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カテゴリ:仏法用語( 13 )

竜女が仏になった訳


☆決意が人を仏にする.


釈迦50年の説法において、女人成仏が説かれたのは法華経でした。
それ以前の経典は、ことごとく女人成仏は説かれませんでした。
法華経まで真実を語らなかったのは、他経をあえて欠陥品に仕立て、
後に他経がもちいられないように工夫したのでしょう。

さて、この女人成仏は、八歳の畜生の境涯の女の子が、
広宣流布を誓った瞬間に起こりました。

そのことを書いた過去記事を以下に示します。
sokanomori.exblog.jp/13940093/

竜女は、仏道修行をしていないのです。
釈尊の説法を聞き、歓喜し、決意したのです。
その決意が「即身成仏」に至らしめたのです。

私は人生において、数々の困難に直面しました。
あるときは悲しみの淵に追いやられ、
あるときは苦悩のどん底に突き落とされました。
幾度もいくども、地獄に堕ちたのです。
その苦難をすくったのは全て「決意」でした。

その象徴的体験が27歳のときの離婚劇でした。
sokanomori.exblog.jp/15414508/

私は伴侶に捨てられたのです。
私は苦悩の底でひたすらに唱題しました。
そして半年間で生まれて初めて百万遍を唱えたのです。
そして決意します。「師子は伴侶を求めず」と。
心にはポッカリ穴が開いていました。けれど、
迷いを百万遍の題目で断ち切ったのです。
祈りは叶いませんでした。そして離婚を決意したのです。
後ろを振り帰らず、前だけを見て歩み始めました。

すなわち、百万遍の功徳とは「決意」だったのです。
この決意が、惰弱でぐうたらな私の人生を一変させました。

当時の心境を語れば、私は死んでも良かったのです。
27歳でしたが、もし、あの時に交通事故かなにかで死んだとしましょう。
でも私は一点の悔いもなく、清らかに死ねたと断言できます。
それが確信できるほどの祈りであり、決意でした。

その決意とは何か。それは「御本尊がある」、
「それでだけで自分は十分だ」という強い信念でした。
そこに、学会活動をするとか、広宣流布をするとか、
そういう高邁な考えは当時はありません。
ただ、シンプルに次のように悟ったのです。

「僕は百万遍を声の限り唱えることができた」
「だから何がどうなろうとかまわない」
「全部、御本尊様にお任せする」
「その結果は、間違いなく最良の答えなんだ」

ですから、あの当時、今から思えば若い自分でしたが、
永遠の生命を覚知していたし、未来に大いなる希望を持っていました。
「生きようと、死んでしまおうとかまわない。でも未来は明るい」
過去の一切の様々な宿業が蒸発して消えうせたような、
そんな晴れ渡った気持ちでした。

何百万遍も何千万遍も祈りながら、確信のない人がおられます。
私は最初の百万遍だけで師子の心が宿ったのです。
そして40歳のときの三百万編で私は完璧に悟りました。
合計四百万遍の信心で人生が変わりました。

今、恐怖と絶望の中にいらっしゃる人もおられるでしょう。
でも、その苦難はチャンスだと申し上げたい。

どうか、御本尊に一心不乱に題目を唱えてください。
恐怖も苦悩も迷いも悲しみも吹き飛ばす、
一世一代の題目を唱えきってください。


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by sokanomori3 | 2019-06-19 05:35 | 仏法用語 | Comments(2)

毒気深入 失本心故(どっけじんにゅう しっぽんしんこ)


☆悲惨な詐欺のニュース.


オレオレ詐欺・振り込め詐欺が一向に無くなりません。
一体、どういう神経の人間たちがこのような犯罪を働くのでしょうか。
年老いた自分の父母、あるいは祖父、祖母のような人たちから
老後のために貯めた血の滲むような財産を巻き上げる・・
そんな残酷な仕打ちを、どうしてできるのでしょうか。
「だまされる人も悪い」というけれど、意識があやふやなお年寄りでは、
巧妙に仕掛けられたワナを見破ることは困難でしょう。

その中、ある悲惨なご婦人のニュースを読みました。

>横浜市の女性(78)は、「皿洗いや清掃員の仕事を74歳までして、
必死に貯めた6000万円のお金を失った」とため息をついた。
女性は2014年に友人に誘われ、都内の説明会に行った。
「うちに出資すれば毎月高い利息が手に入る」
「預かったお金は絶対に返す」と言われた。
その言葉を信じた女性が3000万円預けると、二ヵ月後に
静岡県のホテルに招かれ、さらに3000万円を出資した。
月に最大30万円が支払われるなど計1000万円の配当があったが、
2017年11月、突然、配当が停止し返金を申し出たが、
支店の社員は「私には分からない」と取り合ってもらえず、
その後、連絡が途絶えてしまった。
女性は「夫が他界し、相談できる人がいなかった。
だまされた自分も悪いが、老人ホームに入れるように貯めたお金。
少しでも返してほしい」と訴えた。

同社は高齢者ら約7000人からお金を集めたとされ、
実態解明に警視庁が調査本部を立ち上げている。

(読売新聞2019年4月25日)

正直、腹立たしく、ガッカリもさせられるニュースでした。
だます連中への怒り、財産を失った婦人の悲しみに愕然とし、やるせないです。
この婦人の皿洗いと掃除の仕事で貯蓄を重ねた日々は、
きっと質素で真面目なものだったに違いありません。
この会社は「2400億円の赤字を抱え経営破綻した」そうです。

世の中には詐欺を働く会社が山ほどあります。
確信犯もあれば、事業の失敗で仕方なく敬遠破たんしたとする会社があります。
彼らは言うでしょう。「本当は返そうとしていた、でもできなかった」と。
こういうことをやらかす連中は、いつもそう言い逃れます。

法華経・寿量品には、毒気深入 失本心故(どっけじんにゅう しっぽんしんこ)と表現され、
邪宗の害毒が深く入り込み、本心(南無妙法蓮華経)を失っているために、
正法を信じることができない(正常でない)と説かれています。
詐欺集団の彼らもまた本心を見失っているのであり、
ゆえに良心の呵責もなく悪事を働けるのでしょう。

私たちもまた、自らが詐欺に加担するようであってはなりません。
他の人々の不幸の上に自らの幸福を築くような人生であってはなりません。
過去、私は会社の不正と戦い、迫害を受けたことがあります。
厳しい生活を強いられましたが、今は最良の思い出です。

以下にその困難を克服した体験を示します。
sokanomori.exblog.jp/15414796/


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by sokanomori3 | 2019-04-30 05:58 | 仏法用語 | Comments(0)

続・雪山童子(せっせんどうじ)


☆雪山童子は今もいる.


雪山(せっせん)とはヒマラヤのこと。
その山中で修行をしていた童子(僧)を雪山童子(せっせんどうじ)といいます。
鬼神の説く教えを聞くために命を捨てる物語です。
この雪山童子は、釈尊の前世の姿とされますが、
求道の人生を歩む私たちは、現代の雪山童子でもあります
その雪山童子の過去記事を以下に示します。
sokanomori.exblog.jp/13767217/

このブログ記事に添付した一枚の写真を、絵にされて
玄関に飾られている学会員がおられます。
以下に、その記事に書かれている内容の一部を転記するとともに、
その絵の写真のある記事URLをご紹介いたします。

>「ブログ創価の森の小さな家」にあった一枚の写真を見つけました。
いいね(笑い)どうにかして塗り絵にならないかと
工夫して水彩画(A3)にしました。
座談会で皆さんに見せたら「いい絵ですね」と
あちこちから批評をいただきました。
いつも玄関に飾ってある一枚の絵です。
(聖教新聞配達歴27年)

以下に、そのブログ記事URLを添付します。
blog.goo.ne.jp/pppvvvaaatttggg

この絵を描いてくださった「こいちゃん」さんは、
雪の日に歩く女性の後ろ姿に、ご自身の新聞配達と重ね合わせ、
新聞を抱えた絵に描き直されたのでした。
たしかに、雪山童子は現代に存在するのであり、
無冠の友こそ、現代の雪山童子そのものです。

童子は「諸行無常 是生滅法」、すなわち諸行は無常である、
この世の全ては生まれては滅し、滅しては生まれる。との
仏の悟りの続きを聞くために命を捨てるのです。
その続きとは「生滅滅已 寂滅為楽」、すなわち生滅の迷いを滅し、
悩みのない境地を楽とする、でした。

生滅は一体不二であり、生命は永遠である・・
このことを仏は悟るという意味なのです。
雪山童子は歓喜し、鬼に自らの命を供養します。

子供のころ、雪山童子の物語を読んだ私は、その童子の
行動の意味がさっぱりわかりませんでした。
どうして童子は、悟りと引き換えに命を捧げるのか・・
今、私は信心をしてはっきりわかります。
それは悟りこそ、最高の納得であり幸福だということ。
学会活動、新聞配達、折伏が、功徳を得るための方法ではなく、
それ自体が歓喜であり、幸福であるということ。

こいちゃんさん、あなたさまの無冠の友の人生を知り、
私もまた歓喜いたしました。
ありがとうございました。


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by sokanomori3 | 2019-02-19 05:45 | 仏法用語 | Comments(0)

即身成仏とは何か


☆人間革命が即身成仏.


以下に、座談会で使用した制作物の写真を添付します。
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<写真解説>
一枚のボードには、臨終正念、煩悩即菩提、生死即涅槃と大きく書かれ、
もう一枚のボードには、生死一大事血脈抄、信心の血脈がなければ無益である、血脈とは南無妙法蓮華経、師弟不二、創価学会と書かれています。



このボードは座談会で使用したもので、模造紙に極太マジックで仏法用語を書いています。

1枚目の写真は、会合前の状態、2枚目は会合終了後の状態です。
ボードを使いながら説明し、次のように解説しました。

「この「即」とは、即身成仏の「即」です。
臨終とは、いままさに死のうとしている瞬間です。
このとき、信心をしているなら正念(しょうねん)、すなわち正しい一念、
すなわち、成仏への確信、大満足の心を得られるということです。
そして、煩悩即菩提、生死即涅槃という功徳を得たいならば、
信心の血脈がなければならないと大聖人は述べられているのです。

血脈とは南無妙法蓮華経です。
ナムアミダブツではない。ハンニャハラミタでもない。
釈尊が残した真実の成仏の法「法華経」を、
日蓮大聖人が一点の不信もなく実践し抜いて今に残された
南無妙法蓮華経が「信心の血脈」なのです。
しかし、正しく言えばお題目だけではだめなんですね。
そこに「師弟不二の教団」が必要なんです。
私たちの師匠は日蓮大聖人です。その真の弟子は、池田先生であり、
戸田先生であり、牧口先生です。この創価三代が真実の大聖人の弟子です。
そのまた弟子が私たちだし、その組織が創価学会です。

この創価学会の組織の中で、創価の御本尊に南無妙法蓮華経と唱える、
人間革命、宿命転換を祈ることで、私たちは煩悩即菩提、
生死即涅槃という功徳を得られるのです。
創価学会でなければならない理由がここにあります。
今、私たちは信心の功徳を人間革命と呼び、宿命転換と呼んでいますが、
これこそ即身成仏なのではないでしょうか」

私は講義途中に赤マジックで「即」の字を丸で囲みました。
この「即」を囲ったのは、私たちの創価の宗教が、来世でなく今世、
いつかでなく、今に結果を得られることを強調したかったからです。
煩悩とは三毒(貪り、怒り、愚か)であり、嫉妬であり、悪見のことです。
生死に渡るそれらの苦悩が、信心によってすみやかに癒され、
幸福になる、歓喜になる、納得できる・・
これが私たち、創価の信仰の功徳であります。

今回の座談会御書「生死一大事血脈抄」の記事を示します。
sokafree.exblog.jp/29217528/

尚、この日の座談会は、外部参加者が3名参加されました。
新聞啓蒙も目標をクリアできました。


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by sokanomori3 | 2019-02-17 06:14 | 仏法用語 | Comments(2)

伝教大師の教え「忘己利他」


☆一心不乱に他を利する.


読売新聞のコラムの記述箇所を以下に添付します。
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忘己利他(もうこりた)と伝教大師は教えた。
読売新聞のコラムに記された一文を以下に添付します。

「忘己利他という言葉ある。
天台宗の開祖、最澄が著した「山家学生式」にみえる教えである。
「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」と説かれている通り、
自分本位の考えはやめて、人に尽くすことが生きていく上で
もっとも大切という意味らしい」

古い切り抜き記事なので、いつの新聞か分かりません。
ただ、このとき「忘己利他」という言葉は初めて知ったし、
その状態はまさに仏の境地だと感心したのでした。
そもそも忘己(もうこ)に至る状態は、己に憂いがない状態でしょう。
自分に憂いがあるようであれば、他を救うどころでないですから。
他の幸福に走り切れるだけの自利があってのことでしょう。
自己犠牲だけの利他は到底、継続できないですから。

勿論、雪山童子(せっせんどうじ)や月兔の話は違います。
真実の仏道修行は命がけの修行です。
以下に、雪山童子と月兔の記事を示します。
sokanomori.exblog.jp/13767217/
sokafree.exblog.jp/25314174/

日蓮大聖人は「自他ともに」と云われています。
「自他共に喜ぶ事なり」(761)
「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(同)
「自他彼此の心なく」(1337)

大聖人の仏法は自らも幸せになり、他をも幸せになる宗教です。
大聖人の仏法こそ、本当の仏法です。

ともかく「誰かを幸せにできる人生」以上に幸せな人生はありません。
以下に「利他」のことを書いた記事を示します。
sokafree.exblog.jp/24739507/
sokafree.exblog.jp/22332073/


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by sokanomori3 | 2018-11-20 05:22 | 仏法用語 | Comments(0)

摂受と折伏(しょうじゅとしゃくぶく)


☆折伏の修行とは何か.


御書494~495ページにかけて記されている御文を以下に示します。
摂受と折伏の判断基準が書かれている御書です

1.
しかるに こんぜは しょうじゅの ときか しゃくぶくの ときか
然るに 今世は 摂受の時か 折伏の時か

まず これを しるべし
先づ 是を知るべし

しょうじゅの ぎょうは この くにに ほっけ いちじゅんに ひろまりて
摂受の行は 此の国に 法華 一純に弘まりて

じゃほう じゃし いちにんも なしと いわん
邪法邪師 一人もなしと いはん

このときは さんりんに まじわって かんぽうを しゅうし
此の時は 山林に交つて 観法を修し

5しゅ 6しゅ ないし じっしゅ とうを ぎょうず べきなり
五種 六種 乃至 十種等を 行ずべきなり.

2.
じゃしょう かたを ならべ だいしょう さきを あらそわん ときは
邪正肩を並べ 大小先を 争はん時は

ばんじを さしおいて ほうぼうを せむべし
万事を閣いて 謗法を責むべし

これ しゃくぶくの しゅぎょう なり
是れ 折伏の修行なり.

3.
しょうほう のみ ひろまって じゃほう じゃし なからん ときは ふかやにも いり
正法のみ 弘まつて 邪法・邪師 無からん時は 深谷にも入り

かんせいにも きょして どくじゅ しょしゃをもし かんねん くふうをも こらすべし
閑静にも 居して 読誦書写をもし 観念工夫をも 凝すべし

これ てんかの しずか なるとき ひっけんを もちゆるが ごとし
是れ 天下の静なる時 筆硯を用ゆるが如し

ごんしゅう ほうぼう くにに あらん ときは しょじを さしおいて ほうぼうを せむべし
権宗・謗法 国にあらん時は 諸事を閣いて 謗法を 責むべし

これ かっせんの ばに ひょうじょうを もちゆるが ごとし
是れ 合戦の場に 兵杖を用ゆるが如し.

4.
むかしは よも すなおに ひとも ただしくして じゃほう じゃぎ なかりき
昔は 世もすなをに 人もただしくして 邪法邪義 無かりき

されば げんぎを ただし おんびんに ぎょうごうを つんで じょうを もって ひとを せめず
されば 威儀をただし 穏便に行業を積んで 杖をもつて 人を責めず

じゃほうを とがむる こと なかりき
邪法を とがむる事 無かりき

いまの よは じょくせ なり
今の世は 濁世なり

ひとの じょうも ひがみ ゆがんで ごんきょう ほうぼう のみ おおければ しょうほう ひろまり がたし
人の情も ひがみゆがんで 権教謗法のみ 多ければ 正法弘まりがたし

このときは どくじゅ しょしゃの しゅぎょうも かんねん くふう しゅうれんも むようなり
此の時は 読誦書写の 修行も 観念 工夫修練も 無用なり

ただ しゃくぶくを ぎょうじ ちから あらば いせいを もって ほうぼうを くだき
只 折伏を行じて 力あらば 威勢を以て 謗法をくだき

また ほうもんを もっても じゃぎを せめよと なり
又 法門を以ても 邪義を責めよとなり.

5.
ねはんぎょう だい3に いわく
涅槃経 第三に云く

「もし ぜんびく あって ほうを やぶらん ものをみて おいて かしゃくし くけんし こしょせずんば
若し 善比丘あつて 法を壊らん者を見て 置いて 呵責し 駈遣し 挙処せずんば

まさに しるべし この ひとは ぶっぽうの なかの あだなり
当に知るべし 是の人は 仏法の中の 怨なり

もし よく くけんし かしゃくし こしょせば これわがでし しんの しょうもんなり」と
若し能く 駈遣し呵責し 挙処せば 是れ我が弟子 真の声聞なり.



謗法(ほうぼう)の時は折伏、謗法なければ摂受でよい。


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by sokanomori3 | 2018-03-26 22:54 | 仏法用語 | Comments(0)

続・六難九易(ろくなんくい)


☆六難九易の読み方と意味.


pure_star_3232さんから「六難九易」についてご質問がありました。
ご質問のやり取りの記事URLを以下に添付します。
sokafree.exblog.jp/26785234
以下に、ご要望もあり、読み方と意味を記します。

六難の読み方.

1.広説此経難(こうせつしきょうなん)
2.書持此経難(しょじしきょうなん)
3.暫読此経難(ざんどくしきょうなん)
4.少説此経難(しょうせつしきょうなん)
5.聴受此経難(ちょうじゅしきょうなん)
6.受持此経難(じゅじしきょうなん)

九易の読み方.

1.余経説法易(よきょうせっぽうい)
2.須弥擲置易(しゅみちゃくちい)
3.世界足擲易(せかいそくちゃくい)
4.有頂説法易(うちょうせっぽうい)
5.把空遊行易(はくうゆぎょうい)
6.足地昇天易(そくちしょうてんい)
7.大火不焼易(だいかふしょうい)
8.広説得通易(こうせつとくつうい)
9.大衆羅漢易(たいしゅうらかんい)

※1. 説(せつ)を「ぜつ」と読む可能性あり。

六難の意味.

1.仏の滅後に悪世のなかで法華経を説くこと。
2.仏の滅後に法華経を書き、人に書かせること。
3.仏の滅後に悪世のなかで、暫らくの間でも法華経を読むこと。
4.仏の滅後に一人のためにも、法華経を説くこと。
5.仏の滅後に法華経を聴受して、その義趣を質問すること。
6.仏の滅後によく法華経を受持すること。

九易の意味.

1.法華経以外の無数の経を説くこと。
2.須弥山をとって他方の無数の仏土に擲(な)げ置くこと。
3.足の指で大千世界を動かして、遠くの他国に擲げること。
4.有頂天に立って、無量の余経を説法すること。
5.手に虚空・大空をとって遊行すること。
6.大地を足の甲の上に置いて、梵天に昇ること。
7.枯草を負って、大火に入っていっても焼けないこと。
8.八万四千の法門を演説して、聴者に六通を得させること。
9.無量の衆生に阿羅漢位を得させ六神通をそなえさせること。

※2. 六難九易(ろくなんくい)は、法華経見宝塔品第十一に説かれています。
九易は想像もできないほど困難なことですが、法華経を受持することに比較するなら容易なことであるとの意味です。



上記内容は、仏教哲学大辞典2001年度版を参照して記しました。
「六難九易」の別記事のURLを以下に示します。
sokanomori.exblog.jp/17932426

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by sokanomori3 | 2017-04-18 00:18 | 仏法用語 | Comments(14)

業(ごう・カルマ)の意味


☆学生部時代の友人との対話.

業を「ぎょう」と読むと、生活の中心をささえる仕事の意味。
また、本務、学問との意味もあるので、「業務・業績・業者・業界・作業・学業・授業・偉業」などの単語に使われます。
業は「わざ」とも読むことができます。
一方、仏教用語として「ごう」と読むと、身口意(しんくい)の善悪の行為。特に、悪い報いの因となる悪行を意味する言葉として使用されます。
梵語では「karman」(カルマ)のこと。
本来の意味は行為ですが、仏教では特に身口意の行為、並びに、その行為が存続して果報をもたらす力という意味に用いられます。

学生部時代の仲間 たちと、先日、話す機会がありました。
その対話を例に、業(ごう)について語りたいと思います。
(登場人物のご紹介はいたしません)

「なぜ日顕が出現し、先生を、学会を切ったのか」
「僕は富士山の噴火があると思うんだ。そのために日顕が出てきて学会員を排除した」
「大石寺の真下から噴火したりしてね」
「富士山が噴火して正宗寺院が損害を受けても何ら解決にはならない。まして、噴火したら、我々も被災者になる」
「でも、一つの現証にはなるのではなかろうか」
「そうならないよう、広宣流布を進めて“吹く風枝をならさず、雨 壌(つちくれ)を砕かず”にしないといけないよ」
「日顕のような者にすら仏性がある、それを否定してはならない」
「えっ? 一闡提という仏性のない奴がいるって言うじゃないか」
「いや、ある。御本尊に提婆達多(だいばだった)や第六天があるのは、私たちにもそういう命があるってことなんだ。仏の命が日顕にもある」
「日顕のような第六天と戦い、祈ることが、自分自身の命の中の第六天の業(ごう)を宿命転換していくことになるんだよ」
「日顕は現代の提婆達多だと思う。たしか、提婆達多は生きながらに無間地獄に堕ちた。死んで時間をかけて仏になるんだよね」
「日顕はね、正邪をはっきりさせるために、悪を演じる使命を持って生まれたんだ」
「悪を演じる使命? 悪に使命なんかあるの?」
「もちろん苦しむよ。恐ろしい業(ごう)を積むことになる。でも、業を積みながらも、池田先生、創価学会の正義を証明する使命がね、あった」
「ふーん、そんな考え、聞いたことないけど、確かにねぇ」
「大事なことは悪を滅するために祈り、行動することなんだ。そうすることで、自分自身の命にある第六天や提婆達多を消していける」
「大事なことは師弟不二だ。いくら南無妙法蓮華経と唱えても、師弟不二がなければだめだ。だから何百万遍題目を唱えても功徳のない人は功徳がない」
「その師弟不二というのは具体的にどういうこと?」
「釈尊が生きていた時代に、弟子は釈尊を祈った訳ではない。釈尊と同じ行為をしようと修行した。ところが釈尊が死んで、時代が経過する中で仏像が作られ、仏像を祈るようになった。このことで、釈迦仏法は外道になった」
「なるほど、そうだね。ふむ」
「やがて池田先生を拝む人も出てくると僕は思っている」
「そんなこと、あるのかな?」
「数百年後に出てこないとは言えないだろう?」
「それは師弟不二ではない。仏像を拝む外道と同じってことか」
「うん、大事なことは小説人間革命の先生の振る舞いを、私たちが引き継ぐことなんだ。師弟不二、すなわち、先生の思想を私たちが引き継ぐことが大事だ」
「今、遺言のように先生、書かれているもんな」
「ところで、先生亡き後の学会はどうなるんだろう?」
「私たちが池田大作になる。だから大丈夫だ」
「来世、どこに生れたい? 日本、それとも外国?」
「僕は、池田先生が生れるとろに生れたい」
「ほえー、そんな言い方、初めて聞いたよ!」
「先生、なかなか生まれてこないのじゃないの? 生まれたら、グングン広宣流布が進む。実感が湧かないなあ」
「いや、すぐに生まれてくる。勿論、今の先生とは生まれも境遇も違う。でも、先生はすぐに生まれてきて広宣流布をやる。戸田先生が言われたように別の星かも知れない」
「なんだか、考えたこともない話にビックリだよ」
「Sさん、一体、どうしたの? いつ、人間革命したの?」
「はははっ。教学1級のときに勉強したんだ」
「僕はね、濁悪が嫌になることある。学会員なのに不道徳なことをする人もいる」
「そりゃいるさ。それが人間の本質なんだから」
「浮気もする、ガメツイ商売もする。哲学がない。何で?と思う」
「そういう環境にいるというのも業なんだよ。環境は自分の業の投影だから」
「戦争だからと言って、皆が皆、戦争に行く訳でもない」
「僕は窓際族でイジメられた経験があるけど、そのイジメた人も自分の命の投影ってこと?」
「悪と戦う、そのとき相手の悪も自分の宿業だと?」
「仏法ではそう説く。相手でない。自分だと」
「へー、悪い奴が危害を加えてくる。その悪い奴も、過去の自分だとか?」
「考えてもみなかったな。そうかも知れんなあ」
「過去世で何をやっているのかわからんな。怖いな」
「僕は、よっぽど悪い人間だったんだー」(笑い)

所感 を以下に申し上げます。
今さらですけれど、私が生まれた故郷、こうして生活している東京。出会った人、良くされたこと、悪くされたこと、全部、自分自身の業だと実感しました。
オカシナ会社がある。そのオカシナ会社も、実は過去のオカシナ行動の結果かも知れない。オカシナ上司も、泥棒も、全部影響の範囲なら、自分の業。
「あのやろう!」と腹を立てる相手すら、自分の業。
親にガミガミ言われる。実は過去世にガミガミ言った自分がいるかも知れない。
「なんで、あいつはオカシイことを言うんだ!」とビックリすることすら、「過去世でオカシナことを言っていた自分」が原因かも知れない。
このように受け止めれば、全部、自業自得、全部、反省材料にできる。
人間は自分が正しいと思っている間は変われない。
問題の原因を他に置いてしまったら進歩はない。
反省して初めて変えたいと思うし、変える努力をする。
宿業を転換するために祈り、行動する。そこに人間革命がある。
そのためにも、こういう受け止め方は大事だと思いました。
三世因果論は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2016-04-30 07:03 | 仏法用語 | Comments(23)

日々精進さんへ


☆戸田先生の三世因果論から.

日々精進さんから次のようなご質問がありました。
質問があった記事は、→ここをクリック!
質問の内容(抜粋)を示し、私の考えを申し上げます。

Q:私は世の中は不公平であると思っております

この信心をしていても、恵まれている人とそうでない人がおります。
また、信心をしていない人でもIQが高く頭のよい人やお金持ちの人、容姿のよい人、才能に恵まれた人、立派な人はおります。
こうした差はなぜあるのでしょうか。
信心をしていなくても幸せな人は前世に善い事をしたのでしょうか。

A1:戸田城聖講演集に次の指導があります


この娑婆世界の境遇は、過去世私たちがした業が、この現世にわれわれの心身に業報として感じるのです。人は皆、性欲が不同で、さまざまなことをやっておりますから、同一の境涯に生まれるということはできないのであります。
たとえ同じ親に同じように育てられた兄弟でも、、同一の生涯がないのは、この理由であります。これが生命の実相であります。
この世で多病である、短命である人は「殺」の報いであり、貧窮(びんぐ)で失財の人は盗みの報いであり、眷属不良で婦が貞実でないといのは邪淫の報い、身に誹謗を受け人に誑惑(おうわく)されるのは妄語の報い、親類に離れ親友にも捨てられるのは両舌の報い、悪声を聞き訴訟をおこすのは悪口の報い、人に信じられないで言語が明らかでないのは綺語の報い、多欲で足りることを知らずに金が欲しい、物が欲しいというのは貧(どん)の報い、人にすきをうかがわれ、あるいは殺されたりするのは瞋(いかり)の報い、邪見の家に生まれて心諂曲(てんごく)なのは愚痴の報いであります。
また、日蓮大聖人様は佐渡御書(960)に次のように仰せです。

○ひらがな文. 

われ ひとを かろしめば かえって わがみ ひとに きょうい せられん
ぎょうじょうたんごんを そしれば しゅうるの むくいを え
ひとの えぶく おんじきを うばえば かならず がきと なる
じかいそんきを わらえば ひんせんの いえに しょうず
しょうほうの いえを そしれば じゃけんの いえに しょうず
ぜんかいを わらえば こくどの たみと なり おうなんに あう.

○漢字文. 

我人を 軽しめば 還て 我が身 人に 軽易 せられん
形状端厳を そしれば 醜陋の 報いを 得
人の 衣服 飲食を うばへば 必ず 餓鬼と なる
持戒尊貴を 笑へば 貧賤の 家に 生ず
正法の 家を そしれば 邪見の 家に 生ず
善戒を 笑へば 国土の 民と なり 王難に 遇ふ.
(佐渡御書は、→ここをクリック!

この業報に照らして過去世を見て、運命の打開を心がけるべきであります。
されば、自分自身が丈夫であっても、自分の身内に弱い者がいて、多病の業報を感ずるならば、親子ともどもに殺の報いとせねばならない。
このように考えることは、生命は永遠であり、生死、生死と存在することを前提にせぬ限り信ずることができないのである。
日蓮大聖人様は、このような因果の理法は、「是は常の因果の定まれる法なり」(960)とおおせになって、当然のこととされております。また、釈迦の仏法哲学から、この考えを抜き取ったら、何物も存在しなくなるのであります。われら、この仏法を信ずるものは、この因果の理法を信じなければならないのであります。
低いこの因果の理法すら信じられないで、久遠の生命をどうして新字られましょう。また、地涌の菩薩の自覚はどうして生まれてまいりましょう。

この解決のため、釈迦が説いた経文が法華経であります。
しかし、これとて、単なる理念にすぎないのでありまして、末法のわれらとは縁のないものなのです。われわれ凡夫自身が、実際の生活に、過去世から運命を叩き割破り、よき運命への展開の法を立てられたのが日蓮大聖人様でいらせられる。
すなわち、帰依して南無妙法蓮華経と唱えたてまつることが、よりよき運命への転換の方法であります。この方法によって、途中の因果がみな消え去って、久遠(くおん)の凡夫が出現するのであります。
久遠とは「もとのままの命」であり、仏の命が生出するのです。
大聖人様は、そのとき「一、世間の楽・涅槃の楽を得、二、貧窮の衆生に福力を与える、三、病の衆生に良薬を与える、四、智なき衆生を智者となす、五、短命の者を長命となす、六、悪心の者を善心となす」と仰せなのです。
御本尊を頂くかぎり、途中の因果を感ずるときは、この難は久遠を開覚(かいかく)する途中ぞと心得て、いま申した六つの功徳力を堅く信じて、絶え間なき御信心を祈るしだいであります。
(昭和22年10月19日の指導から抜粋)

A2:現在は過去の報いということになります


IQが高く頭のよい人やお金持ち、容姿のよい人、才能に恵まれた人、これらの差はまさに過去世の業報であると言えるでしょう。しかしながら、そのことが仇となり、不幸の原因になることも見逃せません。
美女に生まれた。けれどストーカー被害に遭った。お金持ちの家に生まれたことで世間の苦労を知らず、やがで破産して誰よりも辛い目にあった、などです。
何が幸いするか、災いとなるかはまったく分かりません。
この宿命論とともに願兼於業(がんけんおごう)の法理があります。
願兼於業とは「願って業を兼ねる」と読みます。
法華経法師品第十、「衆生をあわれむが故に、悪世に生まれて、広く此の経(法華経)をのべるなり」を、天台宗中興の祖、妙楽大師が名付けました。
願兼於業の記事は、→ここをクリック!
すなわち宿命とは即、使命であり、マイナスをプラスに活用することができる。
宿命を転換し、人間革命する実証で、周囲の人々を信仰に目覚めさせることができる。そういう意味では不幸は広宣流布の良き材料と言えるでしょう。
私自身も、日々精進さんと同じく考えていました。
なにより、私自身が沢山劣ってしたり、欠けていたりで悩んできました。
でも、今は違います。むしろ劣っていたり、欠けていていることにも感謝ができるようになりました。その分、人生で果たすべき仕事になるからです。
それと、幸せそうに見える人でも必ず欠けていたり、悩みがあります。
とどのつまり、この信心しか真の幸福の道はないわけです。
今も私は不安や課題が沢山あります。
でも、その1つ1つを使命に変えて歩んでいこうと決意しています。
業(カルマ)は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2016-04-26 23:03 | 仏法用語 | Comments(17)

続・創価学会仏(そうかがっかいぶつ)


☆小説・人間革命第12巻の記述.

広宣流布大誓堂(こうせんるふだいせいどう)の写真を添付します。 
b0312424_22224475.jpg

写真解説.「夜、ライトアップされた広宣流布大誓堂(こうせんるふだいせいどう)の正面からの写真です。ライトが当たる部分は乳白色に輝き、夜空とのコントラストが際立つ映像です」

過去、創価学会仏に関する記事を2つ書いています。
1.創価学会仏?(会館までのクルマで話し合ったこと)
2.戸田先生が語られた創価学会仏

過去に記事にした創価学会仏が、「小説・人間革命第12巻に書かれている」と永遠の凡夫さんが教えてくださいました。その記述は「憂愁の章」の文末236ページにありました。以下に、主要な内容を抜粋します。



憂愁の章 の文末より抜粋.
戸田は、7年にわたって築き上げた基盤が、揺るがざる堅固さをもっていることを強く確信できた。一人の男が、この地球上に生を受けて、広宣流布の戦さを起こし、かくも多くの民衆の救済を実際に可能にしたのである。

「今、私は、ここにこうしている。病みながら、広宣流布の行く末を考えている。戸田城聖(じょうせい)と名乗るこの俺は、いったい何ものなのだろうか」
彼は、57年間の人生の来し方をたどった。一つ一つが決して偶然ではなく、大業の成就に結びついているように思われた。

「まさに、この俺の人生の出来事は、75万世帯の広布の大願を果たすためにあったのだ。生まれ育った環境も、人との出会いも、精進も、心労も、挫折さえも、なに一つ無駄なことはなく、すべては連続し、この大業へとつながっていたのだ」
戸田は深い感慨の中で、自分ばかりでなく、他の周囲の人たちもまた、自分と同じように不思議な使命をもっていることに気付いた。

「日蓮大聖人は、御本尊を御図顕あそばされ、末法の衆生のために、御本仏の大生命をとどめ置かれた。創価学会は、その大法を末法の衆生に教え、流布するために、御本仏の御使いとして出現した。大聖人の御精神のままに、苦悩にあえぐ人々を救い、菩薩道を行じてきた唯一の団体である。
それは未来永劫につづくであろう。学会の存在は、それ自体、創価学会仏というべきものであり、諸仏の集まりといえよう」

戸田の胸に、熱い感動が込み上げ、感涙が枕を濡らした。
彼は、この不思議なる創価学会の存在の意義と大使命を永遠に伝え残すことが、自分の最後の仕事になろうと思った。
彼の胸には、生涯の総仕上げに向かって、使命の炎が燃え盛っていた。
(抜粋は230ページから236ページ.までの範囲から).



戸田先生 の人生が、創価学会の基盤を作るためにあったこと、学会員は創価学会仏と呼べる存在であり、皆、仏であると述べられていました。
その幸福は、感涙となって溢れ出るほどのものであったと記されています。
広宣流布大誓堂(こうせんるふだいせいどう)に集い、祈り、行動する会員は、まぎれもなく創価学会仏であることでしょう。
この時代に生れ、創価と共に、師匠と共に生きられる幸せ‥
その大福運を誇りとして、さらなる前進を果たしてまいります。
広宣流布大誓堂の記事は、→ここをクリック!
戸田先生の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2015-12-10 06:15 | 仏法用語 | Comments(20)


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