母に続き、信仰を始めた。
娘の一人は語る。
「冬は必ず春となるとのご金言が、心に深く刻まれました」
信仰を始めて2年で、一家が大きく変わり始める。
同居していた66歳の祖父が、すでにリタイヤしていた医師の仕事を再開。
さらに、母は夫と共に金融機関との交渉の末、1億ルピー(1億7000万円)の返済額が2万ルピー(3万4000円)という、形だけの金額になった。
祈り、挑戦し続けた母の勝利だった。
やがて、4女全員が大学へ進学した。
卒業後、長女はファッションの有名ブランド会社の経営に携わるポスト、次女は微生物学で博士号を取得し製薬会社の研究者、三女はITトップ企業の人事部門次長、四女は次女同様、微生物学の修士から製薬会社の研究職となった。
長女と次女は女子部地区リーダー、三女は女子部本部長である。
(母は支部副本部長、四女も女子部で活躍している)
今、一家の太陽たる母を中心に、娘たちは広宣流布(こうせんるふ)を果たしゆく後継者に成長した」



以上の体験が、紙面一面に鮮烈に語られていました。母の確信の深さ、信心の強さに圧倒されました。その勝利を、心より祝福したいと思います。
今、このように、世界各地でSGIは発展を遂げています。
そのことが、とても嬉しい。素晴らしい!(^^)
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by sokanomori3 | 2014-10-07 06:31 | 体験談 | Comments(2)

所願満足の春


☆宿命が使命に変わった。

聖教新聞の見出しに目が止まった。
「踏ん張ろうと決めたから、宿命は使命になった」
さて、何が書かれているのか。通勤電車の中で読みふけった。
以下に、その体験談を要約する。



東京都武蔵野市の女子部副部長。
今、アパレルの仕事をしている。彼女(美喜子)の歩みは茨の道だった。
小学校4年、先天性の股関節脱臼で手術をした。
すでに信仰をたもち、ベッドで勤行した。松葉づえで学校へ。
中学3年生の春、急に髪の毛が抜け始めた。
夏休みには髪の毛が全部抜けた。
原因が分からず、かつらを着けるようにと病院から勧められた。
鏡の自分を見ることが辛かった。
2学期、学校は休まなかった。

女子高に進学。周りは身なりに気を使う。
彼女は、いつも変わらぬ髪型(かつら)だった。
修学旅行は行かなかった。行けなかった。
でも、もっと辛いことが起きた。
家族全員がひどい食中毒にかかり、全員が一晩中、高熱と下痢、おう吐で苦しんだ。
中学3年だった弟(伸明)は特に症状が重かった。
そして、翌日の夕方には、もう息をしていなかった。
現実とは思えなかった。彼女は思う。
「どうして伸明が死んで、私が生きているんだろう」
正直、死にたいと思ったこともあった。でも、弟の死の意味を考えるようになって、すこしずつ気落ちが変わっていく。
「私が生き抜かなければ」と誓うようになったのである。

彼女の母はこの出来事について、次のように語っている。
「息子を亡くしたこの地を去りたいとの思いがありましたが、池田先生の“人生の真実の勝負は、長い目で見なければ分からない”との言葉を抱きしめました。まず10年、頑張ろうと決めました」
数年たった時、母は再びの決意に立つ。
病気で苦しむ婦人部の激励に訪ね、負けないでほしいと励ますうちに、息子を亡くした自からの体験を語った。気付くと、彼女の母もその人も鳴いていた。同じ決意の涙だった。
心の中にあったわだかまり。
「どうして、わが子が‥」という疑問や後悔が、この時の涙で全てを洗い流してくれた。
母は語る。「踏ん張ろうと決めたから、宿命は人を励ます使命になったのです」

その娘は、中学3年生から美容室に行けなくなっていた。
修学旅行にも、成人式にも行けなかった。その彼女に髪が生え始める。
ある日、かつらを家に置き、出勤した。この日のことを母は語る。
「緊張したと思います。負けなかったね」
彼女は職場で経理の仕事に没頭し、女子部では白蓮グループで活動した。
折伏に挑戦する中、皆が、いろいろなことに悩んでいることを知った。
「それまでは、自分がかわいそうにしか思えませんでした。それが、人の苦しみに心を向けられるようになったのです。祈って、悩みに向き合う人は、悩みながら輝いていました。私も悩んでいる自分を認められるようになりました」
彼女の母は、3年前、悪性リンパ腫になった。抗がん治療で、今度は母の髪の毛が抜け落ちた。母は言った。「これで美喜子の気持ちもよく分かる。感謝だね」
3ヵ月で退院し、回復した母。
その母は夫(父)と共に、夢だった手作りパンの店を開業した。



体験をご家族の満面の笑顔の写真と、すさまじいまでの残酷な出来事とが対比され、読むほどに涙が止まらなくなりました。
人生には、残酷で絶望的な出来事があるものです。
けれど、その問題に負けるわけにいかないし、乗り越えるしかない。
思春期に髪の毛を失う悲しみ‥さぞかし辛かったことでしょう。
けれど、その髪の毛は元通りになりました。今の彼女のはじけるような美しい笑顔に、妙法の真実のチカラを見させていただきました。
「人生の真の勝負は、長い目で見なければ分からない」
「信心の根を張った人には、所願満足の春が必ず来る」
この池田先生の指導を胸に抱きしめた家族の物語でした。

追伸:私にも体験があります。その私の体験談が「創価の森ブログ」でした。
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by sokanomori3 | 2014-09-19 06:12 | 体験談 | Comments(12)

願兼於業(がんけんおごう)


☆41歳の全盲女性の体験。

聖教新聞(7月6日)に全盲の女性の体験談が掲載された。
以下に、その内容を抜粋し、所感を述べる。



1030gで生まれ、未熟児網膜症で失明。
しかし、盲学校ではなく普通学校に就学した。
中学3年のとき、クラスメートに「一緒にお題目をあげよう!どんなことでも叶えられるよ」と言われた。
そこで、普通高校への進学、原則18歳以上の盲導犬の貸与を祈った。
翌年、高校合格。盲導犬も特例で許可を受けた。
そして、全国身体障害者スポーツ大会の水泳で金メダルを獲得した。
点字の経本を読み、勤行を習得。
大学に進学し、20歳を過ぎて入会となった。
ある日、女子部の先輩から、「がんけんおごう」という言葉を聞いた。
人々を救うため、あえて宿業を背負い、願って生まれてくる。
その哲理を、願兼於業(がんけんおごう)という。
仮に、苦難の姿であっても、実は自分が願ったこと。
その宿命を打開していく生き方を通し、妙法の力を示す‥
「すごくワクワクしたんです。これからが、めっちゃ楽しみやん!って。何を実現していこうかなって、思えたんです」
外国に興味があり、アメリカ留学を勝ち取った。
信仰の喜びを語り、アメリカ人に弘教(ぐきょう)。
大学を卒業すると、目標だった電話交換手として現在の就職先に‥
さらに2人の友人を入会に導いた。
2007年に結婚。2009年にトライアスロンに挑戦。伴走者と共に、水泳0.3㎞、ダンデム自転車9.5㎞、マラソン3㎞を走り抜いた。
琵琶湖横断水泳大会にも参加。全盲の参加者は初めてだった。
現在、視覚障がいや盲導犬をテーマに講演活動を行う。
2011年には、働き、自立して社会貢献を志す女性に送られる「サフラン賞」を視覚障害者支援総合センターから受賞した。
彼女は最後に、次のように述べている。
「どんなことでも、真剣に祈って行動すれば、その通りになる。だから、この信心が正しいというシナリオを自分で作るんです。世界中の人が信心の素晴らしさを納得できるよう、私が示していくと決めています」



何という人でしょう。驚くべき人生です。
全盲なのに盲学校に行かず、次々に不可能を可能にする‥
私も随分かかって、「がんけんおごう」の歩みの楽しさ分かりかけてきたのですが、この人はとっくの昔の10代から大確信で歩まれている。
鮮烈な体験談に圧倒されました。(^^)

以下に旧ブログの「がんけんおごう」の記事を添付します。
(旧ブログは、音声ソフト対応ではありません)
願兼於業の別記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2014-07-08 06:31 | 体験談 | Comments(6)


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